「聴こえる私が守らなきゃいけない」コーダ あいのうた りかさんの映画レビュー(感想・評価)
聴こえる私が守らなきゃいけない
以前、仕事で手話を大勢の前でしなければいけない時があった。全くの経験が無いのに。
堪能な同僚に指導してもらい自分のパート分を必死に練習し、一応習得でき役目を果たせた。
その時、思っていたのは、
大勢の前でなく居られるならその方のところでやればいいのに、
不特定多数に対してなので、する必要性あるのかどうか、パフォーマンスでは⁉︎
など。
不得手だし、大勢の前で失敗したらとか消極的思考。
その後はする機会もなく。
もし、健聴者の誰もが母国語を話すように手話を習得していてそれが当たり前の世の中なら、
このお話のルビーは、もっと自由で肩に両親の期待がズッシリと乗る事もなくレッスンに遅刻もせずにいた筈だし、本作は生まれてはいなかったかも?
そんな世の中ではないので、本作はヒットした。
ただ、手話を身には付けていないが、代わるものがあった。
人々の心だ。
ルビーへの
父•母•兄の心、BFや先生の心、友人や保護者の心、そして、父と兄への漁師仲間の心。
多くの人の心がルビーを家族を温かく包み込む。そんな人々の温かい心たっぷりの作品だった。
『エール』と見比べましたが、どちらも良かった。ポーラとルビーが最後に歌う歌も。
[追記]
映画を観て良かった、とは思うが、
また別にこの作品がどうしろ、と訴えている訳ではないが、エンタメとして考えればいいのだが、何か心にそれでいいのか?と聞く声も聞こえそうで、しかし、多分、何もしないと思う。
障害者モノなのに明るくて下ネタ満載で最後に波状攻撃で泣かせてくるとか最高過ぎて コーダを見た年は年間自分ランキング1位🥇でしたよ😇
りかさん こんばんは。
コメントへの返信ありがとうございます。
こちらこそ、ありがとうございます。
『旅立ちの時』が大好きな作品なので引き合いに出して、最悪なことにネタバレを書いてしまったところ、ナイスフォローのようにコメントしていただき本当に感謝しています。
共感ありがとうございます。
魚の事なんか書いてる自分のレビューとは比較になりませんね。不特定多数に表現する事、「正欲」でも取り上げてましたが違和感が拭い去れない所は確かにあります。
短時間で手話を覚えたなんて凄い集中力ですね。
私はなんかの授業でアイウエオと習ったけれど
満足に形になりませんでした。
良いレビューですねー。
りかさんは必ず疑問点を書かれますね。
斜めにみたり裏返したり、そう言うところ
とても素晴らしいと思います。
りかさんへ
1989年はベルリンの壁崩壊の年である一方、天安門事件で中国が民主化への芽を摘んだ年でもあり、芸術家に方々にとっては作品創造に際してはかなり意識する年なのではないのかなあ、と勝手に想像しています😊
コメントありがとうございます。
本作の起点は、ルビーが合唱部に自ら入部したところだと思います。
色々考え悩んでいるだけでは、人生は好転しません。
夢があるなら、夢を掴むための行動をする勇気を持てという言葉通りの行動でした。合唱部に入部したことでルビーの人生は夢に向かって動き出します。
行動する勇気を持つことの大切さを教えてくれた作品でした。
では、また共感作で。
ー以上ー
おととい、地上波で初放映していましたね。90分の短縮版でしたので、はしょった感は仕方なかった。お下品なシーンは全カットでした。でも、レオ兄ちゃんとV先生が本当にいいやつで、泣けて仕方なかったです。
まずは何か感じることが大切なのでは。
私は耳が聞こえない人のことも、それを支える家族のことも、この映画を見るまで、考えたことがありませんでした。
もちろん、何か行動に移せるのならば、それはすごいとは思いますが。
まずは「知ること」ですかね。
リカさん
別作品へのコメントですが、ありがとうございました。
広島県の福山市の福山駅前にあるミニシアターです。
ここの劇場ってミニシアターの割には音響が良くてオススメです。
駐車場が無いから車で行くと不便なんですけど。
近くにいらしたら覗いてみてください。
いやいや、こちらこそ、ご理解頂きありがとうございます。ぜひ『愛は静けさの中に』をご覧下さい。そして、歓送をお聞かせ頂ければ大変に嬉しいです。よろしくお願いします。
遅くすみません。
『Children of a Lesser god』が原題です。訳すと『神からの恩恵を受けていない子供達』になろうかと思います。随分と差別的な題名で『邦題の方が良いな』と思った事もありました。しかし、だからこそなのです。あまり話すとネタバレになります。ご覧になることをお勧めします。いつも一方的なレビューばかり書く僕が言うのもなんですが、見る人の印象が真実だと本当は思っています。
こんばんは、遅く申し訳ございません。おじゃる台詞が気になりました。僕はこの台詞はマーリー・マトリンの為に入れた台詞と思っています。そうでなければ、この台詞は考えられない台詞だと思っています。残念ながら、偽善とか良心とか関係なく、普通にそう思います。但し、聞こえないからと言って、不幸では無いと思います。ただ、耳の聞こえる僕が聞こえなくなったら、やはり、そう考えれば、憂鬱になります。
誤解しないで下しいね。すみませんでした。
母親役のマーリー・マトリンの台詞が僕は気になりましたが、彼女は実際に聾唖者です。だから、僕はショックでした。
マーリー・マトリンは『愛は静けさの中に』という映画でアカデミー賞を取っています。受賞したことは兎も角。良い映画だと思います。一度見てみて下さい。