「初日舞台挨拶と副音声上映と3回拝見しました。 唯一無二の個性の蜷川...」ホリック xxxHOLiC くさんの映画レビュー(感想・評価)
初日舞台挨拶と副音声上映と3回拝見しました。 唯一無二の個性の蜷川...
初日舞台挨拶と副音声上映と3回拝見しました。
唯一無二の個性の蜷川実花作品の数々は私にとっては直観的に強く惹かれる対象ではなく、かといって苦手でも
なく。被写体と作り上げられた世界観とが符合していて素敵だと思うこともあれば、過剰さを少しうるさく思うこともありますが、そういう個性、作家性なのだとフラットに作風を”受けいれ”鑑賞するものでした。
先入観なく映画を観たかったので原作は未読ですが、原作ファンの方々の「原作を読んでいない人には話がわからないであろう」という懸念(そのようなレビューが未見の人に作品へのハードルを上げているようで残念です)は少なくとも私に関してはあたらず、十分内容を把握できたと思っています。
贔屓の俳優さんが出演しているので背景を知りたいと思い事前に蜷川組に入りましたが、蜷川監督の投稿やライブトークで、人の暗部を描く印象の強かった蜷川監督が思いがけず漂わせていた”善なるもの”や、純粋で無邪気とすら受けとれる作品作りへの思いを発していたことも興味深く、ホリック鑑賞前に彼女を見る目が少し変わりました。
十数巻に及ぶ原作を110分に収める芯としたのはその”善なる”部分で、大づかみに解釈すれば恐らく彼女の息子さん世代へのメッセージなのだと推測しています。しかしかなり直球の”人生訓”が主題でありながら一部からの深みがないという評価。それは例えば吉岡さんの“怪演”や、百目鬼と四月一日の関係性、アカグモの作りこんだビジュアルや、やや大仰な表現が、媚びやうけ狙いととられかねないからかもしれません。しかし蜷川監督のお話からそんな人間関係や演者の美に対する監督ご自身の”萌え”的美意識を満たすことも創作活動上重用なことはうかがえますし、その蜷川女史の”趣味性”が作品世界を作り上げる重要要素なのでしょう。
私はこの作品をダークファンタジーの形を借りた四月一日の成長譚ととらえていたので、怯え駆けまわる姿、屋上に佇む姿から、まだ情報の乏しい冒で既に四月一日の内面が伝わってきてひきつけられたし、理解を助けられたと思います。神木君は恐らく出演作はほぼ観ていて信頼している俳優さんですが、陳腐になる危険性をはらむファンタジー漫画の実写化にリアリティを持たせた「神木君の説得力」に圧倒されながら拝見することになりました。物語世界の嘘を背負った、疾走シーンの背景にズザサササーって擬音が描きこまれているかのようなアニメ的コーナリング!眼にフィーチャーしている物語ではあれど、眼が印象的な顔ではない、むしろ地味とすらいえる眼が、厭世、戸惑い、疑念、諦念、終盤の自信、妖艶まで表現する雄弁さに魅入られました。
しかし、いかに神木名人とはいえファンタジー世界の虚構に現実味をもたせつつ四月一日の物語に集中せしめるのには他の登場人物は単純化される必要があったと思うのです。配役時には旬も走りであったろうと思われる松村北斗さん、吉岡里帆さん、磯村勇斗さんのお三方が上手に”単純化された”ことが物語を少しでもわかりやすくし、四月一日の成長譚を際出せることに貢献したと思うのです。
ということで、誠に人間くさく苦悩する四月一日という人間の”成長譚の一要素”としての他のキャラクターは、恐らく監督のオーダーに非常に忠実に、自我を表出させることなく「かっこいい」という冠を戴した”コスプレ”を遂行した結実のアイコン的存在と推測しています。