「それ、ほんとに映画を見れていますか?」バブル JohnDoeさんの映画レビュー(感想・評価)
それ、ほんとに映画を見れていますか?
ネット上を一見したところ、「バブル」の浅いレビューが多すぎると思い、これはいかんということで急遽映画.comのアカウントを作成しました。
私が感じた「バブル」が伝えたい主なメッセージについて書き残したいと思います。(特に最後の方)読み終わって、よくわからなかったという人に是非一読していただきたいです。(僕も全ては説明できませんが)
ネタバレ注意↓↓↓
映画の冒頭は銀河の映像から始まります。そして、メモ帳を移すシーンへ。そこにはフィボナッチ数列の一般項が描かれています。フィボナッチ数列は、ご存知の方も多いと思いますが、自然界のありとあらゆるところに登場します。貝の渦巻きの長さの比率、花びらの配列、植物の茎の分岐する角度の比率、等等。
つまりこの数秒で「あ、この映画は宇宙や自然をテーマとした壮大なメッセージがあるんだな」とわかります。
主人公は、どこからともなく現れた「うた」に命を救われ、なんだかんだ仲良くなります。
映画の途中途中で、「崩壊と再生を繰り返す」ということをやたら強調するキャラクターが何人か居ます。
そして最後、「うた」は泡になって消えてしまいます。消える瞬間、うたは「また会おうね」と言います。
物語お終い。ちゃんちゃん。
ここから何が読み取れるのか?なぜ「渦」なのか?なぜ「泡」なのか?最後の「また会おうね」はどう言う意味なのか?
この物語を理解するにあたり、
・生物学的、化学的知識
・ビッグバン理論
・フィボナッチ数列
くらいは何となくわかっていたら面白いと思います。
ビッグバン理論によると、この宇宙は138億年前に形成され、そのときにあらゆる原子の元となる物質が構成されたといいます。つまり、私の体を構成するすべての原子は元はその時に生じたものであり、バラバラだった原子が今この瞬間だけ「私」を構成し、これから未来はまたバラバラになっていくということです。(自然由来の食物の原子が私を構成し、排泄によりそれらはまた自然に還元されていくと言うこと)
主人公が出会った「うた」は、どこからともなく現れ、何が目的かも良くわからず、そして消えていきました。ただ唯一確かなのは、主人公とうたが出会い、惹かれ合い、お互いを好きになったという事実です。
それはさながら、私を含めた生物を構成している原子たちのようでもありますし、宇宙に漂う銀河や星々のようでもあります。そしてそれらに共通するのは、「集まるもの(=生物や銀河)には渦がある」ということです。
だから、うたが主人公と出会った時に「渦」が生じたのだと思います。渦とは出会いなのです。
そしてうたが最後にいった「また会おうね」とはどういうことか。これは、「(何兆年後やもっと遠い未来かもしれないけど、)また会おうね」ということだと思います。私を構成している原子が崩壊した後に再び私を構成する確率など、数学的にほとんど0です。同じように、何かと何かが出会い、別れたあとに再び会う確率は限りなく0に近い。それでも何兆年後の未来では再び「出会う」瞬間が来るかもしれない。確率は完全に0ではない。だから、「さよなら」ではなく「また会おうね」なのです。
ではなぜ「泡」なのか?
僕は、これは方丈記の一節「ゆく川の流れ」から来ているのではと思います。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかた(=泡沫)は、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。 」
つまり、出会いと別れは川のよどみの泡のように儚いということです。
「泡」は「うた」と読みます。
僕は、バブルのメインテーマは「出会いと別れ」だと思います。というか、そう思わされました。人だけでなく、この宇宙で起きているすべての現象は、おびただしい数の出会いと別れの連鎖なのだと。
バブルを見た人には、出来れば、パルクールがどうとか科学的にどうとか、現代版人魚姫だとか浅い評価をしないでいただきたい。まあ別に解釈は人それぞれだからいいんですけど、このような深い作品を前にしてそのような解釈では、あまりにも映画を見たあなたの時間が勿体無いと思います。
満塁本塁打さん
コメントありがとうございます。
批判するもしないも僕は好きにすればいいじゃんと思いますけど、レビューで往々にして見受けられるのは「わからん!嫌い!」というパターンですね。
わからん!→だから嫌い! となるのか、
わからん!→色々考える→なるほど!面白い!
となるかは本人次第ですから、せっかく映画みるなら楽しめばいいのにと思っちゃいますね〜
こんばんは。いちいち批判してるオタクに呆れてものが言えません。普通のレベルはあると思います。少なくとも、ガンダムとかワンピースよりは素直でまともな作品だと思いました。😊
ゆうすけさん
コメントありがとうございます。
この「わけわからん感」も私は好きでした。仮に泡が人類よりはるかに高度な知的生命体によるものだとすれば、我々にその現象の理由や意図がわかるはずがありません。この「全くわからない感」こそが、我々より遥かに高度なものと我々の「圧倒的な差」を表現していると思います。
庭掃除で蟻を駆除するときに、蟻にその意味を理解してもらえるでしょうか。幼い子供が好奇心で蟻を殺す理由を、蟻に説明できるでしょうか。
我々が全く理解不能な現象が起きたとき、必ずしもそれが理解可能な形で終結するとは限らないのです。
"Beauty is in the eye of the beholder"という言葉がありますが、これは
作品が美しいかどうかは、その作品そのものではなく、それを解釈する側が決定権を握っているということですよね。
つまり、「これはクソ映画だ!」と思うなら、あなたにとってこの映画は本当にクソ映画なのでしょう。しかし、私にとっては深い映画でした。
これは映画そのものの問題ではなく、私たちの問題だと思います。