君は行く先を知らないのレビュー・感想・評価
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To Face
最初のティザーチラシでは何の映画か分からなかったのですが、予告編が公開されると結構明るいテイストの作品なのかな?と思い劇場へ。
夫婦と息子たちのロードムービーに仕立ててありますが、どうにも長男と夫婦がモヤモヤしており、最後、最後と呟く事に疑問を持つ次男、その道中で出会うロードバイクの選手、羊飼い、覆面のライダー、村で出会う人々、様々な人物との会話から明かされる真実はとても残酷で、それらが明らかになるたびに心が蝕まれるようでした。
邦題の「君は行く先を知らない」というのもマッチしており、次男も行く先を知らずに無邪気にはしゃいでいますし、観客側の自分も見えないストーリーに連れていかれる体験型ロードムービーになっていました。
家族のやり取りが非常にコミカルで、次男と父親の貶し合いは毒が多く混じりつつもしっかりと面白くなっていたので、バランスの取り方が絶妙だと思いました。
次男のはっちゃっけっぷりがこれまたお見事で、演じたヤルン・サルラク君は名優に育つ予感しかしません。これからも追いかけていきます。
非常に口の悪い一家なのでバカバカと罵り合っていますが、これがのちの展開のことを考えると寂しくも思えてしまうのが不思議でした。
なんだか惹かれるショットが多かったのも印象的でした。引きのショットで家族の影と会話だけを映すシーンや、寝袋で寝そべっていたかと思いきや、鉄琴の音と共に銀河の一部となり飛んでいく様子とか、ラテン系の音楽に乗せて踊る様子と、思わずニヤリとしてしまうショットの連続に心躍りました。
考察、もしくは受け取り手の解釈に委ねている場面が多いので、うまく噛み砕く事ができず置いてけぼりにされたシーンがいくつか合ったのが惜しいなと思いました。撮れなかったのがお国柄というのが本当に惜しい…。これさえ何とかなれば傑作になり得たのにと悔しい思いが強いです。
自分も親元を離れて生活している人間ですので、両親の元を離れる事がとても寂しくてホロリ泣いた事を鮮明に覚えています。
作中、お母さんが何度も何度も旅立つ長男の事を心配しており、髪を切るシーンもこれが最後なのかと噛み締めていたり、嗚咽しながらも寂しさを紛らわすために大声出して歌ったりと、自分の母親も同じように気を紛らわしていたと話を聞いたので、愛する我が子の旅立ちは辛いものなんだなと客観的に感じる事ができました。
イランの情勢はニュースで聞こえてくるものしか入手できず、現在進行形でどうなっているのかも自分はあまり知らない状態です。そんな中、厳しい検閲を潜り抜けて、遠回しでもイランという国の事を表した映画を日本に届けてくれてよかったなと思いました。イランに平和が訪れますようにというと他人事になってしまいますが、そう願う事が今は大事なのかなと思います。
鑑賞日 8/25
鑑賞時間 20:45〜22:25
座席 C-13
「表現の不自由」は致し方ないが、それでも、奥歯に物が挟まったような「もどかしさ」が残る
父親の足のギプスに落書きされた鍵盤で次男がピアノを演奏する冒頭のシーンから映画に引き込まれる。
地面に寝転ぶ父親と次男の周りに音楽に合わせて星が灯っていき、やがては2人が銀河の彼方に吸い込まれるという、目を奪われるような素敵なシーンもある。
イランの歌謡曲の使い方も印象的だし、狭い車内での長回しがあるかと思えば、人が豆粒ほどにしか映っていない遠景でのワンカットもあり、監督のセンスの良さを随所に感じることができる。
これがイラン映画でなかったなら、ラストで旅の目的や、その理由が明らかになり、長男と家族の別れの感動が盛り上がるのだろうが、あからさまな体制批判が許されないせいで、何もかもがうやむやなままで終わってしまうのは、如何ともし難いところか・・・
観客としては、登場人物のちょっとした台詞や表情から「事情」を察するしかなく、それが、「表現の不自由さ」を逆手に取った余白とか余韻にもなっているのだが、その一方で、説明不足に起因する消化不良や不完全燃焼といったものを感じてしまうのも事実であり、そこのところは、やはり、残念としか言いようがない。
監督は、決して体制の批判をしたかった訳ではなく、「家族の絆」を描きたかったのだろう。
それでも、その家族の関係が、どこかフワフワと浮世離れしたものに感じられるのは、旅の目的や理由が不明確であることと決して無関係ではないと思えるのである。
ひとひひとり、みんなキャラが良かった 特に次男は演技のあまりの自然...
ひとひひとり、みんなキャラが良かった
特に次男は演技のあまりの自然さに、
本当の家族を見ているみたいな気がした
すっごく遠くから写したり、カメラワークも素敵だった
日本に住んでる私だって、
キャンプで2日間待つとかってありえないでしょ、
ってわかるけど、
両親は本当に分からなかったのか、
それともただ単に信じたかったのか
それを思うと、切なかった
良作です
テーマは「別れ」ですが、意外とコミカル。次男くんのお茶目な演技が素晴らしかったです。しかし、全体を包む雰囲気や、所々に見え隠れする「悲しみ」から、不穏な事情や複雑な背景が想像できます。彼の明るさが、その対局にある悲しみを際立たせている様でした。ロードムービーなので、イランの美しい景色も沢山出て来て良かったです。
ファリド(Farid)のイラン社会から離脱する過程をコミカルに描く
この映画を見終わって感動した。ペルシャ語がわからないので字幕にとらわれ、人の表情、広大な景色の移り変わりを見逃したくなかった。だから、字幕より、感性を使って観賞した。それに、映画を観ながらメモをよく取るが、それもやめて、映画の進行に身をまかせただけ。
イラン映画には車の中でもシーンが多いが、多分、アッバス・キアロスタミ監督以降かもしれない
が? 彼かモハマド・ラスロフ監督のどちらかが言ってたと思うけど、、、、、それはイランの政治事情であり、車の中でどんな音楽を聴いていても、ヒジャブをかぶっていなくても、何を話していても、これらのことは政府に密告されないとか、、、なんとか、、、つまり、自由に羽ばたけるということだと思う。自由のコンセプトにも違いはありそうだが、あくまでも、イランでの自由だが。
車の中でのシーンに加えて、モハマド・ラスロフの『悪は存在せず(2020年製作の映画)
Sheytan vojud nadarad/There Is No Evil』の最初の主人公ハシュマート(Heshmat) と砂利道の父親、 クロソー(Khosro)の顔の表情は両方一定なのである。違和感があり気になっていたら、最後の方でその答えが出てくるという結果になる。
アッバス・キアロスタミ監督とモハマド・ラスロフ監督は私の最も好みの監督なので、彼らの作品の理解に対して自分はかなり自己満足している。しかし、「砂利道」の理解はかなり軽薄だと思う。なぜかというと、例えば、 逃亡するお兄さん役ファリドFarid(Amin Simiar )が 『2001スペースオデッセイ』をベスト映画として上げるが、これは禅のようで、落ちつるけると。そして、銀河系に自分を連れて言ってくれると言っている。この意味は自分がいく新しい世界は未来があるという意味ではないかと勝手に判断したが。この『2001スペースオデッセイ』と映画と
父親クロソーのお腹に弟さんが乗っかり二人で銀河を仰ぎみて会話するシーンは何か意味することがあり、繋がっているんだが、ここのコネクションが理解できていない。どなたかお教えてください?
映画の最初の方はイランの家族、四人と犬がテヘランから北へ向かって運転していく。運転している人は甥かなと思ったが、上のお兄さん(ファリドFarid)で、家族は両親に、子供二人。イランのウルミア・レイク(Urmia Lake)のことを話してるので、かなり、北方で、アザバジャン方面に行くのかと思って観ていた。それに、途中でアゼリーという言語を話すアザバジャン人の自転車乗りに遭うし。 正直言って何が起こるのかさっぱりわからなかった。よく、伝統的なイラン映画にあるパターンかと思ってみていた。
そのうち、わかってきた。ファリドFarid)を失うことによる家族の悲しみ、それが、歌を歌うことや
たわいのない会話などの日常茶飯事に表現されていることがわかった。わたしたちが困難に出会っても、その、一見、つまらなそうな会話も状態も、困難状態の中で一緒に歩んでいくことも、あらためて認識させられた。そして、もう兄と会えないことがわかっているかどうかわからない弟の祈りにも現れている。土に口をつけるなと母親に言われ祈る姿は家族の中で、唯一弟が祈りの形式を取っていた。ファリドFarid)は道中自分のことで頭がいっぱいのようだった。しかし、父との二人だけの川辺での会話で初めてイランに残る家族のことを気にしている。保釈金のほか、この闇のコヨーテに支払う金額は大変なものだと思うが。家族にとってもファリドFarid)にとっても、ファリドFarid)の将来は、イランではないことは認識していると思う。イランを去らなければ再興の道はないことを。ーー私感
この映画を観終わって、脚本の斬新さを感じた。なぜかというと、現在なお続く、センサーシップの中で、イランに在住しながら、センサーシップを上手に避けながら、極端にいうと、『曖昧さ』という表現形式をとりながらなの作品である。それも息子のイラン社会から離脱する過程をコミカルに描く。すごいと思う!監督は父親ジャファル・パナヒに自分の書いた脚本を読んでもらったと言っていた。
ヘストシーンは最後家族が国境を引あげ戻ってくるシーンで、五月蝿いガキ、弟が(Rayan Sarlak一番好きな登場人物だった)車のルーフから顔を出してワーと騒ぎ、曲に合わせて踊り出すシーンだ。『私の愛する人が去っていくのを見た』-by Shahram Shabparehhttpsという歌い出しから始まって、車の中で家族の一人一人がそれぞれの形で悲しみを現す。
あと、車を運転しているファリドがアザバジャン人の自転車に接触してしまった時、ファリドは自分の過失をそのままにしなかった。迷っていたかのように見えたが、周りがなんと言おうと、善悪の判断の基準があって、車を止めてアザバジャン人を助けた。この行為は彼が、トルコ(監督がトルコと)に逃げてからも変わらなく思えた。ファリドの明るい将来が見えた。
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