「モノクロで描く追想の世界。」ベルファスト すっかんさんの映画レビュー(感想・評価)
モノクロで描く追想の世界。
○作品全体
物語の幕開けは「北アイルランド問題」という「大人の問題ごと」から始まる。幼いバディにとっては全貌は見え難く、作中で語られることもバディの知る限りのトラブルに終始する。ベルファスト以外の大規模な争乱はバディ家で流されているテレビからのみで、それも母がテレビを消してしまえば情報はそこまでだ。バディにとっての「北アイルランド問題」の大半はバディにとっての世界である、ベルファストでの出来事だ。自分自身にとってはまったく縁もゆかりもないベルファストだが、この世界の狭さの演出が、自分自身が体験した「幼少期の狭い世界の広大さ」とリンクして郷愁を感じさせる。
モノクロの画面が主張する懐古や追想の世界。これはモノローグで大人のバディが振り返るスタイルではなく、当時の出来事を当時のバディが感じ取ったことを大切にしたいという意思表示なのかもしれない。カメラワークとモノクロ以外の色の演出がその証左だ。
カメラワークで言えば、冒頭の襲撃の回り込みカット。襲撃の全体像ではなく、不穏な空気を最前線で感じ取るバディの表情にフォーカスを当てて回り込む。襲撃という出来事そのものよりも、そのときのバディの感情に寄る演出だ。このカット以外でもカメラとの距離感が極端なものが多く、その時のバディの衝撃を演出する。作品序盤で神父が力強く説法するカットは強烈だった。見ているこちらも神父のアップショットのインパクトがイヤでも残る。一方で祖父や祖母とのおだやかな時間はカメラがやや引き気味になる。その時の安らかな時間の記憶を大切に、そっと切り取るかのような距離感が心地よかった。
「色」にクローズアップするならば、やはり劇中の映画や舞台劇だ。これだけは1969年の世界を映し出す際も色が付いている。これは大好きな映画や舞台劇の記憶だけは悲しみに干渉されない、鮮明な記憶だからかもしれない。祖父母やガールフレンドと過ごした時間も「悲しみ」がなかったシーンだったが、モノクロで写されている以上、そこには「懐古」というフィルターが存在する。祖父母やガールフレンドを懐古するときには必ずその後の別れがつきまとう。だからこそ「チキチキバンバン」は色鮮やかだが、一緒に楽しんでいる家族の姿を写すと、モノクロになるのではないだろうか。
こうしたバディが受けたインパクトの可視化が、「子供目線の問題ごと」が現像されたように思えて作品世界に入り込める一因担っていたと思う。
社会全体を覆っている黒い雲は冒頭をはじめとして克明に描かれているが、その下で暮らす少年のまわりには、間違いなく明るい景色も存在した。そのかけがえのない景色をモノクロの世界で包んだうえで大切にフィルムに収めたのだな、と感じた。
そう思っていたからか、ラストの切ない苦味とともに暖かい気持ちにもなった。
○カメラワーク
・境界線、フレーム内フレームの演出が印象的。境界線でいえば、役所から夫の金にまつわる連絡を受けて崩れ落ちる母とバディを俯瞰で捉えるカット。家の柱を境界線として画面を2つに区切る。「大人の事情」とそれを理解できないバディを区切るかのようだ。この金の話が終盤の移住へも通づるわけで、家族を分裂に引きずり込む要素としても境界線が効果的。
フレーム内フレームは祖父母と話すバディのシーンが面白い。祖父母の家の庭(?)はトイレがあったり入り組んでいて、祖父とバディは外で話しているのに祖母は家の中にいる構図が作られていた。こっそり小遣いを渡す祖父と受け取るバディ、そしてそれをしたたかに見逃さない祖母。「こっそり」の部分が「男同士の内緒話」のようで、イエナカとイエソトをで分けているのが活かされてた。
○その他
・祖父母の関係性がいつまでも若々しくていいな、となった。不穏な空気が常に横にあるが、この二人がでてくるとそれを忘れさせてくれるような感覚が、良かった。