「パッシングしなければ生きていけなかった」PASSING 白い黒人 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
パッシングしなければ生きていけなかった
日本人にはなかなか理解し難い作品ではなかろうか。
タイトルの“パッシング”とは“通り抜ける”という意味があり、ある人物の人種が別の人種として認識される…つまり、差別/偏見から“通り抜ける”という意味合いがあるとか。
比較的肌の色が薄い二人の黒人女性。
一人は黒人として生き、もう一人は白人のフリをして白人として生きる。
実際に家系の遺伝(先祖に白人の血が混じっている)などで、“白い黒人”として生きた例もある。
映画でもそんなに数は多くはないものの、“パッシング”を題材にした作品はある。『白いカラス』がそうであった事をぼんやりと思い出した。(ただこの時、ニコール・キッドマンが“黒人女性”を演じ批判を浴びたが…)
人種問題を扱った作品と言うと黒人への差別/偏見を描き、世へ問うものが多いが、本作のような題材は目新しい。
そもそも、黒人らしさとは…? 白人らしさとは…?
今でこそ生き方や価値観など平等に叫ばれているが(とは言っても、未だに問題や差別は根強く残る)、舞台設定となっている1920年代ははっきりしていたのではなかろうか。
まだまだ差別や偏見が激しかったその当時。
アイリーン。黒人だが肌が薄く、医師の黒人男性と結婚し子供もおり、裕福で地位もある暮らし。店などにも出入り出来、白人の友人もいる。
差別や偏見とは縁無いように思えるが、暮らしぶりや本人の性格は控え目。恵まれているとは言え、黒人は黒人。目立ったらどんな手のひら返しを受けるか…本人もそれが分かっているかのよう。
クレア。肌が白く、黒人である事を隠して白人として暮らしている。白人の夫にもそれを打ち明けていない。
性格は自由奔放。上流階級の白人のような振る舞い。
夫は堂々と「黒人を憎んでいる」。もし、妻が本当は黒人である事を知ったら…? 見た目か、中身か…?
二人は故郷のかつての友人。
久し振りに会ったら、かつての友人が見違えていた…ではない。“人種”が変わっていた。
この時、同じ“黒人”としてどう思っただろう。
衝撃…?
軽蔑…?
それとも、一種の憧れ…?
アイリーンは裕福ではあっても、何処か窮屈そうな感じを受ける。
そんな彼女から見たクレアの自由な生き方。
クレアはクレアで一見自由に生きているように見えるが、そうでもしないと生きていけない社会の不条理、実はそれを分かっている虚しさを感じた。
黒人が自分に偽りなく生きるには程遠かった時代。
人種云々ではなく、二人の女性の対称的な生き方として見れば分からんでもないが…、
でもやはりこの作品には人種問題に込めた訴えが根底にあり、それを理解や感情移入せずに見るには難解。
しかしながら、作品のクオリティーの高さには異論ない。
溜め息が漏れるほどの白黒の映像美。一つ一つのシーンが絵になるほど。
スタンダードな画面サイズも往年の名画を彷彿させる。
そして、3人の女性の才の輝き。
メジャー・エンタメの印象が強いテッサ・トンプソンが、引き込まれるほどの繊細な演技を披露。これほどの名演出来る演技派だったとは…!
旨味あったのはルース・ネッガの方かもしれない。白人のフリして生きる黒人という難役を見事に体現。オスカーにノミネートされるべきだった。
女優レベッカ・ホールの監督デビュー作。安全パイなハートフル作品にせず、難しい題材に挑戦。それだけでも驚きなのに、デビュー作でいきなり名匠のようなアート性のある才を魅せようとは…! 静かで淡々とした語り口は好みが分かれそうだが、ヒューマン・ドラマであると同時にサスペンス的な緊張感も含み、その演出力は本物だ。
作品は自分には敷居が高く、陳腐で拙いレビューになってしまったが、一味違う視点からの人種問題と3人の女性の才を見れただけでも。