劇場公開日 2022年12月9日

「ファミリー映画の家族愛がつまった良い映画です。 戦争ものとしては、...」ラーゲリより愛を込めて ころんさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5ファミリー映画の家族愛がつまった良い映画です。 戦争ものとしては、...

2023年2月7日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

ファミリー映画の家族愛がつまった良い映画です。
戦争ものとしては、どうだろうか、ちょっとファンタジーというか甘いと感じてしまい、泣けませんでした。でも人間の愛のつまった優しい良い映画です、構成やカメラなども概ね良いかと思います。

私の祖母の兄がシベリアに抑留されて帰りませんでした。ところが死亡者名簿には載っておらず、ずっと祖母の兄弟達と、祖母の兄の奥さんは不思議に思っていたそうです。

後に現地で一緒だった人の話で分かったのですが、収容所で同じ日本人からいじめられ、食事を盗られていたそうです、立ち向かうにしても体格や力の差もあり難しかったようで、最後は弱って亡くなったそうです(死因としては栄養失調とか病気なんでしょうけど)。最後に泥水をすくって飲ませてあげた、と生きて帰った人が話してくれたそうです。きれいな水も無い環境だったのでしょうね。

死亡者名簿に載らなかった理由は、日本の恥(戦争が原因ではなく同じ国民の間で起こった事件が原因)なので、関わった人が死亡者名簿に載せないと決めたのではないか、とのことでした。

20年以上前に奥さんと娘さん会う機会があったのですが、どちらも優しい雰囲気の人でした。旦那さんが亡くなった後は、奥さんの実家の東京へ戻ったそうです。

祖母の兄は人格者で優しい人だったそうで、戦地から戻ったら町長になることが町で決まっていたそうですが、戻ることはありませんでした。

祖母が生きていたときに、「戦争のおかげで何でも食べれるようになった」とよく言われました、「好き嫌いは良くない」との意味だと思います。小学生だった私は今は戦時中じゃないから嫌いなものは食べなくても良いのに、と心の中でよく思いました。

この映画を見て、(好き嫌いをしてもいい)食べれる状況というのは本当にありがたいことなんだな、と改めて思いました。平和な生活のありがたみを改めて感じました。

戦争は本当に嫌ですね。国家の命令で戦争に参加して戦犯にされても困ります。

亡くなった祖父は戦地で人を殺したことをとても後悔していて、自分への戒めのために当時の勲章や賞状(より数をこなした人が賞状などをもらえます)を飾っていました。私に「おじいちゃんも被害者なんだ」と言ったことがあり、それも忘れられません。

国家の命令って何でしょう。
その時代の集団心理なんでしょうか。
選挙はよく考えて投票しないとな~、とか、いろいろ考えてしまいました。

ころん
夏子さんのコメント
2024年4月28日

ころんさん

今日(2024年4月28日)の毎日新聞朝刊で「シベリア抑留死 記録せねば」というタイトルで、死亡者の名簿作りの話が1面と3面に大きく掲載されています。今も、遺族からの申し出で名前は追加してもらえるようでもあります。連絡先は分かりませんが、とりあえず毎日新聞に問い合わせれば、どこかに繋いでもらえるかもしれません。ご先祖さまの生きた証をどうぞ残してあげてくださいませ。

夏子
ころんさんのコメント
2023年2月9日

夏子さん、コメントありがとうございます。

死因も色々な理由で事実と異なることが書かれていたのですね。

>帰国後は、私達子供にもそれを強要する感じで
こおゆうのも多いそうですよ、祖父もそうでした。
戦争は戦地から生き残った人にもトラウマなどが残ってしまうらしいです。

満州の話から中国残留孤児を思い出しました、これも今の世代の人は知らないですよね。私が子供の頃はTVで探していました。戦争の爪痕って、本当に生き残った人にもすごく大きい傷になりますよね。

戦争は本当に嫌ですね。

この映画は家族愛としては良く描けているのですが、戦争の残酷さはあまり描かれてなかったですね。

ころん
夏子さんのコメント
2023年2月8日

ころんさん様

私も、シベリア抑留の過酷さなどについてはころんさん様とほぼ同じ感覚です。私は満州生まれ、三歳の時に満州から引き揚げ、父は関東軍の軍人で、終戦後はシベリア抑留されて、3年で帰国しました。

父もシベリア抑留では水がなかったと言っていたことを思い出します。朝は、コップ一杯の水で口もゆすぎ、顔も洗うとか。帰国後は、私達子供にもそれを強要する感じで、我が家は貧乏でしたけど、顔を洗う水くらいあるじゃん、と思っていました。

おばあ様のお兄様の死亡が名簿に載っていない件で思い出したのですが、
私、満州の戦争関連の手記をよく読むので、その中で、軍医さんが書いた手記を思い出しました。

満州がまだ平和だった頃、軍の男性たちは、休日に町の女街に遊びに行くのだそうです。そして、淋病を移されて帰ってくる。それで、この軍医さんのところにくる。処置が早ければ治るらしいですが、処置が遅れて死亡する人もいるようです。この軍医さんは、「死因が淋病」では日本の遺族があまりに可哀そうなので、名誉の戦病死にしていたそうです。その軍医さん、偽りの死因を書き続けて、上部からお咎めを受けそうでハラハラしていたけど、とうとう最後までお咎めはなかったそうです。日本に帰国後、恩師から「お前は満州で軍医をやって人間力がついた」と褒められたそうです。

こういう人間味のある誰かがいて、同じ亡くなったのであっても、生きた証として、せめて「名誉の戦病死」で死亡者名簿の中に入れてほしかったですね。戦後、シベリア抑留死亡者には、わずかながら補償金のようなものが支払われたんじゃないかと思いますが、きっと、そこからも漏れていますよね。

戦争は悲惨さが残るだけです。戦争を起こさない、起こらないことを願います。

夏子