「運命の赤い糸トリロジー最終作…と、言いたい。」すずめの戸締まり kazzさんの映画レビュー(感想・評価)
運命の赤い糸トリロジー最終作…と、言いたい。
新海誠の最高傑作という触れ込みは偽りではなかった。
『君の名は。』は男の子と女の子の両方の視点、『天気の子』は男の子の視点、本作は女の子の視点で描かれている。
過去2作は中盤からスペクタクルへと変調したが、本作はのっけからスペクタクルが展開し、度肝を抜かれる。
イケメン青年と偶然出会った女子高生が、恋心を徐々に膨らませながら、退っ引きならない事態に巻き込まれていく。
最初、イケメン青年は石川五右ェ門に似ているようにも見え、「またつまらぬものを斬ったか…」とでも言うのかと思いきや、「近くに廃墟はないか…」と女子高生に尋ねるのだった。
彼女が巻き込まれた旅はいつしか自分探しへと転換していき、過去と現在、夢と現を交錯させながら忘れていた自分の過去に出会うと共に、人類を救うという…とてつもない物語。
親代わりの叔母との関係も見つめ直し、遂に主人公は幼い頃の自分自身に熱いメッセージを伝えるに至る。
これにアニメーションならではの壮大なアクションが加わるのだ。
こんな物語をどうしたら産み出せるのだろうか。
新海誠は神事・神話への関心が強いようだが、本作は明確に「神」と呼ぶものが現れる。この神は絶対神ではなく、八百万(ヤオヨロズ)の神的なものだった。
「ミミズ」と呼ばれる震災のメタファーには『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』の影響を感じずにはいられない。
この「ミミズ」を封じ込めている「要石」のダイジンは猫の姿を借りて人間界を走り回る。ダイジンに三本脚の椅子に姿を変えられた「閉じ師」の草太(ソウタ)が猫を追う。それを更に追いかけるのが主人公の鈴芽(スズメ)なのだが、「ミミズ」は人には見えないのに猫や椅子は人にも見えるところが面白い。
猫はともかく、走る三本脚の椅子を人が目撃するということは、超自然現象を人が認知することになる。
ならば、鈴芽と椅子(草太)の人類救済の戦いも人々は認知することになるのだろうか。
否、かろうじて、鈴芽の叔母・環と草太の友人・芹澤が扉や大きな黒猫サダイジンを目撃するだけだ。
結局、人々は何も知らぬまま平穏な日々を送り続けるのだった。
女子高生と椅子が猫を追う不思議な追跡劇は、宮崎から愛媛、神戸、東京へと展開し、遂には東北を目指す。ロードムービーらしく各地で出会いがあって、笑わせたりほのぼのとさせるサイドストーリーは卒がない。
そして、壮絶なまでの神の領域の戦いに突入していく展開は淀みがない。
鈴芽は記憶の闇を清算することができたのか、環との絆は深まったのか、草太との間に将来はあるのか、、、、
新海誠の映画は後日譚で再会が描かれる。
不可思議な出来事から始まって、大スペクタクルが展開し、大団円を向かえてのち、若者の未来への希望が垣間見えてジ・エンド。
今の日本映画界において、これほどに映画らしい映画を見せてくれる監督が居るだろうか。
『君の名は。』から本作までを「運命の赤い糸サーガ」と見れば、本作は正に集大成的な存在感をもってひとまず終局したと言えるだろう。
さてさて、天才は次にどんな物語で若者にエールを送ってくれるのだろうか。はたまた、若者ではなく親世代か壮年世代へのメッセージを展開してくれるかもしれない。何にしろ、次回作への期待は増すばかりだ。
新海誠監督ファンですが、「君の名は」からは特に後半からガラッと雰囲気が変わりますよね。
今作でもいろいろと期待してしまいましたが、期待通り雰囲気が変わりました。まさかそのテーマか、、、とびっくりしましたが。
kazzさん、毎度ありがとうございます。
ゴミ箱の写真を撮ってた人に遭遇したのは仕事中でした。客「あれ、何で写真撮ってるんでしょうね~」などと会話が弾みました。
今、自宅の車庫を建て替えしてるんですが、解体・建設の過程を写真に撮っておけばよかったと悔やんでます・・・建築業者さんに写真コピーさせてもらおうかな・・・