「シン・ほしのこえ 求ム」すずめの戸締まり ぶたぶたさんの映画レビュー(感想・評価)
シン・ほしのこえ 求ム
1958年、東アジアのとある大国ーー大躍進を掲げる時の指導者の号令の下、スズメたちへの恐るべきジェノサイドが始まった。家族を失いながら密輸船に紛れ、辛くも逃げ延びた一羽のスズメは極東の島国へと辿り着き……
という話をタイトルから想像したのですが掠りもしませんでした。
これは半分冗談半分本気で、東宝で跳ねてからの3作目、明確な変化が求められるタイミングだったと思います。
おそらく新海さんも(相棒の敏腕プロデューサーも)意識していたことで、所謂「きみとぼく」的な世界から家族や血縁を越えて、職場や実社会にまでコミュニティの範囲を広げたり、挿入歌のエモさで突進する得意技を封印したりと意欲的だったと思いますが、却ってキャラ造形の薄さがこれまで以上に露呈した気がします。畢竟、キャラクター当人が初登場時から自分のロールを認識しており、予定調和で立ち回っているように見えてしまったのは非常に辛い。
美麗なアニメーションという最大の武器は健在ですが、お客は呑気で贅沢なことにいずれは必ず飽きが来る。最近はNetflixオリジナルはおろか地上波でもハイクオリティな作品が観れてしまう(のは、新海作品がバカ当たりした影響も一部ありそうですが)。前2作と比べ、素人目には特段アニメ表現が進化したようには見えなかったです。
物語の終盤、汚れた服から決意表明のように制服に着替えた場面。意味ありげでしたが意味が汲み取れませんでした。学生の足元の象徴たるハルタのローファーは途中打ち捨てているのに。
遥か遡って『ほしのこえ』ではどうだったでしょう。宇宙軍?のロボットに乗って戦っている状況で、頑なに制服を着用し続けるヒロイン。あの単なる記号性と利便性と作者の思い込みが混濁したスレスレな表現が、えも言われぬ空気を醸していたのです。
かくなる上は庵野プロデュースでシン・ほしのこえを作る時が来たのです。主役の声をもう一度自ら演じ、ソウルメイトの天門を呼び戻す。ヒロイン役は新津ちせにするとなかなか気持ち悪いと思いました。
しかしこれでは売り上げは悲惨な結果をもたらすこと請け合い。古参を気取る愚かな人々の世迷言には耳を貸さず、これからも猫好き敏腕プロデューサーと二人三脚で突き進むが是だと思います。