「感想と考察・・・確かにダイジンはかわいそう、なんだけど。」すずめの戸締まり Wizard_03さんの映画レビュー(感想・評価)
感想と考察・・・確かにダイジンはかわいそう、なんだけど。
とりあえず、超遅ればせながら1回観ただけの感想なので、また観に行く機会があれば追記するかもしれません。
そのうえで最初に結論を言っておくと
新海監督らしさは薄れたが、映像美と感性に訴える日本的ストーリーは健在であり素晴らしい。この作品は、日本各地で現代を生きる様々な世代の人へのエール的な作品だと思います。
星を一つ減らしたのは、新海監督らしさが薄れた(天気の子も薄くなってきてたが今回は更に)から。個人的には、「雲のむこう、約束の場所」とか「秒速5センチメートル」等でみなぎっていた独自性とセンスが好きなので。
そして隠れがちながら良かったポイントが、俳優や女優を多数声優起用したにもかかわらず全般的に違和感がなく、むしろはまり役が多かったこと。
前情報ゼロで観に行ったのもありますが、個人的に驚いたのは、環の深津さんと、ルミの伊藤さん、芹沢の神木さん。違和感がなさ過ぎて全く気付かず、誰が声優しているのかなと思ったほどでした。
※ここからネタバレ考察。観てない人は1度でいいので観てほしい。※
ネットでよくある「ダイジンかわいそう」論調。
これにはちょっと違和感がある。
「ダイジンが千と千尋の神様(かわいいの以外)的なビジュアルだったらそうは思わないんじゃないの?」
と思ってしまうような、中身のない薄っぺらい幼稚園児のような感情論は上記の一言で一蹴。
そのうえで、ちゃんとした考察ですが
まずダイジンは幼い神様であると思います。その論拠として、外見、言動、行動、サダイジンのダイジンに対する仕草、要石が設置されたであろう時期、が挙げられます。
まず外見が完全に子猫である(サダイジンと比べて)のは言うまでもなく、言動についても幼いし行動が身勝手かつ思考も幼い(かわいい外見により補正されてるが、人がたくさん死ぬと笑顔で言い放つのはなかなかエグい)。サダイジンもまさに子猫扱いしているし。
決定的なのが、要石が設置された時期。
サダイジンは古文書レベルの昔に要石になった描写があるが、ダイジンがいた温泉街は少なくとも数十年前程度に廃墟になった場所で、要石があったのは廃ホテルのドームのど真ん中、つまり営業中からそこにあったわけではないと思われ(後ろ戸はそもそも廃墟になって以降に発生するようだし)、廃墟になって以降に閉じ師により要石とされたのだと考えます。
ダイジンの魅力も、言動から行動に至るまでも全ては幼さゆえのものなのではないかと。
だからこそ、鈴芽に東京の地下で拒絶されるまで状況や相手の感情に気づかず、愛を失うと瘦せ細るのだと思います(幼い子供は常に愛に飢えているものですよね)。
ダイジンは最初にエサもらうまで痩せてましたが、サダイジンは登場初期に何も貰わなくても普通体系でした(病院の窓)し。
この映画はロードムービーですが、鈴芽と共にダイジンも成長しているのだと解釈します。
だからこそ、最後は鈴芽の自己犠牲を厭わない姿を見て成長し、自ら要石になることを選んだのだと思います。
それに関連して鈴芽は身勝手だとかの感想も多いですが・・・
最初に普通の子猫だと思って「うちの子になる?」を言うのが身勝手というなら、それをあなたは現実に言わないんですか?という話。冗談としても、かわいい猫とかに言うことはあるでしょうよ。
まあこれは感情論でしょうからそこまで掘り下げませんが・・・
視聴者の視点はいわば神であり状況を俯瞰できますからそういうことが言えます。
しかし、鈴芽の立場に置かれてみれば彼女なりにいっぱいいっぱいであり、状況を鑑みればダイジンは悪と映っても仕方がないと思います。あなたが同じ状況に置かれたら同じ感想を持てますか?同じように行動できますか?オールハッピーな幕引きできますか?あなたはそんなに完璧なの?ということ。
しかも、鈴芽も最後にはダイジンの意図や気持ちを理解している描写もあるし(謝罪とかは口には出さないけど)、それを背負うことで一皮むけたのではないでしょうか。
主題歌「すずめ」の歌詞にも、「愚かさでいい、醜さでいい、正しさのその先で君と手を取りたい / 君と生きてたい」とありますし。
加えて、生身の人間が後ろ戸から感情を感じることができるのだから、最後の場面では神であるダイジンにも鈴芽の気持ちは伝わっているのだと解釈しています。
では映画としての総括考察ですが・・・
最初に日本各地で現代を生きる様々な世代の人へのエール的な作品だと思います。と述べましたのでその内容をば。
登場人物全般が、完璧ではなく何か負い目があったり、背負っているものがあったり、また人生の岐路に立っていたりと、多少なりとも負の側面があると思います。
言い換えれば、現実の我々のようである。と感じます。
作中では、その中で衝突したり、または鈴芽の影響を受けたり、影響を与えたりすることで最終的には収束の方向に向かっていく(現実世界で言えば、なんだかんだで可もなく不可もなく日常が過ぎていく)わけで・・・
作品のメッセージ性としては
負い目や背負っているものがあっても自分なりに精一杯生きることの大切さ
完璧ではなく悪い部分も持ち合わせることへの肯定
日常の尊さ
人それぞれに感情や価値観があり、相手の立場に立ってそれを理解することも大事
時には感情をぶつけ合うことも必要
というのを伝えたかったのではないかなと思います。
特に、ダイジンと鈴芽の絡みや結末~主題歌の歌詞については、「完璧ではなく悪い部分も持ち合わせることへの肯定」なのではないかと。
それこそが現代を生きる我々へのエールだと思うのです。だって、人間誰しも後ろめたいことや失敗、もやもやした人に言えない感情、そういうのを持ち合わせてるでしょ?
だからこそ、ただただ「ダイジンかわいそう」「鈴芽は身勝手」と言ってしまうのは残念な感想だなと思うのです。