世界で一番美しい少年のレビュー・感想・評価
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タジオは彼のインナーチャイルド
自分の過去を話すことや、それを多くの人に伝えることはとても勇気が必要なことだったと思います。 決断をした彼を称えるとともに、再び彼のような被害者が現れないことを願うばかりです。 それでも、スクリーンに映る彼の姿が今もなお美しいと思うことに、心を傷めずにはいられませんでした。
【リド島の海岸】
初めて「ベニスに死す」を観た時に、人は究極の美に出会ったときに、本当に、もう死んでも良いと思うのだろうかと考えた。 この作品の最後の場面、ビョルンが立っていたリド島の海岸に僕は3回ほど行ったことがある。 「ベニスに死す」の舞台となった海岸だが、僕が訪れたのは秋から冬ばかりで、人はものすごく少なかった。 そんな時期に、リド島を訪れるのは、「ベニスに死す」が好きな人じゃないかと思う。 「ベニスに死す」の後、ビョルンを画面で見たのは「ミッドサマー」だった。 カルト的な人気を博した映画だったが、たぶん、僕を含めた多くの人が、あの変わりように驚いたのではないかと思う。 (以下ネタバレ) この作品は、ルキノ・ビスコンティのオーディションの場面から始まる。 この作品を撮るために行ったオーディションや「ベニスに死す」の「タージオ」役探しは数年に及んだという。 ビスコンティが、世界でも数か所候補に挙がっている性淘汰があったとされるスウェーデンで、オーディションを行ったのは偶然ではないように思う。 性淘汰とは、生存力とか身体的強さとかが遺伝的に優位になるのではなく、それ以外の何らかの理由で、特定の特徴を備えた人が多数を占めるようになることだが、スウェーデンでは高身長、青い目、ブロンドがそれだとされている。 ビョルンはブロンドではないし、母親はボヘミアン(ボヘミア人のことではなく、アートなどの理由で社会的生活を放棄したような人)でデンマーク育ちとされているが、ビョルンがスウェーデンに居たのは偶然ではないように思う。 それほど、ビョルンはタージオだった。 この作品では、「ベニスに死す」の後の、ビョルンのすさまじい苦悩が語られるが、映画の後の喧騒より大きかったのは、出自と息子の死ではなかったのかと思った。 父親が誰かわからない。 ボヘミアンの母親。 記録に残っている母親の死にざま。 息子の突発死。 松田優作さんも父親が誰かわからなかったことに苦悩したと云うが、母親のこともあって、アイデンティティに問題を抱えていたのだと思う。 そして、幼い息子の死。 日本での歌の録音など、ありがちな喧騒はちょっと日本人として恥ずかしくなるが、日本人のアイドル好きは、当時とそれほど変わっていないように思う。 フランスのパトロン然としたした連中の囲い込みや、もしかしたら要求されたゲイ行為もビョルンを傷つけたのだろう。 「ベニスに死す」を観た時に、人は究極の美に出会ったときに、本当に、もう死んでも良いと思うのだろうかと考えた。 世界中に美しいものは沢山ある。 絵画、彫刻、建築、様々な装飾。 しかし、これらは人間が、はかない一瞬の美を閉じ込めるために作り上げたもののように思う。 自然や、そして、人間の美しさは一瞬で儚い。 タージオの美しさも一瞬で儚かったのかもしれない。 儚いものほど美しいものはないのかもしれない。 しかし、人は見た目の美しさだけを美しいと感じる生き物ではない。 ビョルンは確かに皺を刻み、当時とは全く異なっている。 でも、様々な苦悩を抱え、こうして再び自らの人生を振り返るビョルンの人生は美しいのではないかと僕は思う。 再び、ベニスを訪れることがあれば、僕はまたリド島の海岸に行きたいと思う。
少年一人の力には限界がある。
両親のいない少年が、自分の人生の進路を決めていくには、厳しいところがある。 無防備な少年を利用しようとする人間がいるのは、いつの時代も変わらない。 子供の時に成功し、その後に転落していく例を探すのも、難しいことではない。 美しい少年は利用され、そして、忘れ去られた。 切ないことではあるが、このようなことが、この世から無くなることはないだろう。 ドキュメンタリーとして、世に出たことが、せめてもの救いかもしれないが、もう、あの時の輝く姿には戻れない。 そう、諸行は無常なのだから…。
世界一の美少年に生まれても、幸せになれるとは限らない
映画の美少年ランキングで、必ず上位に来る方のドキュメントって事で、以前そういうランキングで見た事あって、どんな人か興味あったので見に行く事に。 現在のお姿、何か変わってしまったみたいなレビューがあったけど、今もやはりイケメンでした。 当時のオーディションの映像が出てくるんですが、画面で見ても相当イケメン、って事は生で見たら、相当なインパクトがあっただろうなと、想像つきます。 ただ、映画で一躍有名になった事で、同性愛者の金持ちに囲われる?みたいな状況になったり、性の対象として見られトロフィー的な扱いを受けた事で精神的に病んでしまい、その後の人生に悪い影響を及ぼしてしまったとの事。 監督とは古い付き合いだそうで、そこまで晒す?ってくらい、カメラの前で心情を吐露し、出来事が展開されていくので、見ていてつらくなる時もあります。 映画の最後、娘さんが言うセリフがこの映画の全てかなと思います。 世界一の美少年に生まれても、幸せになれるとは限らないのですね。 世代的にはエドワード・ファーロングとなんか重なりました。
不幸な星を背負った美貌の少年の悲劇
映画「ベニスに死す」は名作だ。DVDを購入して、2年に一回は鑑賞する。トーマス・マンの原作も読んでいるし、なんと言ってもグスタフ・マーラーの音楽が素晴らしい。原作をも上回る場面(ラストのアッシェンバッハが死ぬところ)がある。これは本当に珍しい。 映画で主人公が憧れる美少年を演じたビヨルン・アンデルセンのドキュメンタリー映画。たまたま、彼と同年生まれなので、彼の来日時の騒動は知っている。 私生児として生まれ、失踪した母は自殺は自殺或いは事故死している。父親は誰か今もってわからない。このひとは不幸な星のもとに生まれたとしか思えない。また、類まれな美貌を与えて事が不幸を追い打ちをかけた。もし、映画出演していなかったら、今は普通な家庭を得て、昔は美男だったおじいちゃんになっていたかもしれない。男の美貌も罪作りだと感じた。
世界で最も美しい少年は60歳代後半になってもまだ美しかった
というのがビョルンの現在を見ての感想。 昭和40年代は現在より画像情報は圧倒的に少なく、カラーテレビがやっと普及し始めた頃です。 金髪碧眼の西洋人がフツーにいる今の日本と違ってまだまだ青い眼の人が物珍しかった時代。 ビョルン・アンドレセンが日本に与えた衝撃はそりゃあ大きかったのですよ。 だいたい当時の美しいと思えるものは外国(主にヨーロッパ)にしかなくて、だから美しい男女が必要な少女漫画はみんな外国が舞台。少女漫画を通して外国人の名前をたくさん覚えたもんです。 トーマス・マンの「ヴェニスに死す」のタジオは原作を読んで脳内再生していた美少年の数倍上をいく美しさでスクリーンに登場したビョルン。当時の日本人が魅了されるのも無理はない。 チョコレートのCMで彼が白樺の陰から顔を出す、それだけで熱狂していました、私。 だから本作を見てビョルンその人がこんなに苦しんでいたなんて、またこんなに悲しい出自の持ち主だったなんて驚いたと同時にとても申し訳ない気持ちになりましたね。 けど、映画『ベニスに死す』は絢爛豪華が大好きなルキノ・ヴィスコンティの歴史に残る名作であることには変わりない。タジオが居なかったらあの映画は成り立たなかったし、ビョルンが発見されなければ完成されなかった作品です。 彼の人生を振り返ると辛く悲しいものだったかもしれませんが、あの1作を世に残すためには絶対必要だった人、ビョルン。 お母様がいたら映画に出されなかったでしょうし、またビョルンが発見されたとしてもあのような陰のある瞳の少年には育っていなかったと思うのです。 消費する側の意見でしかないけど、この世に存在してくれてありがとう、と言いたいです。
知ることが出来て良かったけれど切ない
この方のこと、全く知らなかったので映画館のスケジュールにあるあらすじなどを読んで見てみようと思いました。
とにかく切ない人生の一言ですが、でもせめて時折訪ねてくれる娘さんと、こうして改めて自分の人生を題材に映画を1本作り、このサイトのインタビューを読むとまだ何かしら活動をしていく気力はあるとのこと。息子を亡くした頃、自分がまだまだ精神的に子どもだったことを、しっかり内省し、客観的にあの頃の自分を評価出来るようになっていたことは救われましたが、
孫の美貌を結果的に利用していた祖母だけでなく、
最初に映画に抜擢した監督さんのとりまきの人達?監督さんも??少年の彼を傷つけただけでなく、
今初めて見ると当時の日本の大人達も日本語歌わせてレコードの売り上げだすとか。。。うーん、ピアノが得意で音楽をやりたかったビョルンにとって、多少なりとも音楽系の仕事として少しでも楽しんでもらえてたら良いですが、そもそものきっかけが祖母にオーディションに出されただけが発端だし、とにかく日本って国に行っておいで、稼いでおいで!と言われて来た上での仕事だから。。仕方なくのほうが大きいのかな。。なんだか、当時のことは何も知りませんでしたが、あんなに日本人が熱狂してあなたを振り回して、日本人の一人として申し訳ない気持ちになりました。。
今現在、ひげと長髪で当時を全く思い出すことの出来ない風貌にしているのは、意図的のようにも思えました。
ビョルンさんのお父さん、分かってほしかった。。出自が不明、そしてお母さんも若いときに失踪し亡くなるとか、息子も赤ちゃん時代に亡くなるとか辛すぎる。
せめてこれからは何か少しでもやりたい仕事で充実した残りの人生を過ごしてほしいと思いました。
美しい人の辿る
キツい人生。美しく生まれることは凡庸な容姿の人間には、とても素晴らしいことに思えるのだけれど、美貌は彼の外せないマスクになって、人々は彼自身を見なくなってしまった。 彼があの監督に見出された時、彼を守る立場の人はいなかったように思う。 家族、普通の家族、ほとんどの人が当たり前に無償で持っているものが損なわれた時、それに代わるものを手に入れることは、とても難しい。 アルコールはもちろん家族の代わりにはならない。でもそんなことを求めて溺れていく人が多い事も思った。
辛い。
とても辛いドキュメンタリー。。 覚悟はしていたけど。 大人の醜い欲が、1人の子供を壊してしまう。。 あの不安そうな顔は暫く、私の脳裏から離れられない。 エンディング、なぜ?あの曲をかけるのか。 それも悲しい。。 観ても観なくても、彼を傷つけるのかもしれない。。 ベルーシと2本続けて観たのですけど。 共通してるのは、祖母、親の不在、繊細、孤独、違うのはベルーシには、仲間がいて、支えてくれる人もいたこと。仲間がいて、死にたくなかった人がいなくなる。何が正解なのかな。。
お母さんをずっと待ってる男の子
ビョルンの眼と口元を持っているビョルンのお母さん。そのお母さんが戻ってくるのを今もずっと待っている男の子が白髪の長身痩躯の老人の中に居る。あまりに繊細な人だったしそれは今も変わらない。ビョルンの父方祖母は最低だ。 71年だかにビョルンが来日したときの大騒ぎ映像を見てその醜悪さに辛くなった。大阪万博を成功させてひたすら経済右肩上がりでいい気になっていた頃の日本だ。映画そのものやトーマス・マンの原作がテーマになることはなかったのだろうか?ビョルンが歌わされたりコマーシャルに出てたなんて知らなかった。まだ何も知らないわかっていない子どもを搾取し消費し尽くす「大人」の世界からビョルンはその後とにかく逃げた。辛かったと思うけれど生きていてよかった。それしか言えない。 おまけ いや、でもあの頃の日本にとって西欧人は珍しかった。大阪万博で初めてたくさんの外国人を見てとりわけ背の高い「白人」が珍しくて憧れの眼差しを向けた子どもの頃の自分をよく覚えています。
タイトルなし
ビョルン・アンドレセン Bjorn Andresen (1955- ) 巨匠 ルキノ・ビスコンティ 監督の 「ベニスに死す(1971)」 主人公を破滅に導く少年タジオを演じた 公開から50年の時を経て ビョルンを追ったドキュメンタリー作品 映画「ミッドサマー(2019)」で 老人ダン役で登場したときは驚いた 守るものが誰もいないまま 熱狂の渦に巻き込まれてしまった 繊細な少年。 光と陰。 表裏一体の危うさに胸が苦しくなる 日本でレコードやCMに… ベルバラ "レディオスカル"のモデル… 知らなかった ビョルンの内面を知ることのできる 貴重なドキュメンタリー作品
世界で一番翻弄された少年
2021年12月8日 映画 #世界で一番美しい少年 (2021年)鑑賞 @fansvoicejp さん試写会ありがとうございます #ルキノ・ヴィスコンティ 監督の #ベニスに死す で美少年役だった少年についてのドキュメンタリー 現在の風貌にまずびっくりします また、日本での滞在中のエピソードが結構描かれてます
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