世界で一番美しい少年のレビュー・感想・評価
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世界で最も美しい少年は60歳代後半になってもまだ美しかった
というのがビョルンの現在を見ての感想。
昭和40年代は現在より画像情報は圧倒的に少なく、カラーテレビがやっと普及し始めた頃です。
金髪碧眼の西洋人がフツーにいる今の日本と違ってまだまだ青い眼の人が物珍しかった時代。
ビョルン・アンドレセンが日本に与えた衝撃はそりゃあ大きかったのですよ。
だいたい当時の美しいと思えるものは外国(主にヨーロッパ)にしかなくて、だから美しい男女が必要な少女漫画はみんな外国が舞台。少女漫画を通して外国人の名前をたくさん覚えたもんです。
トーマス・マンの「ヴェニスに死す」のタジオは原作を読んで脳内再生していた美少年の数倍上をいく美しさでスクリーンに登場したビョルン。当時の日本人が魅了されるのも無理はない。
チョコレートのCMで彼が白樺の陰から顔を出す、それだけで熱狂していました、私。
だから本作を見てビョルンその人がこんなに苦しんでいたなんて、またこんなに悲しい出自の持ち主だったなんて驚いたと同時にとても申し訳ない気持ちになりましたね。
けど、映画『ベニスに死す』は絢爛豪華が大好きなルキノ・ヴィスコンティの歴史に残る名作であることには変わりない。タジオが居なかったらあの映画は成り立たなかったし、ビョルンが発見されなければ完成されなかった作品です。
彼の人生を振り返ると辛く悲しいものだったかもしれませんが、あの1作を世に残すためには絶対必要だった人、ビョルン。
お母様がいたら映画に出されなかったでしょうし、またビョルンが発見されたとしてもあのような陰のある瞳の少年には育っていなかったと思うのです。
消費する側の意見でしかないけど、この世に存在してくれてありがとう、と言いたいです。
美しい人の辿る
辛い。
お母さんをずっと待ってる男の子
ビョルンの眼と口元を持っているビョルンのお母さん。そのお母さんが戻ってくるのを今もずっと待っている男の子が白髪の長身痩躯の老人の中に居る。あまりに繊細な人だったしそれは今も変わらない。ビョルンの父方祖母は最低だ。
71年だかにビョルンが来日したときの大騒ぎ映像を見てその醜悪さに辛くなった。大阪万博を成功させてひたすら経済右肩上がりでいい気になっていた頃の日本だ。映画そのものやトーマス・マンの原作がテーマになることはなかったのだろうか?ビョルンが歌わされたりコマーシャルに出てたなんて知らなかった。まだ何も知らないわかっていない子どもを搾取し消費し尽くす「大人」の世界からビョルンはその後とにかく逃げた。辛かったと思うけれど生きていてよかった。それしか言えない。
おまけ
いや、でもあの頃の日本にとって西欧人は珍しかった。大阪万博で初めてたくさんの外国人を見てとりわけ背の高い「白人」が珍しくて憧れの眼差しを向けた子どもの頃の自分をよく覚えています。
タイトルなし
世界で一番翻弄された少年
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