「魂のダモイ」ラーゲリより愛を込めて humさんの映画レビュー(感想・評価)
魂のダモイ
極寒のシベリア。戦後、捕虜として抑留された兵士は重労働を強いられるラーゲリ(収容所)に送られた。戦いの爪痕まで背負わされ尊厳などない狂った世界に漂よう空気、遠ざかる帰国の現実を肌で感じ誰がまともな精神で過ごすことができただろうか。
それを想像するだけで、戦争という不条理な残酷性に怒りと一体化した哀しみが湧き、今もなおある悪夢のような現実への嘆きが溢れてくる。
そんなラーゲリで生き、病に倒れた実在の人物、山本幡男さん。
彼はどんな窮地も前向きに、仲間たちに希望を持つことをすすめ、生きて下さいと鼓舞し続けた。
移送の車内、暗雲を割る陽だまりの光に似た温かい声で山本さんが歌い出すシーンがある。
その場にそぐわない明るい響きに、誰かがヤジる。
その楽曲の出所、アメリカを名指して。
しかし、山本さんは毅然と、そしてさらりと
〝いい歌にアメリカもロシア(ソ連と言ったかもしれません)もない〟と言う。
冒頭まもなくの場面だが、ここに集約されているメッセージ。
それは、混沌として殺伐した世や状況や不運を導く根源になりうる差別や偏見への警告。
つくりあげているのはいつも我々人間だということ。
そこに、本作は山本さんの体験と行動と言葉を通して知るべきことが今こそあるのだと、使命感を添えた決意でよこしてくるのだ。
病がすすむ山本さんが、ベッドの上で力衰えながらも命を振り絞り生きようとしている場面では、常に俯瞰でものをみて冷静に判断していたことがわかる。
そして、変わらないラーゲリの様子、死期忍び寄る今の自分について問われ「絶望」しないわけはないと胸の内を漏らす。胸をえぐられるような気持ちになるカットだ。
ここには、死を近くに感じながらも家族への渾身の愛を詰めこむ山本さんの、信じて待ち侘びている妻や子に向ける〝それでも諦めない究極の希望を原動力にした愛〟がみえる。
絶望しないわけはないが、私はそれでも絶望しない。
と、言葉なき言葉、こころと目が語るのだ。
脳裏から離れない魂レベルの叫びだった。
しかし、山本さんの生身は残念ながらラーゲリから戻ることは無かった。
だが、彼の魂は家族の元にダモイ=帰還を果たす。
困難にあっても決して希望を捨てなかった山本さんの人格と意志が強く結んだ仲間たちによって受け継がれ、伝達されたのだ。
山本さんが全身全霊でおこした奇跡。
いや、山本さんの精神から学べば、それは奇跡ではなく必然なのかも知れない。
彼は、単なる絶望は終焉へ向かう片道切符だが、希望を捨てなければそれが未来へのかけ橋になることを証明した。
昔話だから、対岸の火事だから…は、もはや通用しない。
…私たちはなにができるか。
「ただ生きているだけではいけない。」
「希望を捨てずに道義をつくすことだ。」
魂のダモイは涙だけを求めるわけではなく、人としての平和への追求を世界中に静かに熱く訴えかけている。
追記
soranji 込められた歌詞と揺さぶるメロディーをかみしめました。