「買い物ループ、階段ループの怪」百花 kossyさんの映画レビュー(感想・評価)
買い物ループ、階段ループの怪
SFホラータッチにも思えたアンソニー・ホプキンス主演の『ファーザー』(2020)をまず思い出してしまった。アルツハイマー型認知症を患った人の頭の中。直近の記憶がままならないために同じ行動を繰り返す・・・さすがに階段での恐怖心は辛いと思うが、ループしてワープして、混乱する姿を見ると可哀想でしょうがない。個人的には『いつか読書する日』(2005)の認知症老人の映像も好き。
卵が数パック。冷蔵庫を開けてみるといっぱいある。だけどまた買っちゃう。どこの家でも同じなんですね。そして汚れ物のたまったシンク。散らかし放題の部屋。ただ、素直にMRI検査も受けているし、本も読んでいる。まぁ、これはまだ初期段階なのでしょう。
菅田将暉と長澤まさみの夫婦が母親・百合子(原田美枝子)をあっという間に老人ホームに入居させてしまった経緯はちょっと気に入らないし、認知症だとわかった段階でもっと対策を練らなければならないと思う。まぁ、母とのある確執があったからだとは思うが、手帳を見つけたときに逡巡する描写も欲しいところ。
物語の大半は1995年の愛の逃避行について。どれだけきれい事を並べても、息子を置いていくのは大きな間違いだった。息子にとってもポッカリ空いたままの愛情。バス停で激しくハグをしたことだって、彼を浅葉(永瀬正敏)と間違えたからじゃないのか?百合子にとっては大人になってからの息子の記憶は消えかかってるんだし・・・母の愛よりは息子の愛のほうが大きく感じられた。長澤まさみに「変な親子」と言わしめたのもこれかな?
「人間は忘れる生き物である」というのは誰の名言だったか忘れましたが、忘れることがあるからこそ人間らしいとも言えます。それを記憶の声を集めたデジタル・アーティストに歌わせるというエピソードが上手く絡んでいて、認知症の逆メタファーとなっている。要は、空白の1年の罪を赦して最期まで母親を愛することの美しさ。半分の花火にこだわりを持っていたことも浅葉、泉に対する愛だったのかもしれません。一輪ざしの花に関しては、なんだかつまんなかったし、全体的に綺麗に描きすぎだったのも難点。汚かったのは泉の嘔吐だけ。
仕事から引退したり、脳を活発に動かさないと認知症が増えるのだろう。周囲の人の中に、コロナ禍で自宅待機命令の出ていた人がアルツハイマーを発症してしまったとか・・・見ていて可哀想だった。3分くらい話しただけなのに、同じことを3回も喋ってた・・・
kossyさんコメントありがとうございます。
せめて、泉の父親ぐらい描かないと、母親が男といなくなったって何なの?となりますよね。苦悩ばかりしてて、何が理由かわからない映画でした。まあ、結局のところ内容がなかったということですね。