「母と息子 離れてどう付き合ってゆくか」百花 まさのすけさんの映画レビュー(感想・評価)
母と息子 離れてどう付き合ってゆくか
レビューが大変遅くなりした。
2回観て2度目で母の考え・息子の考えのふたつについて理解することが出来ました。
母百合子 認知症を患った者は、自らが認知症になった事に気づかず日常生活を送っていた。それは、傍から見れば一見普通のおばあちゃんであるがやはり一つ一つの行動が観れば明らかであった。子供には何度も注意をし、同じものを何度も籠に入れ同じ動作を繰り返す。息子の帰りを公園で待っていたり、傘を持って当時の小学校に向かう、それは過去の残像であり過去の産物に過ぎないのである。百合子の「半分の花火」これの正体が花火は花火でも建物に遮られた半分に欠けた花火その記憶は百合子の中に強く印象づいて残っていた。最後には、もうほとんど記憶は無くなっていたが母 百合子のしてきた事は息子からすればどう写っていたのだろうか、、、
息子 泉 母の百合子が認知症と発覚してから家に帰ることを少し拒むようになり都会に引越し奥さんの香織さんと共にレコードの会社で働き生計を立てていた。母の病状は年齢よりも早く悪化していくのも早いと病院では診断された。先程も書いた通りあまりに認知が酷いためヘルパーを呼んだりそれからは、介護施設に送り届けた。耐えかねない泉の判断は正しいがただ苦しい母の姿を自分では抱えきれず逃げているだけなのではと私は考えた。だが、こうするしかないのでだろう。何故なら過去の母の失態が泉に深い穴を作ったためだ。泉が幼少期の頃母の友達工藤恵の一言により百合子は子供を置いて家を出ていってしまった。泉は児童施設に預けられることとなったが百合子は、そんなことなど知らずスーパー(?)か何処がで出会った浅葉さんと共にアパートで暮らす事となる浅葉は、大学の先生をしており帰りは遅かったりとあまり良い男ではなかったしかも大学の変更でそれから消息をたってしまっただった。泉の知らぬ所でそんなことが起きていたのだ、、
2人の事柄について考えてみましたが、私のおばぁも私が高校に上がる頃には、認知の疑いがあり私が高校を卒業する頃には、完全に認知症であった。それには、おじぃの影響も関係していたが家族の名前も曖昧で自分が今何をしていたのかさえも分からなくなっていた。認知症は、どんな病気よりも恐ろしい病気だなと改めて感じました。近年でも若くして認知になる傾向が多いようです。日々の生活に気を配りながら頑張っていきたいです。