「欲張ってあれこれ手を出したあげく中心が見えなくなった残念作」大河への道 徒然草枕さんの映画レビュー(感想・評価)
欲張ってあれこれ手を出したあげく中心が見えなくなった残念作
伊能忠敬が地図の完成を見ることなく亡くなったという歴史的事実を基に、死を隠蔽したまま地図を作成し続ける人々と、それを暴いて地図完成を阻もうとする幕府勢力との駆け引きをベースに、その伊能の業績をTV大河ドラマに仕立てさせて、街おこしに利用しようとする伊能の郷里・佐原市役所担当者たちのドタバタぶりを二重写しにした歴史映画である。
観た後、妙な感覚に襲われた。
芸達者の中井、松山、橋爪、西村、草刈、チャーミングな北川といった顔ぶれ、しっとりして美しい映像に俳優たちのリラックスした好演、そして地図完成が伊能の死後ずいぶん経ってからという意外性に、時代劇と現代劇のドタバタを重ねた構成――どれをとっても興味深いのに、何だか……芯がない。
感動とか感激とかは言うまい。良いものを観たなという充足感が湧いてこないのである。
その理由はよくわからないのだが、インタビューで「成長時代劇として日本人の所作の美しさ、良心をしっかりと訴える。また現代劇では、コメディであるということを貫きたいという話をさせて頂きました」(中井)、「草鞋を視覚的に表現して流す感動の涙というものは、落語では絶対に描くことが出来ない素敵な映像の芸術ですね」(立川)と話しているのを読んで、何となく納得するものがあった。
それを言葉にすれば、映画に腰が据わっていない。欲張ってあれもこれもと手を広げて、どれも平均点以上だが、それらがバラバラで、一つのドラマとして強い効果を上げるに至っていないということだろうか。お笑いとお涙が別々の無関係なものとして存在する、と言えばいいだろうか。
その典型が地図完成後、北川が伊能を懐かしむシーンだろう。別れた4番目の妻である彼女が伊能をそれほどまでに恋い慕うというのは、唐突すぎてろくに情感を喚起しないのである。
北川と中井のキャラクターはとてもいいし、西村の因業ジジイぶりも面白い。彼らを中心に全編時代劇にしたほうが遥かに面白かったのではないかと、ちょっと残念ではある。