「この作品の恐怖の正体とは」デューン 砂の惑星 PART2 moviebuffさんの映画レビュー(感想・評価)
この作品の恐怖の正体とは
一作目でヴィルヌーヴはこの壮大な物語の「エピック感」をアジるだけアジり、背景説明をしながら物語の進まなさを埋めているようだった(しかしながら、これは原作ファンを納得させ、信用を勝ち取るために必要な過程だったのだと理解している。)そして、今作ではその物語がいよいよ動き出す。結論から言うと、今作は一作目のスペクタクルを軽々と越えてくる。パート1は本当に序章でしかなかったのだ。これほど巨大なスケール感の物語は映画史上でも数えるほどしかないだろう。圧倒的イメージが波状攻撃のように3時間続く。ヴィルヌーヴお得意のじりじりと続く緊張感とそのスケール感に見ている間、畏怖のようなものさえ感じた。
人は本当に凄いものを見た時に、物語の筋がいいとか悪いとかそういう事を超越して、思考停止してしまう(私は前回はそれを感じたのはマッドマックスフューリーロードだった)が、今作も見ている途中から分析して見る事が不可能になるような体験であった。(おそらくはフルサイズのIMAXで鑑賞したことも関係していると思うが)今作は映画というメディアの持つプロパガンダ的、催眠的な力が凄まじい。ある意味危険な映画でもある。完全に映画の世界に埋没してしまう。
鑑賞からほぼ一週間経って、私なりにこの映画を観て感じた心の底の恐怖のような感情はなんだったのか分析しようと思う。もうすぐ公開のオッペンハイマーのように時代に選ばれた作品と言うのはその時代と自然にリンクしてしまうものだが、戦争、宗教、政治、そして砂漠の民側からの視点・・やはりここから、今現実に起こっている白人世界とイスラムの対立を自然に喚起してしまう。そしてさらにはその先の欧米の時代が終わる予感さえも。
カルトの教祖、独裁者、そして悪の血を持つものの末裔。スターウォーズやロードオブザリングの勧善懲悪と違い、この血みどろの戦いにポールが勝っても、血で汚されたその世界は本当に平穏を手に入れる事ができるのだろうか?ルークやフロドのように彼に心の平穏が戻ることはないのではないか。この状況はつまり今の我々の世界の事でもあるのだ。このような物語の重々しさが現代社会の状況をアレゴリーとして映し出し、心をざわつかせる。
力を得るとともに、呪われていくポール。力を得る事の危険性を理解していながら、そこに奥深く入っていく。ゴッドファーザーパート2のマイケル・コルレオーネのように、我々は彼の身に起こるべくして起こる事の顛末をただただ身をゆだねて見守るしかない。その事が恐ろしい。(思い返せば、そもそもゴッドファーザーパート2はマイケル、あるいは映画自体が暴力で世界を支配するがゆえに呪われているアメリカという帝国そのもののメタファーだった。)
ヴィルヌーヴはアラビアのロレンス、2001年宇宙の旅、地獄の黙示録を意識した野心的な作品作りをしているとパート1の感想の時に書いたのだが、まだ私にはこの作品がそのレベルの映画史に残る金字塔になるのかはっきりとは判断が出来ない。ただ、もし私が若くてまだ十代でこの作品を今見たら、ハンマーで頭を殴られたぐらいの衝撃を受けるんじゃないかとは思う。ヴィルヌーヴは映画は物語の奴隷ではなく、イメージの力こそ、映画の本質なのだと信じている。本当に観客を心底驚かせるような、こんな高い志の娯楽大作映画を作っている監督がまだこの世界にいるという事に感謝したい。
ヴィルヌーブはイメージ重視を今後とも続けてほしいですね。今作なんか原作が有るんですから下手にドラマチックにせず、原作ファンの想像を超えるモノを実写化してもらいたい。