「映像は良かった」すずめの戸締まり 福島健太さんの映画レビュー(感想・評価)
映像は良かった
「君の名は」は話題になっていたけれど新海監督の作品は全然観ていなくて、この作品の公開時期に合わせてAmazonプライムビデオでいく本か観てみました。
最初の小さい鈴芽ちゃんが歩いている場面から、映像が細かくてきれいでした。
テレビアニメなどではしゃべっている登場人物の後ろで他のキャラクターが固まっているなんてよくあるし、普通に人を動かすのにもスタッフの労力がかかるので削れるところで削っているようなのは珍しくありません。
でも、この映画は草原を描いたら一番手前の草花がひとつひとつ丁寧に描いてあって、それがひとつひとつ風に揺れているような、緻密できれいな映像でした。
観に行った劇場が体感臨場とかいう重低音の出るシアターだったこともあって、途中何度も音と映像に圧倒されました。
話の内容としては、なぜ草太さんが要石にされてしまったのか、最後までわかりませんでした。
猫のダイジンは実は悪い奴でなかったことはわかりますが、最後に再び要石になってミミズを押さえつけることになるのなら、なぜすぐにそうしなかったのか。
草太さんとダイジンが初めて遭遇した場面で草太さんはイスに変えられてしまったのだから、要石の役目が草太さんに変わったのはイスになったその場面でしょう?
なぜそうなったのか。
理由がわかる描写がなかったので、映画の基本的なストーリーに関わる重要な部分が結局ナゾです。
それに、鈴芽ちゃんが東北の震災で親を亡くしたこと、お母さんを探す途中で扉の中に迷い込んでしまったことはわかりましたが、親を亡くした3.11の時点ではミミズが地震に関係しているという表現はないのですから、映画の設定としても3.11は自然発生の地震でしょう?
まさか多くの命が失われた現実のあの地震を、映画の中の設定とはいえ「これは俺の考えたミミズというやつは引き起こしたことにする。ミミズがたくさん死なせたのだ」というのは、炎上必至なので無いと思います。
そうすると、3.11はミミズとは関係がないことになるので、なんらかの事件又は事故で親が行方不明になった子であれば鈴芽ちゃんと変わらずに主人公を務めることができて、海難事故でも山岳事故でも、良かったのではないかと思います。
なぜ、多くの命が失われた大事件を敢えて作中に登場させる必要があったのか。
現実の大災害は実際に多くの人が被害に遭って、今も悲しみを抱えている人がいるデリケートな話なので、必要がなければ敢えて映画の作中に登場させることはかえって炎上の危険があると思います。
それを、なぜ登場させたのか。
やっぱり、ナゾです。
ストーリーとしては色々と納得できない部分がありました。
はじめまして。
ダイジンの行動は、
自分を開放した鈴芽が自分のことを好きだと思い込む→隣りにいる草太が邪魔で、一石二鳥の策として役割を押し付ける→自分が望まれていなかったこと、鈴芽の草太への想いを悟る、元の役割へ戻る、
という流れだったように感じました。
一つの解釈ですし、要石に戻ることへの葛藤が描かれていれば、とは思いますが。