「難解すぎ不思議な作品だが妙に涙がこぼれてきてしまう」やがて海へと届く R41さんの映画レビュー(感想・評価)
難解すぎ不思議な作品だが妙に涙がこぼれてきてしまう
冒頭のアニメーションから謎。やがて友人のスミレが死んだということがわかってくる。
ただ、それが行方不明というニュアンスは伝わってこない。死として受け入れるのかどうか、この部分がなく、マナの心境がわかりにくい。
親友のマナは、職場に突然訪ねてきたスミレの彼だった遠野に促され、彼女の遺品の処分と彼女の実家に行こうと提案される。
マナは遠野と一緒に住んでいたスミレのベッドに横たわると、彼女との、つまりこの物語が始まる。
この物語は、マナによってスミレという人物像を探し出す物語なのかなと思いながら見ていた。マナがどうしても探し出したいのが「スミレの心」で、それがどうしても探せない苛立ちが遠野に向けられるのだと考えてしまう。
同時にマナが自分探しをしているようでもある。サブタイトルが「喪失と再生」ということなので、マナはスミレの喪失に折り合いをつけられないのだろう。
マナが反応するのは遠野の言動だ。そこに彼女の問題の核心があると思った。
遠野の考え方は至極一般的だ。同時にどこかスミレを他人に見ている。そしてスミレの本心がどこにあったのかを考えようとしないことに苛立ちを覚えているようだ。
スミレはビデオカメラを持ち歩き、マナや遠野を撮っている。
スミレは言う「カメラを持つと落ち着く」「私たちは世界の片面しか見えてない」
マナ側から見たスミレとの思い出には、そこに起きたスミレの出来事は「見えていない」
それは作品の最後に、スミレが主体となっている出来事によって示される。
大雨の中、大きな荷物を抱えてマナのアパートに転がり込んだこと。
1年後にそこから出て、遠野のアパートに引っ越したこと。
スミレが撮った映像とともに、マナの記憶が足されて物語のパートが映し出される。
スミレがなぜ死んだのかは後半まで明かされることはなく、その間にレストランの店長が自殺した。新しい店長の方針は、前の店長の痕跡を消し去るようだ。
悲観するマナに休暇を取るように勧める料理長。彼と一緒に出掛けた先が、マナが行けないままでいたあの大震災の津波で崩壊した場所だった。
集会場では津波による被害や肉親を失った人々が、それぞれの体験談を語る。
マナはそこで初めて「友人がここに出かけていなくなった」ことを話した。
早朝の海辺 荒波 少女のわらべ歌は鎮魂歌だ。
マナは少女に「久しぶりに夢を見た」という。それがあの1年間スミレと一緒に住んでいたアパートで眠るマナと、そっと横に座ったスミレの夢だ。
「またね」 スミレが別れを告げに来たのだろう。
目覚めたマナは青い服に着替えて、彼女のビデオカメラを取り出し、再生した。
次にスミレが主体の物語が始まるが、二人が出会うきっかけとなった「猫のポーチ」がこの作品最大の謎だ。
スミレは落としたポーチをマナが拾ったのを見るが、「それ私の」と最後まで言わない。
当然マナはそのポーチがスミレのものだとは知らないままだ。ところが遠野のアパートで遺品整理する段ボールの中から、このポーチが出てきた。ポーチを手にしたマナに当時の記憶がよみがえってくる。夢の中で。
「猫」はスミレが実家で買っていた三四郎と呼応する。三四郎は自分の存在を鳴き声で知らせるが、信頼できない人の前には出てこない。
スミレと最後になってしまったバス停。スミレはポーチのことを言いだそうとするが口をふさぐ。言おうとしたのは、「なぜマナを選んだのか」ではないだろうか? 捨てられていた三四郎がスミレを選んだように。
ポーチはスミレにとってもマナと出会うきっかけだった。意識的にマナを選択したのだ。ポーチはスミレにとって心と心をつなぐの糸のようなものなのかもしれない。スミレはマナに何かを感じたに違いない。
スミレには母との確執があった。実家を飛び出したのも母とのけんかだ。
彼女の心境の変化は、ロングヘアーがミディアムヘアーになって、ショートヘアになっていくことで表現されているが、段々と余計な部分がそぎ落とされて、「ありのままの自分」になっていっているのかもしれない。
マナもパーマを当てた髪から、ストレートヘアー、それが少し伸びてゆく。それはごく一般的な時間経過…のようだ。
スミレのチューニングの話 「ありのままの自分を引き出してくれる人に出会えるかも」
マナはもうすでに出会っていた。それがスミレだ。それはおそらくスミレも同じで、マナこそがスミレのありのままを引き出してくれた人だからポーチをしばらくマナに預けていたのだろう。
スミレは遠野に質問する。「アツシにインタビューしても楽しくない」「カメラがないとしゃべれないんでしょ」「一緒に暮らそうか?」「でも小谷と一緒がいいって」「ずっと一緒にいられるわけがない」
同じ場面の映像を2度繰り返しているが、マナの側とスミレの側との心境の違いがよくわかる。
マナにとってはそれらはただの偶然の出来事で、スミレの考えで、それはそれで仕方ないことだと考える。
スミレは意識的で、ポーチの持ち主を名乗らず、実家を飛び出しマナのアパートへ転がり込んで、彼氏を見つけ、一緒に暮らし始める。この時スミレは自分に嘘をついたのかもしれない。本当は、ありのままの自分でいられるマナと一緒に居たいのだ。
しかし彼女の「本当の気持ち」はマナにも遠野にも、母にさえも分からないのだ。
ここで遠野の考えとマナの考えの対立がリアルに感じる。「スミレの本当の気持ちを知る必要はあるのだろうか?」
「心から信じている」飼っている猫や犬との無償の愛… そして、マナに対する心からの信頼と愛情。それがマナの夢の中で登場したスミレが、マナにキスをしようとする場面に現れている。考えすぎて自分を見失っていたのはスミレだったのだ。
実家、三四郎、母、マナ、遠野… それらを一旦置いたまま一人旅に出たスミレ。
彼女の目的は何だったのだろうか? それは、自分についた嘘と自分探しだったと思う。
白装束を着た老婆は言う「電車は来ない」 スミレは「思い」を抱え込んだまま逝ってしまう。
彼女と1年間暮らした学生時代からのアパートは、今でもマナは住み続けている。彼女からの伝言もずっと消せずにいる。
そしてやはり冒頭のアニメの続きがあった。ショートヘアの人物はスミレだった。彼女に駅で話しかけてきた老婆は、白い着物を着ていた。アニメの白骨と菊の花。スミレは菊にも白骨にもならず、肉が朽ち果て海になって、そして海の中から海辺に立つマナを見ていたのだ。マナを見届けたスミレの雫は、天へと昇り、やがて雨とともにマナの庭先の植物に注がれる。
青い服を着たマナ。夢でスミレと邂逅した後、ビデオを撮り始めた。
「覚えていますか、初めて出会った時のことを? そちらからこちらは見えますか?」
そしてタイトルへとつながる。
レビューを書きながら涙がこぼれてくるが、それが何を意味するのか自分でもわからない。
難しすぎて、妙に切なくて、涙だけがこぼれてくる。
ありがとうございます。
R 41さんの思考・・・
映画を観て、考えるのは楽しみだけど、苦しい面もありますね。
深く深く思考するから、“難しい“との言葉が出てくるのでしょうね。
本当に難解な作品。
そこが魅力ですね。
ぜんぜん知らなかったんですが、中川龍太郎監督の作品ははじめて
観ました。他の作品も観たくなりました。
監督は詩人しても活動とありますね、
次回作が楽しみになりますね。
R41さんのレビューに引き込まれました。
なんと書いて良いか分かりません。
この文章の世界を壊したくないです。
私には、スミレが自分から、遠くへ行ってしまった、と思えて
なりません。
そしてマナは忘れないスミレのことを、永遠に。
ラストを見ると、幸せ感を感じてしまうのですが、
スミレが見えないけれど存在している
そんな気がします。