ホリック xxxHOLiC : インタビュー
蜷川実花監督による“異界”に誘われた神木隆之介&柴咲コウ 共鳴した「CLAMP」の哲学を語り合う
「この世に偶然なんてない。あるのは必然だけ。全ての出来事には意味がある」――。カリスマ的な人気を誇る創作集団「CLAMP」の漫画「xxxHOLiC」の世界観を形作る、こんな哲学がある。同作の刊行当時からのファンであり、「ヘルタースケルター」「人間失格 太宰治と3人の女たち」など圧倒的な映像美で知られる蜷川実花監督は、約10年をかけて構想を膨らませ、遂に初の実写映画化を実現させた。
実写映画「ホリック xxxHOLiC」(4月29日公開)でタッグを組むのは、神木隆之介と柴咲コウ。ふたりは、ドラマ「Dr.コトー診療所」(2003)以来、約19年ぶりの共演を果たした。原作漫画「xxxHOLiC」と蜷川監督、神木と柴咲――本作は、運命的な巡り合わせを経た企画のようだが、これもまた、「こんな作品が見たい」という誰かの“願い”の上で実現した必然ということなのだろうか。映画.comは神木と柴咲に、蜷川監督とのタッグ、絢爛豪華なセットや美術、「CLAMP」の世界観を貫く哲学などについて、話を聞いた。(取材・文/編集部、写真/間庭裕基)
人の心の闇に寄り憑く“アヤカシ”が見える孤独な高校生・四月一日君尋(ワタヌキ・キミヒロ/神木)はある日、1羽の蝶に導かれ、対価と引き換えにどんな願いも叶えてくれる、妖しく美しい“ミセ”に迷い込む。“アヤカシ”が見える能力を消し去り普通の生活を送りたいという彼の願いを叶える対価として、“いちばん大切なもの”を差し出すよう囁く主・壱原侑子(イチハラ・ユウコ/柴咲)。同級生の百目鬼静(ドウメキ・シズカ/松村北斗)や九軒(クノギ)ひまわり(玉城ティナ)と日々を過ごし“大切なもの”を探す四月一日に、“アヤカシ”を操り、世界を闇に堕とそうとする女郎蜘蛛(吉岡里帆)とアカグモ(磯村勇斗)の魔の手が伸びる。
最初に互いの印象と、久々の共演を終えた感想について。ふたりは「時を超えた共演」に思いを馳せ、感慨深げに語り出す。
神木「『Dr.コトー診療所』の頃、僕は小学校3、4年生くらいでしたし、ゲスト出演だったので、『大丈夫かな、覚えていてもらっているかな』と不安でした」
柴咲「私も同じですよ、『成長の過程で忘れ去られていないかな』と(笑)。逆に、覚えてくれていて嬉しかったです」
神木「覚えています、はっきりと。当時は現場で子どもひとりだったので、優しくして頂きましたね。よく話しかけてくださいました。時を超えて共演できて、すごく嬉しいです」
柴咲「私は(神木くんのことを)別人だと思っていますけどね。時が経っているのであらゆる細胞も完全に入れ替わっていると思いますし(笑)。当時は、神の子みたいだと思っていました。オーラがもう子どもじゃなくて、年齢を超越していて、“選ばれし子”なんだろうなと。勝手なイメージですが、いまの方が、人間を謳歌している気がします」
神木「人間になれて良かった(笑)」
写真家としての蜷川監督とは仕事をしたことがあるが、監督作品への出演は初となった神木と柴咲。蜷川監督とは、どのようなコミュニケーションが交わされたのだろうか。
神木「蜷川監督は、光の加減やタイミング、画づくりにすごくこだわっていらっしゃいました。(繰り返し登場する)エスカレーターのシーンは不思議で、上下しているのに平面に見える画角で撮られていて。そのとき、僕の想像できない部分で物事を見ていらっしゃる方なんだなと思いました。あと、僕が(アニメの)『化物語』の色合いがすごく好きとお話ししたら、蜷川監督もお好きだったみたいで、それ以降は『これは、化物語カットだからね』という感じで指示されていました」
柴咲「蜷川監督は感覚的な方なので、そうした部分が演出にも出ていました。あとは、褒め上手で任せ上手だなと思いました。だから『やらなきゃ』と思いますし、褒められると嬉しいですね(笑)。でも、思った以上に褒めてくださるので、『頑張ろう』『ここはもうちょっと気をつけよう』と考えながら、撮影に取り組みました」
神木は、“アヤカシ”が見える能力に苦悩し、人の醜い部分を見ることに疲弊している四月一日を演じた。冒頭では、「もうこれ以上何も見たくない。死にたい理由は特にない。生きていたい理由は、もっとない」と呟くなど、どん底の精神状態にあり、原作よりも心の闇や過去の傷が強調されている。
神木「台本を見たとき、すごく四月一日くんが暗いイメージだったんですよ。原作ではツッコミ役ですし、『ひまわりちゃーん』と言ってくるくる回っているので、その点が原作との大きな違いでした。ずっと暗く、ボソボソ話し過ぎるのもどうなのかなと思っていたので、短い言葉のなかにも、バリエーションや色をいかに組み込めるか、意識しました」
四月一日は、自身の忌まわしい能力のせいで周囲に迷惑がかからないよう、人と関わることを避けて孤独でいようとする半面、誰よりも人とのつながりを求めている、複雑なキャラクター。神木は、「悲しさや寂しさを抱えながら、侑子さんや百目鬼、ひまわりと関わることで、徐々に表情を取り戻していくような、四月一日自身も知らないうちに変化している成長を表現したい、そんなふうに思って撮影に臨みました」とも述べている。
一方の柴咲は、自分のことを一切語らず、最後まで正体が明かされない“ミセ”の主・侑子を、その圧倒的なオーラで体現した。四月一日や“ミセ”に訪れた客に的確な助言を与える一方、願いを叶えるために支払う対価に関しては厳格な一面も。また、侑子には「同じ服は着ない」というこだわりがあり、全16種類もの一期一会の艶やかなスタイルを、ファッションショーのように披露している。
蜷川監督は、「柴咲さんには画面を征服する力があって、映るだけで説得力がある。当然のことながらお芝居も上手いけれど、侑子という役は、お芝居が上手いだけでは成立しない、彼女が本来持っている“何か”に助けてもらう役だったと思います」と絶賛。柴咲は、「美術の力、装飾の力、メイクと衣装の力がすさまじかった」と振り返る。
柴咲「メイクと衣装の力で、自然と侑子さんの役づくりができました。ただ衣装や髪飾りが重いので、あまり動けなかったんですが、『動かない』ことがポイントかなと思いました。人間っぽくないというか。普通の人間だと、心臓が動いていて、体も揺れるじゃないですか。そういう動きがあまりない人だと、とらえていました」
原作同様、侑子のセリフには人間の業を見つめ、世の道理を説く印象的なものが多い。柴咲が口にすることで、より説得力のある言葉として、見る者の心に響く。
柴咲「やっぱり全部が全部、説教っぽくなるのも嫌だなと思ったんです。本来は本人が気付くべきことを代弁したり、まとめたりしているので、あまり押しつけがましくならないように、でも説得力があるように、試行錯誤しながら走っていた感覚はありますね。ただ、ぶれない侑子さん像はあるので、怒りも一瞬見せるシーンがあるくらいで、基本的には感情にほだされないし、自分も揺らがない。でも奥底には優しさや深い愛を持っているというイメージでした」
蜷川監督作品とあって、やはり本作の見どころのひとつは、神木が「この世のものとは思えない綺麗な光景だった」「本読みをいくらやっても分からないことも、あのセットに入ると全部分かる」と形容したセットデザインと美術。セットから衣装や小物に至るまでこだわり抜かれており、幻想的で浮世離れした空間が立ち上がっている。とりわけ、主な舞台となる“ミセ”の各部屋は鮮やかな花々で飾られ、妖しい光に満ち、縁側、障子や襖、蓮の池、藤棚などの美術が、異空間としての印象を濃くしている。柴咲は、「本当に夢のような世界の一幕でした」と回想する。
柴咲「セットには本当に細かく美術が施されていて、スキのない雰囲気でした。アイテムのひとつひとつを見ても、アンティークのものや、蝶の置き物や、いろんなもので埋め尽くされている空間が、圧巻でしたね。私は侑子のお部屋にいることが多いので、あの空間全体が印象的でした」
神木「侑子さんの縁側は『本当にこの世の景色なのかな』というくらいきれいでしたし、実際に現場のセットも、完成した映画で見る美しさのままでした。あとは藤棚のシーンが、いちばん記憶に残っています。撮影では僕、ワンカット目からずぶ濡れなんですよ。水がある程度張ってあったので、蜷川監督から『もうちょっと水のなかに沈んで』と言われながら撮影していたら、最終的にはほぼ全身沈んでいました。藤棚もいろんな人に手伝って頂いて作っていたので、美しかったです」
蜷川監督の脳内を完全再現したかのような“ミセ”のセットとともに、新宿のゴールデン街、渋谷のスクランブル交差点を模した足利のオープンセットなどでも撮影が行われた。ゴールデン街は、人間の生命力に溢れた異界への入口というイメージで、“ミセ”へと続く路上のシーンが撮影された。一方、四月一日が何度も駆け下りるエスカレーターは、「無機質でつまらない日常の繰り返し」を表現しているという。
さらに、蜷川監督作品の代名詞ともいえるのが、その豪華なキャストたち。原作の人気キャラクターで、クールでありながら四月一日をいつも気にかけている百目鬼役の松村をはじめ、秘密を抱える美少女・ひまわり役の玉城、妖えんで残酷な悪女・女郎蜘蛛役の吉岡、その手下で、女郎蜘蛛に心酔するアカグモ役の磯村らが顔をそろえた。神木と柴咲に、撮影の思い出話も教えてもらった。
神木「松ちゃん(松村)と常に一緒にいました。(百目鬼の寺のシーンを撮影した龍口寺がある)江の島のロケのとき、予定表では遅く終わって、次の日が早かったので、『泊まった方が楽だよね、泊まろうか』という話になりました。僕が『じゃあ、スイートルームに泊まらない? 泊まったことないもん、せっかくならこの現場で思い出残そうよ』と提案して、ふたりで一緒に泊まりました。その日は雨だったんですが、雨に打たれながら、庭にあるプールを見に行きました(笑)」
柴咲「私は、その江の島のおみやげで、神木くんにピン留めをもらったことですね。皆におみやげをくれたので、素敵だなと思いました」
神木「スイートルームに泊まった次の日、現場に入る前に江の島に行って、皆さんにおみやげを買ったんです(笑)」
物語では、「この世に偶然なんてない。あるのは必然だけ。全ての出来事には意味がある」という哲学が貫かれている。ふたりの人生で、いま思えば必然だったと感じる重要なターニングポイントはあったのだろうか。
神木「中学1年生か2年生のときに、なぜか分からないんですが、直感で『ピアノをやってみたいな』と思ったんです。小さいピアノを買って、楽譜を見ながら練習していました。楽譜が読めなかったので、ちょっと挫折したりもしながら。それで中学3年生のときに、ピアノを1曲弾かなきゃいけない役が来たんです(※ドラマ『風のガーデン』)。あとから、『この役のためだったのか』と思いました」
柴咲「何かをキャッチしていたんだね。私はすごく出不精で、家のなかで何でも完結できるタイプなんですが、中学生のときに一時、めちゃくちゃ外に出たくて、原宿や池袋を歩き回っていたんです。そこでスカウトされて、いまに至るので、本能に従うのは大事なんだな、何か意味があって動かされていることがあるのかな、と思いました。でも最近、めっきり外に出ていないので、いろいろなチャンスを逃しているだろうなと思います(笑)」
侑子が大切にしている「願いを叶えるには対価が必要」という思想を軸に、さまざまな欲望を胸に秘めた人間の業や、残酷なまでの因果応報が描かれる。そんな「CLAMP」ワールドの魅力は?
神木「やっぱり言葉が素敵ですよね」
柴咲「本当に名言だらけ」
神木「僕がすごく覚えているのは、原作の双子のエピソードに出てくる『言葉で相手を縛ることができるし、自分も縛ることができる』という言葉。言葉は、何かを解放することもできるんですが、基本的には縛るもの。普段自分が発する言葉に気をつけてはいるんですが、自分を縛っていることもあるし、相手を気付かずに縛っていることもあるんだろうなと、実感しました」
柴咲「話すことは当たり前で日常的な行為だから、そんなに力がないと思いがちです。でも集中して突きつめていくと、実は言葉をはじめ、この世にはものすごくパワーを秘めていることだらけだということを、教えられた気がします」
神木「自分の力になっている言葉は、『ぶちかませ』ですね。僕は舞台を初めてやらせて頂いたとき、とても緊張していたんですが、とにかく『ぶちかます』ということを、ずっと考えていました。学生の頃からずっと使っている言葉なんです。学生の頃って、無敵状態で怖いものがなくて、『何でもできる』と思ってしまうんですよね。その頃の言葉を使うことによって、ある意味で学生時代に戻ったかのような、無敵状態になれるんです。思いっきりぶちかましてみて、ダメだったらダメでいいやと。保守的になって失敗するのが一番ダメなので、とりあえずどう出るかわからないけど、ぶちかましてみる。結果はあとからだから、失敗したらしょうがない、成功したら『よっしゃ』という感じになるので、ずっと言っている言葉ですね」
柴咲「私はずっと『諦めない』『不屈の精神』が好きな言葉だったんです。ですが、『不』『ない』など、否定のキーワードが先に脳に刷り込まれると聞いてから、やっぱり『楽しむ』などポジティブな言葉の方が良いんだなと思って、大切にするようにしています」
最後に、3度目の共演があったら、次はどんな作品や役どころが良いか、教えてもらった。
柴咲「どうせなら、全然違う設定が良いですよね」
神木「会社の設定も良さそうですね。そう考えると、毎回全然違う役で共演していますよね。前回は『Dr.コトー診療所』で病気を治してもらって、今回の『ホリック xxxHOLiC』では人生を正してもらっているので、次は何を正してもらおうかな、という感じです(笑)」