デューン 砂の惑星 PART2のレビュー・感想・評価
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大画面で観てよかったSFエンタメ大作
前作で吹き荒れた砂嵐は少なくなり、代わりにウォームに乗ったり神秘的な儀式のシーンが増え、しまいには悪玉ハルコンネンを成敗でき、愉しかった。
シャラメ君もゼンデイヤさんも前作より戦闘シーンが増えてカッコよさ増し増しだったが、若手ヴィランを演じたオースティン・バトラー君の迫力は出色だった。他のキャスト、特に女性陣も良かった。
前作に続き今作も巨額の費用がかかっているのは間違いなさそうでその分プレッシャーも凄まじいだろうし、ゆえに監督はシリーズ化を否定されているのかな、と思う。とはいえシャラメファンとしては、制作進行中の、複雑な背景事情が明らかになってきた中で皇子ポールがどうしていくのかが描かれる次作の公開をとても楽しみにしている。
自身の選択の先に
砂の擦れ合う音のみが広がる世界を砂の映像と音でうまく融合され、そこに潜む主人公の表情と唇の渇きから観てるものにその感覚を擬似体験させる様な緊張感を描く。
自己が予見する未来とそこに起こるであろう悲しみ。
いまの弱さと脆さを感じつつ、アトレイデス家、自己の望み、殺戮を受諾するべきか?その中で自問自答し模索する未来。
そしてその選択が迫る中、ハルコンネン家との攻防も激化し黒い欲望が絡み合い一筋縄ではいかない輩たちが渦巻く中でどう立ち向かうか?
彼が選択する行動が心に響き、それを背負う姿がとても凛々しく哀しげに映し出され観てるものとして主人公を好きになる。
最高の音楽
前作に続いて、期待を裏切らない出来。
砂の惑星でポールが如何に民の信頼を得て、救世主クウィサッツ・ハデラックとしてカリスマ指導者になる過程を丁寧に時間をかけて描く。
この手のSF映画では珍しク戦闘シーンは少なく終盤の侵攻シーンも意外と呆気なく終わる。それだけヒューマンドラマに重きをおいているということだろう。
今作で重要な立ち位置になるのがチャニの存在だ。「救世主を信じると救世主に頼るようになる」と一貫して救世主に対する危うさを抱く存在として描かれている。これは単なるSF映画としてではなく、現代へ通じるヴィルヌーヴ監督が伝えたいメッセージだと感じる。
もう1つ、特出すべき点が音楽だ。ヴィルヌーヴ監督初期の「灼熱の魂」から商業大作の「メッセージ」「ブレードランナー」においても、展開に合わせた音楽を外さない。今回も重低音を中心にチャニとのシーンでは柔らかい包み込むようなサウンドで観客を引き込んでくる。前作に続き音楽を担当したハンス・ジマーには脱帽だ。
個人的なお気に入りは「足音で誰だか分かった」とのセリフでガーニー・ハレックが再登場するシーンだ。前作に引き続き、ジョシュ・ブローリンの演技は秀逸。フレメンとは違う視点でポールを支える部下を熱演。復讐を果たすシーンでは観客も一緒に熱くさせる。
3部作最後の展開にも期待だ。
砂漠に語らせる星の歴史
◉揺れる者たち
スペースオペラとか言うよりは、目を離せなくなる歴史のいくつかのシーンを見せられたような感覚です。エモーションを極力抑えて、砂との対話を力に変えたポール。そして何の躊躇もなく言霊に身を預けてしまった母レディ・ジェシカ。この二人の転身で続編は始まった。
顔に微かに発光する文字? 文様? を浮かべたレディ・ジェシカの美しさにドキドキしました。彼女はやがて1冊の予言の書になるのだ。
ところが二人に引っ張られて、フレメンとハルコンネンの戦いが燃え盛ったりはしなかった。力に目覚めたはずの男子と、その男子に恋することで明日が見えてきたはずの女子は、内なる何かを求めて揺れ続ける。
◉揺るぎない砂漠
一方で、砂漠は急いて変わることなどしない。砂は事実をありのままに述べる「叙事」の象徴であり、もう一つ、悪夢もその中に身を置いてじっと息継ぎしていれば、どうにか道は開けると言う「忍耐」を表していたとも思えました。
それから、瞳の青は遠い彼方の空を思わせる色だと思いました。心ではなく予言に我らの運命を委ねる…みたいな言葉が出てきたけれど、長い年月を経て心は弱り、そんな身構えに陥っているフレメン。救いの光に見えたポールも、いきなり真っ直ぐに闇を照らすことは出来ない。故に気丈なチャニの苛立ちは日に日に募る。
ところが、ゼンディヤのぶっきら棒さが、なかなかの魅力で。
◉重たい戦争
サンドワームの参戦によって、何もかもがストップモーションのような、睨み合うような戦闘になった。重さのため、戦闘もアクションに見えない。一瞬が生死を分けるはずなのに、兵士たち何かに憑かれたようにさまよう。力を与えられるはずのサンドワームは戦士を潰しかねない。強力な武器は常に諸刃の剣と言うこと。
予測された統率者ポールが繊細なのか、傲慢なのか分からなくなり、しかしその不透明さのために、話の面白さは倍加したようです。
◉燻んだ薔薇の花
日が昇り日が沈む砂丘が、柔らかな薔薇の花叢のようで、度々見惚れました。前線の殺し合いも銃後の戦略も間違いなく物語にはあって、でも、この物語のテーマはそれだけじゃないと、気持ちよくはぐらかされているうちに、時間が有無を言わさず流れてしまった感じです。
いや、単に私の理解力が追いつかなかったのです。膨大だな! と言う感覚だけがしっかり残りました。ここが終わりではない、全てじゃない、星の歴史は更に重たいステージを用意しているのでしょう。
映画館で鑑賞推奨
映像美が凄かった。映画館の大画面で見た方が絶対に良い。その反面、砂嵐のシーンなどは迫力がありすぎて、自分も砂まみれの中にいるような気にもなるほど。
物語はちょっと「スターウォーズ」の雰囲気があるのですが「高層ビル街だらけの未来都市」的なシーンがないのと、衣装、宗教的な表現などが差別化を図っているかと。
主人公ポール役のティモシー・シャラメの「王子様オーラ」が個人的にはこの作品の一番惹かれる理由なのですが、パート1では「大切に育てられた王子様」からパート2では「有無を言わずに試練を与えられ、予見してしまったことで葛藤し皇帝の座を選ぶ」ことで逞しさ、それも清濁併せ呑むしたたかさを兼ね備えた逞しさを見事に表現していたと思います。
そして、オースティン・バトラー演じるフェイド・ラウサが実に素晴しかった!狂気に満ちたオーラにゾクゾクしました。凄まじかったですね。パート3でも活躍するかと思っていたので、まさかの展開は残念でした。誕生日式典の闘技場のシーンがモノクロになる演出がカッコ良かった☆
個人的に「皇帝」の皇帝感が低い印象。全宇宙を統べるようには見えない。。。。
それともう一つサンドワーム(砂虫)の上に乗るシーンがあるのだけど「上に乗る」までは理解が出来るが「コントロール」出来る理屈が全く触れられていないのが消化不良。ましてやフレメンの一人が飛び乗るだけではなくて、数十人が乗って民族大移動みたいなことをしているのは全くの疑問??? それと操縦時は全く地中に潜らないんでしょ?都合良すぎやしないか??
完全制御できなければ、こんなことは出来ないし、完全制御できるのならサンドワームでハルコネン家統治下時代に主要拠点を襲撃できるだろうと。全く説明なしにいつのまにかそんな便利な存在になっているのが納得出来ない。無粋だが、どうしても引っかかる。
判りやすく構成されてはいるのですが、流石に情報量が多いので何回か繰り返し見たいですね。
映像・音楽・衣装・配役・演技は素晴しかったのですが、ストーリーというか、構成がちょっと全体的に長すぎるかなと言う部分と、はしょり過ぎかなという部分が感じました。
こじんまりしていた
part1を観ていたので慣性力でこちらも映画館で観た。
悪くなかったがすごーく良いところもなかった。
砂漠に向かうポールとチャニの雰囲気は良かったし戦闘シーンも1より良かった。また浮遊砲台みたいなのが大砲ぶっ放すのも好みだった。俳優陣なんて最高だし、世界観には痺れる。映像も音楽、音響も素晴らしい。。。
だがしかし、何でだろう単調というか、ストーリーの広がりが無いというか、こう、こじんまり感が拭えない。もしかしたらDUNEの惑星に慣れてしまったからかな?
コレは三番煎じはキツいのかな、でも私はpart3も出たら観に行くが。
追伸
映画館は自分以外の客はゼロでした!それはそれで貸切映画館状態で良かったが、興行がシンバイ。日本人よ、もっとSF作品観よう!
その星の名は
パート1を観た後、原作を読もうと思っていたけど、結局読まないまま、パート2が始まってしまった。さあ、話についていけるだろうか…。あーあ、やっぱりついて行けなかった。ストーリーが早回しか、ってくらい省略の嵐。疑問は次々浮かぶが、後回しにしないと「わからない」が積み上がる一方だ。ヴィルヌーヴさ〜ん、原作通りに進めてるのかもしれないけど、もう少し、優しくしてよ〜。
ポールはチャニのどういうところを好きになったのか。逆に、チャニはポールの何を好きなの?どうしてこの2人が愛し合うのか、きっかけとかが全くわからない。いつの間にかそばにいた、って感じ。レディ・ジェシカは胎児に操られてるのか?妊娠していることが、有利に働いているのか?青い水を飲んで、フレメンの教母になって、ベネ・ゲセリットの力がより強くなったのか? フレメンは(ポールも)砂虫に騎乗してたが、砂虫と意思の疎通は可能なのか?砂虫はふだん砂の中で生きているのに、人を乗せてる時は、どうしてずっと砂の上を這ってるのか?思い通りに砂虫を動かせる仕組みが知りたい。
あと、ハビエル・バルデムがなー、ひねりの効いた役なら、もっと濃い味が出るのに、「リサーン・アル=ガイーブ!」って叫ぶだけじゃ宝の持ち腐れよ。実は皇帝のスパイだとか、裏切り者とか、何か切り札はないものか。ジメジメしたものや、オドロオドロしさを醸して、もっとハビをおもしろくしてくれー。
ハルコンネンも、前作では不気味だったのに、あっけない終わり方だよね。甥2号のルックスは良いのだが、やはり若いし、それほど悪いにおいがしない。えっ、まさかただのアクション要員? 甥1号もダメダメだし、ハルコンネンは自分の足で立てないし、ポールと戦う人材が必要だからなぁ。結局甥2号は、1作で消えてゆくのであった…。ハルコンネンの血縁について、次作で展開があると期待してよいのかな。
前作に引き続き、映像はほんとにいい。機械や建物のデザインはかっこいいし、位の高い女性たちのお召し物などもすてき。フローレンス・ピューは品があるし、レア・セドゥは色っぽいし、レベッカ・ファーガソンは妖しい。ゼンデイヤは本人はもっとセクシーなのかもしれないが、役柄から言って彼女らしさは出てないのでもったいない。女優陣については、不満はないっす。音楽は前作から連投の、ハンス・ジマー。私は、女性の強いボーカルで始まる曲が好きだったので、今回は少し印象が薄い。
前作にはジェイソン・モモアがいたが、今回はやはりいない。さみしい。弁慶不在で、義経が頼朝になってしまい、やはり政治色が強まった。上総介を殺した鎌倉殿のように、ポールもこれから血を流しながら救世主となっていくのだろうか。グダグダ書いてしまったが、それだけ期待していたわけで、パート3に展開するため、中継部分ゆえに難しかった、ということにしておこう。ちゃんと次も観るし、こうなったら、映画が完結してから原作読むわ。
美しく神秘的そして壮大
前回のアトレイデス家が滅亡され、逃亡し、砂漠の民フレメンのジャミスと決闘し勝利したことで認められ行動を共にするところから始まる。
終始不思議な感じがして、引き込まれる。
砂漠がどこまでも広大で美しい。
その砂漠に住む砂虫。とても危険で奇怪だけれども、限られたフレメンだけが乗りこなし、操ることができる。フレメンとして救世主になるために、ポールがそれに挑み砂虫を乗りこなすべく奮闘するシーンはかなり緊迫する。そしてその砂虫を意のままにする事でフレメンとの絆が強まる一方、母上は新しい教母として底知れぬ何かに生まれ変わる。
Part1のティモシー・シャラメは本当に美しいと思ったが、Part2のティモシー・シャラメはさらに美しく逞しくなっていた。やはり王子としかいいようがない。素敵です。
生き残ったアトレイデス家とハルコンネン家の戦いは
もっと根深い皇帝の陰謀であり、その陰謀は教母によって操られていたとは。
信じ難いのは、ハルコンネン家の甥フェイド=ラウサがポールと従兄弟と言うこと。???ポールがハルコンネン家だったと言う事実。
恐ろしや。信じたくありません。
しかし、最後の生き残りをかけたポールとフェイドラウサの戦いは、それこそ緊迫する戦いで、手に汗を握ったが、ポールの勝利で最高のクライマックス!
政略結婚の為とはいえ、チャニの複雑な気持ちがあの表情で、嫌というほど伝わってきた。Part3でどうなるのだろうか。
かっこよすぎる。
最近の映画ではまれにみる多額の費用をかけた映画という感じがする。
これは映画館で観たい。
壮大な内容とセット。
ティモシーシャラメの成長がすごい。
周囲の力添えと運、縁。
観て良かった。
次回作も期待。
予言と力
パート1の復習をしないままの観劇だったので、思った以上に前回の内容を忘れてしまっていた。
それでも冒頭から一気に視覚的な面白さとシナリオの面白さに引き込まれる。
ポールは本当にフレメンが求める救世主なのか。
彼自身は救世主であることを否定するものの、やがて彼の英雄的な活躍によってフレメン側は反撃の狼煙を上げる。
採掘場を強襲するシーンや、ボールが初めて試練としてサンドワームを乗りこなすシーンは大迫力で見応えがあった。
全宇宙を思い通りに支配しようとする帝国側に、独自の目的で行動するベネ・ゲセリット、そして皇帝と結託して砂の惑星アラキスを手中に収めたいハルコンネン家と、それぞれの思惑が交錯して前作以上に重厚感が漂っていた。
やがて予言通りにポールはフレメンを導いていく力を得るのだが、彼が求心力を持てば持つほど違和感を覚えた。
おそらく観客に近い感覚を持つのが、彼に密かに想いを寄せるチャニだろう。
砂漠の民のリーダーであるスティガーが、ポールを救世主であると盲信するようになるのに対して、チャニは何もかも予言の言葉を信じようとするフレメンに反発を覚えるようになる。
それでも次第にポールは彼女の手の届かない存在になってしまう。
使命を背負ったボールよりも、このチャニの切ない想いに共感するシーンが多かった。
果てしない苦しみが続き、先が見えない極限の状態が続くと、人は予言や救世主の存在に頼りたくなってしまう。
そして確証はなくても、もしこの人なら何かを変えられるかもしれないと望みを託すことが出来れば、それにすがってしまう気持ちも理解できないではない。
しかし、誰か一人の人間にすべてを託すことは危険なことでもある。
強大な力を手にしたことで心変わりする人間もいる。
一貫してこの映画で描かれるのは暴力としての強さだ。
ハルコンネン家の跡取りフェイド=ラウサなどは全く慈悲の心を持たずに、自分の気分次第で平気で人を殺す。
それが強さであると信じている。
そして皇帝はアトレイデス家が滅ぼされたのは、ポールの父親レトが弱い人間だったからだと言う。
しかし強さと暴力は全く異なるものだ。
真に人の心に寄り添うことこそ本当に強さが必要なものだ。
何故か繊細であることや優しさは弱さであると勘違いする人間が多い。
それでも少しずつ世の中は変わりつつある。
パート2の後に続編があるのかは分からないが、最後まで武力で闘うことでしか勝利を得られない展開は悲しかった。
そこに映画としてのテクノロジーは最先端なのだが、何となくこの作品自体の古さを感じてしまった。
As written (予言の通りだ)
字幕版を鑑賞。今作はIMAX用に作られた映画だけど、ローアングルや、キャストと同じ視点になり、自分が砂嵐に入っていくようなカメラワークがみられ、飛び出してきそうなリアルさ。花粉なのか画面の影響受けたのかで 鼻むずむずした。音響も、心臓に悪い轟音でじゅうぶん臨場感あった。特に砂虫が登場する場面の轟音と画面の煙さは一級品。
音楽はTENETイズム、白塗り坊主の不気味さは怒りのデスロードイズム感じられるなぁ、と思っていたら、白塗りって訳でもなくモノクロ映画になった感じだった決闘シーンは引き込まれた。次期公爵の残虐性がみえる描写は目を細めてみた。
砂虫を乗りこなし、大勢を運ぶのは面白かった。あと、空飛ぶスーツも!!ただ刀で斬れてしまう脆さなのだが。
死体の体内の水の取り方、使い道、敵の場合と味方の場合。吐くのも勿体無いことだし、涙も貴重な水分だから我慢。面白い設定だなぁ。
衣装は、急に流行りのバラクラバ登場させたりして顔周りが特に凝っていてお洒落だった。
ストーリーの感想としては、『お母さん。あぁ、お母さん…』が心の声。ポールを守る為に、胎内の赤ちゃんと共に民衆を煽動していく。
ポールは今のところお母さんの考え通りに動いてるけど、、さてどうなる。
パート3へ続く感じしかない終わり方だった。
壮大なSF叙事詩
砂の惑星2作目。
過酷な砂漠に馴染み、リーダーとして頭角を現すポール。
フレメンを味方につけたことにより、ついに宿敵ハルコンネンを倒し、皇帝へと大きく歩み出す。
当初は、ハルコンネンを倒し、皇帝を目指すのが映画としてのゴールかと思いきや、
どうも通過点であることが分かった。
起承転結、物語の「承」通過点がいちばん難しい。始まりでも終わりでもない、でもそのシーンはなくてはならず、全作を見終えたときに、本当の評価が決まるんだろう。
今回恐ろしいと感じたのは、ハルコンネンでも皇帝でも砂虫でもなく、
ポールの母親だ。
息子に多くの犠牲を強いても、彼女が目指す世界とはどのようなものなのか。
皇帝に教母、大領家の思惑、戦争、
その先に緑の惑星があるのか。
壮大なドラマは始まったばかり。
最後まで見届けたい。
素晴らしい映像体験!
(ネタバレあり)
デューンの世界を知れば知るほど沼にハマる。
砂漠を駆けるサンドワームに乗って見たい!そう思えることがSF映画は大事。
知らない世界へと連れていってくれる世界観の構築と映像体験がなにより素晴らしい。
選ばれし者として自分の使命を全うしようとするポールが、Part1とは違う私の知らないポールに変わっていく様子をチャニの気持ちに感情移入しながら見てしまいました。
ゼンデイヤのチャニがとにかく良かった。
またポールが皇帝の前で父レトの復讐を遂げるシーンはポールが成長してここまで来た想いが伝わってきて涙が出た。
ガーニイとの再会も胸が熱かった。
Part3制作goおめでとう!
早く続きが見たい!
とにもかくにも、IMAXで鑑賞すべし!
PART1公開時は全く興味がなくスルーした数年後、ティモシー・ゼンデイヤ・モモアが好きになったので、PART2は映画館で観たいと思いPART1を視聴してからPART2に臨んだ。(モモアもスクリーンで観たかった…)
SNSでDUNE観るならIMAXの声が多かったので、ここは手堅くIMAXで鑑賞することに。
PART1はストーリーの導入の役割が強かった代わりに、2の方がファンタジー色もバトル色も強め。ポールの主人公としてのキャラ立ちもしてエンタメとして楽しみやすかった印象。
ティモシー、人の心を掌握する系カリスマ主人公が似合いすぎる。
今回のストーリーとIMAXとの相乗効果がすごいかった!
ほぼ砂漠のシーン、特に砂嵐の中を抜けるシーンはなんだか息苦しくなるくらいの没入感があった。
もともとIMAX画角を求めてIMAXにしたけど、音響による没入感にも驚き。
サンドワームライドの地響きに身体が震える臨場感、決闘でナイフを交わす緊張感に思わず前のめりになり、呼吸も忘れてしまうくらいだった。
IMAX認証で撮るからIMAX以外に価値がなくなり興行が落ちてる云々と巷で言われているようだけど、この世界観を最大限表現できる技術があるのに使わないわけないじゃん…!
SNSでサンドキャットが流行っていたり、鳥取砂丘とのコラボなど、壮大な世界観とは裏腹に、ユーモアあふれるかわいらしい一面もあるところも魅力。
PART1公開時から観とけばよかった〜
私たちはどこに行くのか
DUNEを映像化できるのは、ヴィルヌーブ以外には考えられない!くらい素晴らしい作品でした。part1は、ストーリーや登場人物についていくのに精一杯でそこまで感情移入ができなかったのですが、part2はストーリーが面白いのはもちろんのこと、登場人物の描写が非常に情緒的で作品に入り込んでしまいました。
本作の舞台は西暦10191年ですが、人類は現在も過去も未来も本質は全く変わっておらず、為政者が利権の為に戦争を繰り返し、暴力が蔓延っていました。また、暴力に晒され続けた社会は、神秘主義に傾倒し救世主の登場だけを待っていました。
人類にはどうして宗教が必要なのか。どうして大衆は強者を欲するのか。どうしてキリスト教が生まれたのか。どうしてずっと争いが絶えないのか。本作は未来を描いたSFではありますが、自分がタイムマシンに乗って過去の人類史を俯瞰して観ている錯覚に陥りました。いや、現在のガザでもウクライナでも資源(利権)を巡り多くのフレメン(大衆)が傷つき殺されています。それなのに私達は、、、
恐らく人類は自分にとって脅威的な存在を神聖化する能力に長けているのでしょう。DUNEでは脅威である砂虫を神聖化していましたが、例えば山や海という自然、獅子などの動物も私達にとって脅威だったから神聖化して多数の災い(不条理)を受け入れて自分達を納得させてきたのだと思います。だからこそ神という概念ができたし、強者という独裁者が登場したのです。こういった人類の柔軟性は、時としてファシズムを生み出しました。もしかすると核が神になる未来があるかもしれません。
ラストのフレメンの熱狂、高揚したポールに取り入れられずに砂漠の戦士のままのチャニ。原作とは違うらしいですが、こういうところも良かったです。
核を持つ人類の未来はどうなるのでしょうか。砂漠の民フレメンに象徴される大多数の大衆は、どこに向かうのでしょうか。果たして人類は、10191年まで途絶えることなく命を繋ぐことができるのでしょうか。
私が初めてヴィルヌーブ作品を観たのは2011年の《灼熱の魂》。以来、ずっとヴィルヌーブ作品を鑑賞し続けていますが、《メッセージ》以降の彼の作品はレベルが違うというか、映像技術や美的センスのみならず、《生と死》をエモーショナルに感じさせる能力が覚醒したと思います。
《生と死》をここまでエモーショナルに描けるのは、今の映画界でヴィルヌーブの右に出る者はいません。《メッセージ》《ブレードランナー2049》《DUNE》が一貫して私達に送るメッセージは、自らを驕り生を軽んじている人類へのメッセージの様に感じます。
ヴィルヌーブという天才と同じ時代を生きられて本当に良かったと思いますし、今後数十年にわたり、映画界を背負っていく人物に間違いないと思います。
誠実だった主人公が、救世主として振る舞い独裁者に変貌していく姿にリアリティを感じ、恐さを覚えた
ドゥニ・ビルヌーブ 監督による2024年製作(166分/G)のアメリカ映画。
原題:Dune: Part Two、配給:ワーナー・ブラザース映画、
劇場公開日:2024年3月15日。
未読だが原作は、フランク・ハーバートにより1965年に執筆された『デューン 砂の惑星』とのこと。古典とも言えそうだが、現実に独裁者により戦争が起きている今、同時代性を感じさせられた。時代に合わせて、ヒロイン・チャニ(ゼンデイヤ)のキャラクターもかなり変えられているらしく、主人公ポール(ティモシー・シャラメ)の独裁者への変貌に反発する彼女の感性に共感も覚えた。
数千年後の地球外惑星が舞台というSF映画ということなのだが、剣による決闘や肉弾戦も登場し、まるで古代の戦争映画の様で不思議な感じ。とは言え、強大な香料採掘用の重機や翼を羽ばたかせて飛行する航空機も登場しての戦いの映像は、派手な爆破シーンも満載でなかなかの迫力であった。
映像的には、やはり砂漠の中の巨大砂虫サンドワームの上にティモシー・シャラメが乗って、砂漠を猛スピードで突き進め映像には感心させられた。サンドワームの造形(デザインはパトリス・バーメットらしい)も流石と思ったが、サンドワーム幼虫を素手で掴んで水中で溺死させ、青い体液を「命の水」として採取する映像のリアリティ感にも、いたく驚かされた。
前作でもそうだが、今回も主人公ポールが夢として見る未来映像、今は未だ母のお腹の中にいる妹の未来の姿や悲惨な全面戦争画像も含めて、「メッセージ」の夢映像で感動させられたビルヌーブ監督らしく、何処かノスタルジックで艶かしく、とても素敵であった。
主人公の母(レベッカ・ファーガソン)が、砂漠の民たちが有する救世主神話をしっかりと利用して、自分及び息子の立場や権力を築いていくという物語展開が、現実の世界の権力と重なる毒を含んでおり、怖く感じた。そして、何より誠実だった主人公ティモシー・シャラメが、周りの状況もあったが救世主として振る舞い、皇女(フローレンス・ピュー、衣装も含めて実に魅力的)に政略的結婚を持ちかける独裁者に変貌していく姿に驚かされ、ついてていけないものを感じた。同時に、現実の独裁者の誕生ももしかするとこういう感じなのか、と新たに気付かされた側面もあり、なかなかに怖くて深い映画だと感じた。
最後、主人公と別れたヒロイン・ゼンデイヤが砂虫を呼ぶ決意を感じさせるカッコよい映像もあり、Part 3への期待も大。
監督ドゥニ・ビルヌーブ、製作メアリー・ペアレント 、ケイル・ボイター 、パトリック・マコーミック 、タニヤ・ラポワンテ 、ドゥニ・ビルヌーブ、製作総指揮ジョシュア・グローデ ジョン・スパイツ 、トーマス・タル 、ハーバート・W・ゲインズ 、ブライアン・ハーバー、ト バイロン・メリット 、キム・ハーバート 、リチャード・P・ルビンスタイン 、ジョン・ハリソン、原作フランク・ハーバート、脚本ドゥニ・ビルヌーブ 、ジョン・スパイツ、
撮影グレイグ・フレイザー、美術パトリス・バーメット、衣装ジャクリーン・ウェスト、
編集ジョー・ウォーカー、音楽ハンス・ジマー、視覚効果監修ポール・ランバート。
出演
ティモシー・シャラメポール・アトレイデス、ゼンデイヤチャニ、レベッカ・ファーガソンレディ・ジェシカ、ジョシュ・ブローリンガーニイ・ハレック、オースティン・バトラーフェイド=ラウサ・ハルコンネン、フローレンス・ピュー皇女イルーラン、デイブ・バウティスタラッバーン・ハルコンネン、クリストファー・ウォーケンパーディシャー皇帝シャッダム4世、レア・セドゥレディ・マーゴット・フェンリング、スエイラ・ヤクーブシシャクリ、
ステラン・スカルスガルドウラディミール・ハルコンネン男爵、シャーロット・ランプリング教母ガイウス・ヘレネ・モヒアム、ハビエル・バルデムスティルガー、
アニヤ・テイラー=ジョイ。
面白かった転落物語(part1)と長くて退屈な成功物語(part2)
父を失い、家を失い、仲間を失い、残ったのは母と指輪だけ。1作目はすべてを持っているポールがすべてを失う物語で、緊張感が持続し、大変面白かったです。重厚な世界観もリアルな映像も新鮮でした。
では2作目となる本作はどうか。母子は砂漠の民フレメンに拾われたところからスタートします。ポールは仲間になるための試練に当然成功します。母は教母となる試練に当然成功します。成功するのが分かっているので緊張感がありません。1作目でワクワクした画像表現にも、もう新鮮さはありません。とってつけたようなイチャラブシーンも美しくもなければ官能的でもなく、退屈さに拍車をかけています。フレメンは男女平等でチャニの見た目も男の子っぽい。見ていてなんか気まずくなるラブシーンでした。彼女も手に入れリーダーになるというポールの成功物語はなんとも退屈。しかも「現地の女」であるチャニは、男子の本懐を遂げた後には捨てられる運命にあるのも、予知能力がなくても分かります。
ポールの予知夢の能力はなんの役に立つのかわかりません。夢を見ては逡巡を繰り返すだけで、物語の推進力を著しく損なっています。幻覚シーンも多く挟まれますが、表現は実験的でも斬新でもありません。監督はもっとドラッグ表現を研究したほうがいいのでは。
1時間半を使って、ポールは原住民たちの救世主に祭り上げられることに成功します。これも典型的な「白人救世主」物語であり、モチーフとされた中東のみなさんがどんな思いで本作を観るのか、気になります。そもそも中東系の俳優が起用されていないことに対してすでに批判の声が上がっています。純朴なフレメンのみなさんを見ていると、征服に来たスペイン人を救世主と勘違いしたアステカ王国とかインカ帝国の人々のことを思い出してしまい、悲しくなってしまいました。
後半、やっと物語が動き始めます。問題はハルコネン家のみなさんに魅力がなさすぎること。醜く、バカで、乱暴。美&善vs醜&悪。でラスボスの皇帝がまた醜く、愚かで、弱い。そんなんでよく皇帝になれましたね…。
戦い方も、銃器もミサイルも核兵器もあるのに、集団戦闘はチャンバラ。雌雄を決するのはナイフで決闘。整合性がありません。
原作を充実に映画化したのかもしれませんが、何しろ物語の構造が古臭いし映像は既視感あるしで、なんとも退屈な3時間でした。
ドルビービジョンで鑑賞しました 映像、音響、素晴らしかったです 有...
ドルビービジョンで鑑賞しました
映像、音響、素晴らしかったです
有名な俳優さんがドンドン出て来ます
映画館で観て良かった
前日にアマプラで1作目を予習して行きました
1作目は日本趣味多めでしたが、2作目は見当たらなかった気がします
スターウォーズの元ネタらしく思い当たる場面がチラホラありました
デビッド・リンチ版の補完ではありませんでした
(原作は読んでません)
ハルコンネンのオイル風呂の場面でスティングを思い出しました
メカや衣装も美しく眼福でした
砂漠の描写も綺麗でした
重低音が凄く良かったです
政治や宗教が少し分かりづらいですけど
(主人公が皇帝になろうとするのは闇を感じます)
鑑賞をオススメします
ティモシーシャラメとオースティンバトラーが引っ張ってる感じが良かったです
砂塵
圧倒的なスケールの大きさだった。
視界を覆いつくす程の砂漠、サンドワームの巨大さ。この舞台こそがDUNEの生命線だと思われる。
このスケール感ってか、この発想力はハリウッドにしか出せないように思われる。
もう筋金入りのドSFで…映画館でこそ観るべきだと思われる。考え抜かれたセットのデザインとか、衣装とか…眼福でした。
物語も相応なスケール感があって、復讐劇ではあるものの、その前段階に救世主への覚醒みたいな事もあって、一本道でありながらもちゃんと起伏を持たせてくれる。今作の最後に明かされる血縁みたいな事もあって、驚きもするのだけれど、今更って感じはした。
それよりも彼が下した政治的決断にたまげる。
それが最善なのだろうとは思うが…その為に手放した者は大きすぎるような気もする。
皇帝の娘との政略結婚。
しかも、ほぼ強制だ。こんな結末になろうとは。
前半の「私が助けてあげなきゃ」感は全くなくなり、眼光も鋭く皇帝に詰め寄り、足で恫喝する様はもはや別人だった。
今作のティモシーも、その広大なロケーションに全くヒケを取らない。壮大な砂漠のロケーションを背負って尚、それすら凌駕してるように思う。中に中に籠るんじゃなくて外に外に響いていくようだった。
衝撃的な事は他にもあって…
命の水とその原料とか、サンドワームライドとか、核弾頭とか!
何世紀にも渡る記憶を受け継ぐって…その効果がサンドワームの体液にはあって…飲んだ母親の胎児が、お腹の中から母親に話しかけたり…シャーマン同士でテレパシーが使えるようであったり…規格外!
ライドに至っては、サンドワームの存在価値さえ揺らぐ。アレは乗ってるだけなのかな?それとも操縦できるのかしら?操縦できるのだとしたら…砂漠の脅威というか、極限の象徴ってポジションだと思ってたのだけど、てんで可愛く見えてしまう。
予告編にあった地平線をひっくり返すようなサンドワームがもたらす破滅感が霞む。
次作もあるのかしら?
ボールの復讐としては節目であるとは思っていて…この後に起こる戦いは規模も趣旨も違う。
自由と尊厳を勝ち取る戦いになるのだろうか。なんかまだ続きそうな雰囲気はあって…てっきり2部作だと思っていたのだけれど、3があるなら楽しみだなぁ。
DUNEを舞台にやってほしい。星間戦争とかになると、オリジナリティがなくなるような気もしなくはない。
砂漠がホントに美しく…。
コレ砂漠でロケしたんだよなぁ、たぶん。そうじゃ無けりゃ説明のつかない事とか色々あんだけど。
冒頭のシーンとか、部隊が散開してくような動きがあって、まっさらな砂漠の上を歩いてく。
歩けば足跡が残るのは当然で、一発OKならばソレなのだけど、そうでないなら結構大変な事にもなる。
現場は相当大変だったんだろうなぁー。
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