「今回は、忍び込ませた切なさ」すずめの戸締まり R41さんの映画レビュー(感想・評価)
今回は、忍び込ませた切なさ
最近新海誠監督に興味が出てきたので、この作品をもう一度見返した。
やっぱり胸が熱くなる作品だった。
この作品の根幹的なテーマは「人の想い」だと思うが、それが物質化するとどうなるのかを想像した物語なのだろう。
この人の想いというものを群像化することに挑戦したのがこの作品なのかなと思った。
ただ、現世と常世とうしろ戸の設定に微妙な疑問は残ってしまった。
また、主人公の名前がスズメ 漢字では鈴芽と書くようで、母の名前がツバメ?
この名前の設定の意味も謎だが、もしかしたら巣立ちを象徴しているのかもしれない。
このあたりの細かな想いの散りばめも彼の作品らしいところ。
さて、
人の心という謎
タマキのように本心というか、腹の奥にある想い、ネガティブな感情
時にそれは決して言ってはならないと封印されていて、おそらく誰もがその封印した想いを持っている。
巨大な黒猫の左大臣はタマキのそれを解き放った。
それが、時には解き放たれるべきなのかどうかについては、私にはわからない。
タマキのように直接本人に向かって言うのが正しいかどうかの答えも出そうとは思わない。
おそらく一般的にそうだと思うが、この物語のように時と場合によっては本人に言うべきケースもあるのかもしれない。
この作品は東日本大震災をモチーフにして、日常というものがどれほど大切な宝物なのかを再確認させてくれる。
幼いスズメが母を探し回る光景は、あの場所で生き残ったすべての人がしていたことだ。
亡くなった方々の想いは、要石になったソウタによって代弁されていた。
「もっと生きたい」
廃墟に佇む「うしろ戸」
かつて賑わっていたいた場所のいま
忘れ去られて取り残されてしまった場所に残る人々の想い
物質はすべて形成された直後から崩壊に向かって進むが、人の想いは崩壊することはないのかもしれない。
エントロピーの法則
遊園地のうしろ戸もまた、当時の人々の思いが詰まった場所
楽しさや喜びというエネルギーとネガティブな感情のエネルギー
この物質世界では見ることはできなくても、それは確実に存在するというのがこの物語の設定だが、それを現世と常世で表現している。
魂 人の想いが行きつく先 常世
3本足のイス
スズメの母がこさえたイス
「いつまでだったかな、ずっと大事にしてたのって」
この言葉にこの物語の核心が隠されているように感じた。
消えるはずのない思いが、いつの間にか忘れてしまうこの世界。
捨てられる「想い」
忘れられる「想い」
当時感じた感情は、本当に失われてしまうのだろうか?
これが監督が彼自身に問いかけた言葉だったのかもしれない。
閉じて封印する本心
誰もが日常的にするこの行為
しかしそれは消えることなくずっと封印された場所で燻り続けているのだろう。
そして何かの時に、それは一気に爆発的に噴出する。
それが人で、それをタマキに代弁させた。
束ねられたその封印されたネガティブな想いが、常世の中にあるというこの物語。
閉じ師
陰陽師的存在によって、人間の心の秘密を暴き、現世と常世を隔てるうしろ戸を封印する仕事。
さて、、
要石にも「想い」があるのだろう。
この作品の原動力
ソウタのセリフ「気まぐれは神の本質」の一言で、ダイジンの不可思議な行動を説明してしまっている。
左大臣は、ダイジンが引き抜いたから出現したのだろうか?
左大臣が大人の猫であることと彼が「人の手で元に戻す」と言っていたので、小さなダイジンは子供で、この騒動は子供の神のいたずらということなのだろうか?
神であるが故、すべてがお見通しというふうに考えることもできそうだ。
封印された世界とこの世界は違う。
その均衡を守るための要石
では、
うしろ戸とはいったい何だろう?
現世と常世 この世と死者たちの世界をつなぐ扉
災いを現世に引き込む場所という設定
もしそうであれば、3.11との因果関係を描く必要があり、それがないのでこれがファンタジーの域を超えない。
さて、、、
物語はスズメが母を探し続けた夢と、そこで出会った未来の私も忘れてしまったことに起因するのだろう。
これはすべての人がすることで、それに正邪はないはずだ。
正邪はないが、常世とうしろ戸の存在を明らかにする。
ダイジンによってイスの中に入れられてしまったソウタを見たことが、否応ない状況を作った。
二人を追いかけフェリーの中に入ってしまったこと。
冒険物語の鉄板の型
しかし、
スズメが踏切でUターンしたのは、友人に赤くなった顔を指摘されたこと。
それが彼女の初恋となったのだろうか。
この行為が全ての始まりだが、、、
例えば線路にあのカギが落ちていて、それはきっと彼のものに違いないとスズメが思って行動したというのでもよかったかなあと思った。
彼に対する描写 速度を緩めた自転車 すれ違う瞬間に感じた彼の雰囲気 そしてその彼が持っていたであろうカギ それらの展開があった方が自然だと思う。
また、廃墟でソウタを探すスズメ セリザワ そして学校の友人たちの雰囲気は「君の名は」「天気の子」とまったく同じというところが少々気になったが、これが彼の作品だと匂わせているのだろう。
更にセリザワが車で登場したシーン
そこにタマキとダイジン
その後の展開は良かったが、、、セリザワがソウタのアパートから出たスズメを見かけたシーンだけでも挿入してほしかった。
また、
スズメが「死ぬのは怖くない」と何度か語るシーンがある。
彼女は幼い頃に東日本大震災で母親を失い、自身も生死の境をさまよった経験がある。
この経験が彼女の死生観に大きな影響を与えたのだろう。
彼女にとって、死は突然訪れるものであり、避けられない運命の一部と感じ、そのため、死を恐れるよりも、受け入れる姿勢を持っているのかもしれない。
ただ、「私が要石になる」と言ったのは少し共感しにくい箇所だった。
幼い頃からの彼女の心境から、誰かのためにという思いは多分にあっただろう。
閉じ師の片鱗とも思えるあの行動で、小さな神様は「仕方ないなあ」と思ったのだろう。
彼女のあの言葉がなくても、おそらくダイジンは元に収まったと思う。
猫 愛し、愛されるのが彼らの使命
神が肉体を持った猫に化けたのは、愛し、愛されたかったのだろう。
少々憎たらしい猫の本質
スズメがソウタへ向けた愛をほんの少しだけ分けてほしかったのが、彼の本心だったのかもしれない。
少しやり過ぎたことで、ダイジンは目的の愛を受取れなくなってしまった。
この部分に新海監督の真骨頂である「切なさ」が忍ばせてあった。
仙台の地で、幼い時にくぐってしまったうしろ戸の中に入る。
全ての記憶が蘇った。
「行ってきます」扉の鍵を閉めながらスズメの言った言葉。
もしかしたらスズメは、ずっとあの場所にいたのかもしれない。
拭えない思い 忘れられない出来事 刹那的になること
彼女は「大事なものはもうずっと前にもらっていたんだ」ということを思い出した。
だから彼女は、過去を収め未来に向かって旅立ったのだろう。
月日が経ち、やがてソウタが戻ってきた。
「おかえりなさい」
この言葉は、彼女がさらに新しい未来を迎え入れる準備が整ったことを指し示した言葉かもしれない。
冒険の旅と成長の物語
そしてそこに忍ばせた切なさ
切なさは監督にとっての重要なアイテムなんだなと再確認した。
最高でした。
こんにちは。
読み応えのある素晴らしいレビューですね。最高です!
特に深刻に経験したわけではないのですが、個人的に地震にはとてつもない恐怖心を抱いておりまして、テーマがテーマなだけにしっかりと目に焼き付け、考察し、理解し、納得するのが困難な作品でした。
心臓がぎゅっとなるし動悸も早くなります。
R41さんのレビューを拝読出来て又様々な想いを巡らせる時間を頂きました。
風化させてはいけないと改めて感じました。
ありがとうございます。