仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダルのレビュー・感想・評価
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評価が難しい
この映画で1番悪い部分は上映時間の短さだと思います。1時間の中でやりたい事が多すぎて、結局できなかった感じがしました。ディレクターズカット版などが発売されればもう一度見たいと思いました。
アンクが蘇りましたが映司は死んでしまいました。正直、本当にこれで終わりなのかと思いました。実はこの物語には続きがあるのではないかと思っています。
映司がアンクを助ける為に旅をしていたように、今度はアンクが映司を蘇らせる為に行動をするのかなと勝手に予想しています。
また、今後オールライダー的な映画などが公開された際、オーズの扱いはどうなるのかなとも思いました。
ここまで賛否両論分かれるライダー映画は初めてだと思います。色々な意見が生まれる事も想定してこの映画が制作されていたと思いますので結果としては成功なのかなと思いました。
悲しい…でもやっぱりオーズ大好き
まず、オリジナルキャストが欠けることなく再集結されたことには感謝と感激しかない!
その上で、あの終わり方はやっぱり悲しい。
劇中でアンクからひなちゃんに
「兄のときも諦めなかっただろう。だから映司のことも諦めるな」
的な台詞があったから、諦めなければ最後には映司くんも戻ってくるのかと思ってたのに…
ご都合主義でもいいから、映司くんには生きてて欲しかったな。
…いや、正直まだ諦めてません(苦笑)
渡部秀さん、「科捜研の女」では少し丸くなった?という印象でしたが、しっかり映司として戻ってこられましたね。
演じ分け(映司、ゴーダ、アンク)も見事でした。
皆さんのレビューを全て拝見し、それぞれがとても大切にされてきた作品なのだと泣けてきました。
改めて、やっぱりオーズが大好きです。
まだ気持ちの整理はできていないです
オリジナルキャスト勢揃いでたった59分の中に愛を詰め込みオーズを完結させてくれたことも伝わってきて映画としては星5だったのですが結末が辛すぎて悲しみで星0.5減らしてます…
そもそも映司は1話でアンクに助けられてなかったらヤミーに投げられて壁に激突して死んでたし、本編でもここでアンクが制御してなかったりバースが助けたり止めてなかったら死んでたっていうシーンは山ほどあったので、
放っておくと自分の命より他人を優先させて直ぐに死んでしまう印象はずっと持ってはいました。
本編後もいままで映司が死なずに旅していれたのは変身して戦う程の人智を超えた敵はいない世の中になってたからかなとか。それでも長生きは出来なさそうだなーとか。
そのため、アンクが横に居ない状態でオーズとして強敵と戦ったら命を落とす展開になってしまうのもなんか納得してしまう自分もいました。それでもアンクを復活させたい、もう一度会う方法を探す気持ちがいままでは多少の歯止めとして少しはあったのが、復活させる方法を見つけてしまった後だったので助けられる命にとっさに手を伸ばしてしまう要因ともなった(TTFC限定の前日談的にも)とか考えてしまいました。
映司にアンクを憑依させたままそのまま一緒に生きてて欲しかったけど、追い出した理由については自分の身体がもう復活の余地はなく、死にかけというレベルでなく間もなく完全に死ぬことを理解してしまってたからその前に自分の目で実物のアンクの復活を見たかったとか、いろいろ考えてましたが、アンクにもう一度会うっていう1番の欲望が叶えられて満足してしまった(テレビ版アンクがただのメダルが死ぬとこまで来れたことに満足してしまったことの対)なのでしょうね。
もし映司があの状況に放り込まれたらこうなってしまうのはわかる…という感じではあったので映司らしい終わり方なのかもしれません。
でも心の底から映司にはもっと生きてて欲しかった…せめて、映司の命を代償に復活した変わりにアンクにも五感が与えられていることを祈るばかりです。
(古代オーズ復活の理由とか、ゴーダはいったいどのタイミングでどうやってとりついたんだろうとか、砕けたメダルは…とかありますが、細かな矛盾点や荒なんて仮面ライダーシリーズのテレビ本編や特に劇場版ではよくあることなんであまり気にしてませんでした。そこも考察したり保管して考えることも醍醐味だと思っているので)
平和ボケ日本
人類の8割が死んで滅亡の危機に瀕するなかレジスタンス活動をする主人公達…
命を非常に軽く見ている平和ボケ日本ならではの内容
作者は作品を作る上で、もう少し内容について考えるようにした方がいい
低俗なだけでなくファンの見たいものを外していて娯楽作品としても失敗している
TV放映時のオマージュ的なシーンを繋ぎ合わせていて小ネタは満載だがそれだけの映画
何でここまで荒れてるかわからない。
僕はすごく好きでした。
主人公が死んでしまって悲しいからって怒るのは違うと思います。
叩いてる人はバッドエンドが嫌いなだけで解釈が違うやら、脚本がと批難してる感じがします。
ひなちゃんがアンクを見てお兄ちゃんの心配をせずアンクの再開に喜んだのも、尺の都合もあります。
バッドエンドが嫌いなら、ジオウのブレイドみたいに、映司も生き返ってグリードはいなくなりアンクは人間の姿で人間として復活してお兄ちゃんも元に戻れたら満足なのでしょうか。
オーズの結末
映画の結末にも、主人公の行動にも納得はいくが、感情的な面では未だ受け止め切れていない。
1時間の間、ずっと感情に心が追いついていかなくて、ぐちゃぐちゃな気分だった。
古代オーズとの戦い後、倒れている映司がメダルを握りしめるシーンがあるが、地面は草原になっている。テレビ版のオープニングではずっと砂漠を歩き続けて、最終回で砂漠に少し植物が見え始めていた、映司の心情風景ともいえるものが、ここにきてようやく青々とした草原に変わった。欲望を押し隠して、乾ききってしまった彼の心がようやく満たされたのだと思うと、本作で少なくとも彼は救われている。それでもやはり悲しい。ただ、彼が命を救った少女とアンクがこの世界に生きている限り、映司の伸ばした手はまだ未来へつながっていると信じたい。
星が1つついていないのは、ハッピーエンドを願ってしまった自分の最後の悪あがき。でも、結末が無難なハッピーエンドに落ち着いていた場合、こんなに心に深く刻まれはしなかったとも感じる。
本映画に賛を唱える人も否を唱える人も、オーズという作品を愛していることにきっと変わりはない。
納得できないのも仕方ないが…
見始めて映司に抱いた奇妙な違和感で嫌な予感はしていたが、映司は死んでいた(ゴーダが乗り移っていた)……
もしかしたら生き返るんじゃないかと信じていたが、結局死んでしまった。
もちろん、映司が死んでしまったのはとても悲しい。私はブルーレイも3回は見返したオーズファンだ。私だって死んでほしくなかった。悲しみを受け止められないのは分かる。
結末を受け入れられなくてもいい。
映司の復活を信じてもいいだろう。
しかし私達オーズファンのするべきことはこの映画のアラを探して叩くことではない。
他の人のレビューにもあるが、グリードが生き返った理由やゴーダが生まれた訳は想像すれば良い。映画がやや短いのも必要な情報をきれいに詰め込んだと考えれば妥当だ。
物語(TV版)で損得だけでものを考えていたアンクも映司たちとの関わりの中で多くの感情を得た。アンクが消えゆくときにメダルを受け取り、映司がアンクに対して言ったセリフを今度はアンクが映司に言っていたのは鳥肌が立った。アンクらしくない、と思う人もいるだろうが私はアンクが関わりの中で成長したと解釈している。
ここ数年で私が見たライダー映画の中で一番悲しい作品であった今回だが、私個人としては、「きれいな終わり方」だったと思う。
(勿論そう思わない人がいることは承知の上で)
映司も「楽して助かる命はない」と言っていて、映司自身の死によってその台詞の重みが一層際立った。映司は自らの命と引き換えに欲望を叶えた。バットエンドではあるが、私は美しい終わり方だったと思う。悲しいけど。
汚物
本編の放映時、幼稚園児だった息子は今高校生で、辛口カレーも美味しく食べられる。
息子に感想を聞くと、「これはカレーじゃなく、う●こ味のう●こ。」
いつかの明日を心待ちにしていたファンに叩きつけられたのは、汚物だったらしい。
一部勘違いしている人がいるが、バッドエンドだから酷評しているのでは無い。
辛口甘口以前の問題だから、これほどファンの怒りを買っているのだ。
緻密に組み上げられたストーリー、魅力的なキャラクター、可能性が無限大の変身、それら全てがうまく噛み合って、あの苦くも美しい最終回までを走り抜けた、テレビシリーズ本編。
10年経った今もそれは色褪せない。
関連DVDは全部持ってるから、本編も映画も繰り返し何度も観た。
小説も読んだし、グッズはてれびくんの特典メダルに至るまで揃えてる。
オーズの役者が出ているからと、俳優雑誌なんてものまで、初めて買ったよ。
ライダーシリーズはもちろん、今まで観た全ての作品の中で1番好きな作品、、、、だった。
過去形になってしまったのが、ただただ哀しい。
他の方が既にコメントしているので詳細は割愛するが、チープで矛盾だらけのストーリーの元、せっかく集まってくれたオリキャスの見せ場はアンク以外ほとんど無く(映司は最後の数分以外別人なのでノーカウント)、グッズを売るための新フォームだけ見せられ、オマージュとも呼べない薄ら寒い演出連発の後、映司は目を見開いた無残な姿で死ぬ。
あまりにあまりだと、観終わった後は茫然自失になった。
本編で乗り越えたはずのトラウマ引き合いにして、何の必然性も無い、自己犠牲の死なんかでオーズが終わらせられるはずが無い。
きっと何か意味があったはず。
答えを求めてパンフレットを読み、哀しみが怒りに変わるのを感じた。
バッドエンドありきで作られた、制作陣の自己満足と悪意の塊。
我々ファンが楽しみに待っていたいつかの明日はそんなものだったというのか……?
鑑賞を終えて、日毎に増すのは、哀しみ、怒り、恨みといった負の感情。
もはや怨霊が産み出せる域に達している。
オーズという素晴らしい作品にう●こをぶっかけて終わらせた制作陣は未来永劫許さない。
特に脚本家はすぐに筆を置いて、二度と創作と名のつく仕事はしないで欲しい。
アンクは寄生獣のミギーのようなもの
アンクは寄生獣のミギーのようなものであり、別に命に固執している訳じゃない。
映司のエゴによって勝手に召還(というか復活)させられたのであって、アンクの意思で復活した訳じゃない
映司は満足かもしれないが、残された比奈やアンクの気持ちはどうなる?
もし追撮が可能なら、このエンドの後に満足そうな顔してる映司の元に腕アンクがやってきて「バカか?お前は。俺を生き返らせて、お前が死ぬことはお前の勝手な欲望だ。俺の欲はすでに満たされてるが、もう1つ望むとすれば、映司。お前が生きていくことだ。お前が勝手に俺を生かしたように、俺も勝手にさせてもらうからな。」と言って体の中にアンクは留まる。映司が目を覚ますと、泣き腫らした仲間の顔がそこにあり…というような展開を期待したい。
スタッフはこの映画を激辛カレーと表現していたが、これは激辛で味を誤魔化した別の物体(もはや食べ物ですらない)である。肉や野菜、そして色は同じでもベースとなってるものが全く違う。
メニューに天丼とあるのでそれを頼んだら、ご飯の上にタマゴと天ぷらのコロモだけが乗っかったものが出てきた感じ。エビ抜きの天丼はもはや天丼ではない。いかに覚悟をもって料理したかはわからんが、文句を言ってしかるべきではなかろうか。
小説を読まなきゃわからんなどということを言うものがいるが、私は小説も読んだ上で批判してる。そもそも小説がおかしいのだ。小説では消滅してるはずのコアメダルが何の説明もなく復活しており(映画もそうだったよね?)、本編ラストにたどり着いたはずの「辛くとも皆と共に生きること。手を繋いで乗り越えていくこと」という震災後の子どもたちへのメッセージにもつながる映司の心は消えていた。自己犠牲で突っ走るサイコパスに戻っていた。でも小説はいわゆる二次創作で片付けられるんですよ。
でもこの映画は違う。東映が認め、役者に演じさせた(納得してるようには思えない発言もしてますよ)段階で公式なんです。
公式がオーズという作品を公開処刑したとしか言いようがない。オーズをorzというガッカリな形に変えてしまった。この責任は重い。
賛否両論あるとは思うが
オーズはそもそも靖子にゃんの作品で、それを他の監督が手掛ける時点で、そもそも疑心暗鬼ではあった。
実際に見てからの感想は、良い悪いではなく「悲しい」一択だった。
そもそも「なぜグリードが生き返ったのか」などは、描かなくとも想像すればいい。小説の多くはすべてを説明しないし、「王の力によるもの」とすれば終わる話で、それこそ突き詰めて考えるようなことではない。王の復活についても同様に「また鴻上さんが興味本位でやらかしたか?」くらいの話である。想像力を働かせたい。
さらに「アンクはこんなこと言わない」など書いている人もいたが、アンクも映司やヒナちゃんとのやり取りを通して、800年前には得られなかったものを得ている。そこに成長があっても不思議ではない。我々が成長について行けていないか、あるいはこの悲しみを受け止めきれなかっただけだと思う。
さて、本編は、当時の情勢を踏まえて「手を繋げば乗り越えられる」「この手で明日へと繋ぐ」というものであった。
しかし、メインテーマはあくまでも「欲望」。だからこそ「ヤミー」「グリード」という名前があり、各々が欲望のために動いているのである。
結果として、映司は「目の前の女の子を助けるため手を伸ばして、救える命を救う欲望を叶えた」「生き返らせてくれと願った(からか、あるいは王が復活したからか)アンクが復活した、という欲望を叶えた」のである。
そして、今回もまた映司とアンクは「エタニティタジャドル」という形で、手を繋いで乗り越えたのである。解釈は違わない。むしろ合っている。
だからこそ悲しい。この傷は癒えない。
だが仮にこれが何も無いハッピーエンドで終わったとして、靖子にゃんの作品として相応しいものになっただろうか?
違う。靖子にゃんは、一番痛いところを突いてくるラストを用意する。であれば、やはり今作で映司がいなくなるのは、監督としても妥当なところではないだろうか(実際制作にあたり、靖子にゃんも関わっているようだ)。
唯一の救いとしては、他の映画との時系列である。未来からアンクが映司を救いに来る作品がある。もし仮にここで得た遺伝子などの情報を未来の鴻上に渡し、映司が生き返ったら、などと、本編では描かれないifも、私達の心の中に欲望として描かれ得る。
私はもう一度観に行く。この悲しみを受け止めるのが、ファンとしての務めだ。いや、受け止めたい。これが私の欲望だ。例え心が死んだとしても。
不可解
まあラストは衝撃でしたが、それも物語として美しければ喪失も受け入れられようものでしょう。安易な死ネタは苦手ですし、小林靖子さんが作った本編を「未完」「甘口」などと扱き下ろし否定したことにも腸が煮えくり返る思いですが、そういった個人的な好みや感情論は抜きでレビューしようと思います。
何かと不可解な点が多かったのは映司以外のキャラクターの動き全般。
・アンクに取り憑かれた兄を見ても顔色を変えない(どころか、アンクとの再会を喜ぶ)比奈
・映司の変化に気付かない比奈
・最終回で命を懸けてプトティラを止めたにも関わらず今作で易々と紫メダルを利用するアンク
代表的なのはこの辺り?
特に比奈と信吾の兄妹愛が希薄になっていたような気がして、そこがおや?となりました。
あとはこちらの理解不足かもしれませんが
・なぜオーズドライバーが複数あるのか?(最後に映司が変身した時に用いたオーズドライバーはどこから取り出したのか?)
・なぜ信吾さんが気を失う前にアンクが憑依できたのか?
この辺りがよく分かりませんでした。
何かとニブい比奈ちゃんやその他映司以外のキャラ像が少し本編とズレているかなということで、続編としての完成度を考えてこの評価にしました。
設定、ストーリーはさておき、俳優さんの演技は素晴らしかったので、オーズを全く知らない方や、何事も純粋に楽しめる方は見に行って損はないかと思います。得もないと思いますが。
星霜編
最後あのような結末になること自体はなにも文句がない。ただ死ぬ必要性を感じるうよな伏線が何もなかったので全く悲しむことができなかった。
ゴーダや古代オーズなどいてもいなくても同じような新キャラを出すくらいであれば、映司が自身を犠牲にしてまで小さな命を助けようとした過程を丁寧に描いて欲しかった。
今回一番辛かったのは映司が死んだことではなく、
映司の死を悲しむことができなかったということです。
もう東映の過去作品の新作はみないかもしれません。
1時間かけたCSMの宣伝
尺の問題なのはわかるが雑な部分が目立つし設定を無視してる部分が多い。
おそらくアンクは映司の命と引き換えに復活したが、なぜグリード4体は復活できたのか。アンクはなぜ彼らと同じようにして復活できなかったのか。800年前の王もしれっと復活しているが詳しい説明はない。800年前の王は完全にグリード化していたがなんのメダルでグリードになっているのかもわからず。メダルを全種類取り込んでいるのにメダルの器の暴走を起こしていない。オーズドライバーが何故か3つ?(800年前のオーズ、ゴーダ、アンク)存在する。なんの説明もなしにポンポン出てくる。タジャニティスピナーの必殺技で何故か鳥系メダルを7枚使用できている。もともと10枚ある鳥系メダルだが、本編で5枚割れて1枚復活したので6枚しか存在しない。エタニティが新造メダルなら説明がつくけど、状況的に普通のコアメダルが変化したものと考えるのが普通だと思う。最後に映司がアンクを自分の中から無理やり出したのも理由がいまいちわからない。まだ世界はめちゃくちゃだったしまた敵が出てくる可能性もあるのであのまま一緒にいて仲間と世界を復興させるっていう終わり方でも良かったんじゃないのと思う。死んだほうが感動するからみたいな感じで映司が雑に殺されてしまったような気がする。いろいろ説明が甘く終始視聴者が置いてけぼりにされている感じがした。この結末はたぶんオーズが好きであれば好きであるほど受け入れられない人が多いと思う。ゴーダ、バースX、エタニティと詰め込みすぎで結局おもちゃが売りたかっただけっていうのが見え見えで残念。1時間かけたおもちゃの宣伝。
メダルやベルトのことなどいろいろ矛盾が生じることとアンク視点で物語が進むので自分はこの作品はアンクの悪夢を描いてると解釈することにした。実際本編でも悪夢を見ていたこともあったので無理やりな解釈ではないと思う。これだけキャストが集まってくれたのに脚本で全てが台無しになってしまった残念な作品。
サゴーゾ…
個人的仮面ライダーどハマり期(W、オーズ、フォーゼ)に超が付くほど楽しませて貰ったのが今作。重厚なドラマがありつつも、アンクと映司が凸凹ながらも前に進んでいくバディものとして毎週楽しみにして観ていました。メダルも面白いくらい集めましたし、あの頃はギリギリベルトが装着できたので変身音を楽しんでました(お気に入りはガタキリバです)。
そんなオーズの10年後の続編。戦隊ヒーローではこういう作品も珍しくないのですが、近年の作品のスピンオフではなく、正統続編ということで胸を高鳴らせながら観に行きました。
これは賛否割れちゃうよなーって思う出来でした。一つの考え方で観ると中々に楽しめて、もう一つの考え方で観るとこれはアカンな〜と思ってしまう、そんな作品でした。
・完全にif、アンクが主役の視点で観た場合
最初はこの目線で観ていました。序盤から終盤まで映司よりもアンクの方が出番は多いですし、アンクが最高に人間くさい場面を見るとホント変わったなぁと胸がキューっとなりました。今回の変身も主に敵であるゴーダと後半はアンクが変身するので、実質仮面ライダーオーズ<アーク>として観るのが正解です。映司はイマジンみたいになってゴーダを攻撃するので、シュールだなと思いつつも面白かったです。変身音が独特でかつカッコいいオーズなので、多くのフォームを観れたのも感激です。特にアニメ版で圧倒的インパクトを残したガタキリバが今回はややスケール縮小しつつも四方八方からの分身キックを観れたのは良かったです。敵も卑怯だぞ〜!と断末魔を残しちゃっているので、そりゃそうだよなと思わず共感してしまいました。ただサゴーゾがまさかの出番無し…少しだけでも登場してくれればなぁ。今までのオリジナルキャストが総登場してくれただけでも胸いっぱいです。
・オーズの正統続編として観た場合
ただ、オーズの続編となると話は別です。アニメ版の最終回は賛否が割れていると聞いたことがあったので改めてアニメシリーズを見てみたのですが、しっかりと余韻を残しつつもオーズとしての物語はしっかりと幕を閉じていると思いました。なので正統続編ではなく、同窓会としての10年後をやれば良かったのになと。荒廃した世界というのは続編としてやる舞台設定としてはやや飽和気味だと思いましたし、死ネタに意外性があるとは思いませんでした。映司とアンクが生きる意味を、生きる理由を強く持ったアニメ版のラストを台無しにしてしまったのはとても残念です。バース2人も活躍の場面が少なかったですし、敵もそこまで脅威になる存在としては尺的な問題で仕方ないとは思いますが、もう少し強くあって欲しかったです。アクションシーンが思ったよりも少なかったのも残念です。
という感じで評価的には中立の立場です。どうしても素晴らしいシリーズの続編、あるいは完結編を描くのは難しいんだなと思いました。こうやってVシネマでスピンオフを作ってくれるのは嬉しいです。戦隊ヒーローみたいにもっと明るい作風でも良いのになぁ。そういえば来年はフォーゼもやるのかな〜と思いましたが、事情がありまくりだったので厳しそうでした泣
鑑賞日 3/16
鑑賞時間 17:15〜18:25
座席 L-21
安直なハッピーエンドより今回の終わり方の方がオーズらしい
オーズというか火野映司の物語を完結するためには今回のエンディングしかなかったと思うし、みんな生き残ってハッピーエンドはオーズらしくない。
それに今まで散々アンク復活ネタはやってきたので、この終わり方は正解だと思う。
この作品も含めてオーズという作品が更に好きになりました。
意欲は買えます。
主人公の処遇が賛否両論のようです。全体的に、あまり見ないような独特な変化球を投げ続けている印象。それはそれで方向性としては面白い試みで、連ドラ時のイメージとも、それほどかけ離れたわけではありません。
しかしながら、とにかく、救いがない。
本当に、救いがない。
テレビ放送ならともかく、わざわざ映画館に出かけて、お金を払ってまで見たい内容ではない。
アンク復活は嬉しい、けど、、
アンク復活はすごい嬉しかったです、でもオーズ大ファンとしては、期待してたとはちょっと違って残念でした、でもストーリー的にはかっこよくて面白かったです、火野映司はこんな人やったなって思い出しました、悲しい終わり方しましたが、またいつか、再会するのを待ってます
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