「ビジュアルに頼りすぎでは?骨細なニュアンス作品」百花 アオイアオさんの映画レビュー(感想・評価)
ビジュアルに頼りすぎでは?骨細なニュアンス作品
色々と不思議なところ違和感とがありました
期待を全く超えてこなかった感は否めない。嫌な予感はしたのですが
軸となる人物がいるようで居なくて作品に没入し難い。脚本頑張れ
現実と幻覚と記憶を行き来して、中盤の日記の中で答え合わせしてくる。記憶の中で母と息子が軸となればもう少し読み取れたが、第三者の比重が大きいと混乱してしまいます。KOEと関連付けようとする意図もわかるが、導入が唐突すぎて、また混乱。脚本見直す人いなかったのでしょうか
結論。
どこに重点を置いてみるかでかなり意見が分かれる作品だと思いました。認知症の母の視点、息子の記憶と現実、昔の母の記憶、母の不倫から別れまで、息子への愛情、記憶の話、など。
現在のシーンはほとんどが良く、冒頭からワンカット(撮影と編集は上手い)繋ぎで不思議な感覚に陥り、期待が高まる。一輪挿しとピアノがキーになりますの提示。
回想シーン、過去の部分はかなり気味が悪い
見ていて本当にきついです。とにかくCGのクオリティーどうなってるのですか?日本映画の予算の問題ですか?光の使い方、顔の修正、肌の質感、空の色、アングル
KOEのビジュアルくらい違和感、わざと?
全体的に良し悪しの差が出過ぎているし、バランスが悪いのかもしれません。
俳優さんの演出、演技、監督が引き出せてない気がしました。
菅田くん大変だったろうなー
鑑賞後、率直な感想は、体感的に2時間30分。
なぜだ?とてもとても長く感じました。能動的に見ていたつもりでしたがある部分からかなり気が散ります。神戸でのCG満載のシーンからです、はい。
記憶に残ったところ
半分の花火が見たいと言った母と別れ帰りのバスの車中で妊娠がわかった時の心境を吐露したところ。誰しもが勝手でまず自分のことを考える、人にはそんな部分があって当然だと
幼少期の様子がフラッシュバックでしか描かれないところ。
ピアノの音によって様々な意識がつながるところ
半分の花火。秘めた部分、想像を掻き立てるくらいが、全部見えない方が美しいという記憶に残る 人間も同じ
釣りと誕生日の黄色い花、ピアノを隣で弾く記憶
これらが、母が出ていった前なのか後なのかがわからなすぎる
時間軸が雑
男を追って出ていった母親。その感情によって寂しい思いを強いられてきた事実。異様なまでに母からのスキンシップを嫌う、女性への不信感を含む深い溝
人間は忘れる生き物であり、それくらいがちょうど良いのかもしれない。けど、忘れていたはずの記憶がふとしたきっかけで突然蘇ったり、忘れたいことは頭から離れなかったり、美化して覚えていることも、、
ワンカットで撮影された映像の編集技術がすごかった。こちらが迷子になっていく感覚をも味わえた。黄色い花 一輪挿し
施設でのピアノ演奏、アップの表情
母が出ていった、知らない間の記憶を回想するシーンが、見つけたノートを読んでの息子の頭の中だからなのか、CG感、トーンがどうしても違和感で全く頭に入ってこなかった。語りで見せてもよかったのでは?今や認知症になった母にはあの頃の心境、状況など直接聞くことなどできないのだからしょうがないのか?地震のシーンは必要だったのだろうか?何か後半に繋がってくるとよかったのかなと思いました。CG部分の大半は母の記憶の中であり息子の想像でもある。ぬめり感、幸せでもあり悲しい記憶でもある時間をある意味違和感を与えて作られていたのだろうか。
ほかは、現実シーンのカメラワーク、撮影、質感とても好みでした。音もいいですね。
川村さんが関わる他の作品にも言えることですが人物描写が薄い。感情移入する人は1人としていなかった。かなり冷静に作品から引いて鑑賞してしまったという現実。
今のところさっと書き出しまとめると以上です。
適材適所って、あると思うのです。
東宝さんどんまい。