君は行く先を知らないのレビュー・感想・評価
全43件中、21~40件目を表示
いい邦題
英語題は『Hit the Road』。家族4人によるドライブでのロードムービーそのもののこと指しているかと思えば、語られる会話の内容と展開から、それは運転手をしている長男のこれから起こることについて言っているのだと解ります。とは言え、特に説明もないし、事情も詳しくない日本人には次男に対する『君は行く先を知らない』が「いい邦題」を付けていると感じました。
映画が始まって早々、無邪気なのに妙に大人びたことを言う次男が兎に角愛らしく面白く、悪さをしても憎めないいいキャラクターです。また、それに対する父親と母親がまたいいリアクションです。どこまで本気なのか真顔で平然と辛辣に返すも、ちゃんと愛と優しさを感じる対応が微笑ましく幸福感があります。
それなのに、時折見せるどこか不穏さや、多くを語らないまでもいかにも秘密めいたやり取りに、これが単にのどかなドライブでないことは判ります。
ふと気づく携帯電話の存在に(この時点では)過剰と思える反応からの処置や、「さっきから後をつけられている気がする」と急に後続車を気にしたり、また中盤では怪しさを隠し切れないバイクの登場人物など、邦題さながらに、家族の行く先が気になってしょうがなくなります。
さらに、家族たちそれぞれの表情にも気持ちが見え隠れします。運転しながら不意に涙する長男や、落ち着いていられず時折狼狽しつつも、息子には安心させるために愛情深く接する母親。また、終始平然と振る舞い続けるも、誰も見ていないところでば怒りの表情で一点を見つめる父親の顔は印象的です(公式サイトのCast紹介の写真でも使われています)。
正直、全ての事情が理解しきれていませんし、相変わらず考察はせずに映画評を書いている私。(私が思う)『Hit the Road』の本当の意味とその先のことについて、確かなことは親子が車で移動しながら過ごす1日に、家族ならではの遠慮のないやり取り込みで、とても深い愛情を感じることが出来ます。何より次男の存在感ですね。多分、長男にもこんな時代があったのでしょう。母親が運転をしながら涙するシーンは、自分も息子として母親にもっと愛を返さなきゃいけなかったな、と思わされました。なんて、自分の事はさておいても、最初から最後までてっぱんの愛らしさで癒してくれる次男(ヤラン・サルラク)、彼だけでこの作品を観る価値ありだと思います。それにしても、君はよくそんな歌知ってるねw(勿論、私もオリジナルは知りませんが、歌詞を見る限りでは子供が歌う歌じゃありませんw)
旅の本当の目的は…
最近、小さい劇場でやっているような映画の魅力にハマりだした者です。
この作品は「裸足になって」を観に行った際に予告で流れていたもので、気になっていたため観に行きました。
最初はこの4人家族がどこへ向かうのかわからずいろんな想像をしますが、会話の端々でその秘密に段々と近づいていきます。
(次男以外)悲しげで不機嫌な様子なのに、それとは対照的に、映像に現れる景色はどれも素晴らしく美しいことにも感動しました。
他の方も言うように、イランの情勢等を知らないとこの旅の本当の目的が何なのかが理解しがたいのかもしれません。先に述べたように私は「裸足になって」を鑑賞済みだったため、長男がいなくなるのは「国境を越えるためだった」ということがちゃんとわかりました。
これが過去の話ではなく、今なお現地で起こっている現状だということに、様々なことを考えさせられます。こういったことが、ニュースで流れている「シーア派」や「イスラム国」といったことに繋がっていくのだなと、パンフレットを読んだり自分で調べたりして感じることができました。そして自分はどれだけそういった問題に無関心だったのかも知ることができたため、今後も目を向けたいと思いました。
この映画の監督の父親、ジャファル・パナヒ監督の映画も観たいです。
私たちは表面しか知らない
イラン当局の厳しい検閲と戦いながら映画制作を続けるジャファル・パナヒ監督の息子パナー・パナヒ氏の長編デビュー作。国境の町に向かう長男に同行する両親と弟と愛犬の旅を追ったロードムービーである。
口下手で不器用な父、塞いだ息子、はしゃぐ弟、ピリピリした母が、それぞれの別離に向かい車を走らせる。
ポスタービジュアルの明るさとロードムービーというジャンルのイメージに反し、本編は皆まで言わないシーンの連続で、娯楽性に乏しいように見えるかも知れないが、イランで映画を制作するためには世相の描写はこのくらい抑えた表現にせねばならず、検閲を通りやすくするために記号的に入れた方がいいポイントもあるとのこと。描きたいものを描くためにこの形に纏めた制作陣の苦労が伺える。
例えば現代イランを描いた最近の公開作品「聖地には蜘蛛が巣を張る」の制作陣が、イランにルーツを持ちながらヨーロッパを拠点に活動しそこから作品を発信しているように、イランでは本物のイランを描けないのだ。
そういう視点で見ると、家族の元を離れる決意をした長男とそれを支援した両親の葛藤、真実を知らないうちに兄と愛犬と別れた次男の今後、そして非合法な方法で別れた家族のそれぞれの暮らしなど、描くことを許されなかった部分に想像を掻き立てられる。深堀りすることで味わいが深まる作品である。
邦題の意味が中盤から分かってくる
人によっては最初から分かるだろう。『君は行く先を知らない』の邦題の意味を。
両親と成人した兄、歳の離れた6歳ぐらいのヤンチャな男の子、死が間近に迫った愛犬との一家の旅。
次男が車の窓ガラスに落書きしてしまったり、ロードレース中の旅人にちょっかいを出したり助けたり……
音楽に合わせて戯けてみせる母、ギブスをはめた父と、破天荒な次男の中、運転をする長男だけは沈痛な面持ちでいる。
今回の旅の理由を知るのは長男と両親の三人。“長男のお嫁さん探し”と聞かされる次男は本当の目的を知っていない。そして私たち観客も。
父親や母親が羊飼いや仮面をつけた男との交渉するシーンや、親子間のやり取りから、この度はとてもシリアスかつ、イランの国事情が絡んでいることが徐々にわかってくる。
旅とともに描かれる“愛する人との別れ”。
一方は永遠の別れ。そしてもう一方も二度と会えないかもしれない(僅かな希望もあるが)。
イランの荒野、トルコとの国境の地、延々と広がる景観は美しかった。
警官の美しさと、無邪気な次男の存在や、ラストの歌に合わせた彼のダンスが哀しみを和らげていた。
母親の気持ちを思うと胸が潰れそうだ。
今日も同じような家族が涙を流しているのかもしれない。
イランのどこか郊外を、自動車で移動する一家。 出だしは楽しげなドラ...
イランのどこか郊外を、自動車で移動する一家。
出だしは楽しげなドライヴ的、楽しそうに歌いながらですが
徐々にワケアリに見えてきて
ドライヴの目的や行き先が徐々にわかってくる、と。
私的にも、以前にイランに訪問し、テヘランの市街地散策、サッカー観戦、景色を上空から鳥瞰、ぐらいはしましたが
(かといって、政治・体制・経済などの話は、メディア越しにバイアスがかった話題しか見えず、面と向かって聞くわけにもいかず)
この映画のような側面は、一度の観光訪問ぐらいでは知りえないもので。
深い意味のある鑑賞体験でした。
p.s. 似た場所にもし行くような機会があれば、深く考えない、その場を楽しむ観光客目線でたずねたいものです。
壮大なほのめかし
2021年。パナー・パナヒ監督。イランのある家族は車でどこかに向かっている。運転している長男の「旅」に関連しているらしいが、詳しくは説明されない。車内ではなぜか4か月前から足にギプスをつけたままの父親と、無邪気にはしゃぐ小学生くらいの次男、そして助手席で長男を心配しながら見つめ続ける母親がいる(後部トランク部分に犬がいるらしいが外に出ているとき以外は映らない)。閉塞空間で描くのはつまり家族の形だ。
長男の「旅」は秘密裏に、どこぞの組織の助力を借りなければならないらしく、まあ亡命の類なのだろうが、それは一度も明言されないままドラマは続く。明言されなくても「別離の悲しみ」のようなものは終始映画のなかを流れ続けている。目的に向かって紆余曲折がある映画ではないが、伝わってくるものは確かにある。
レンタカーまで借りて家族総出で長男のお見送りをする過程はおもに会話と歌で描かれる。移動中の車内、途中休憩の場所、組織がいるらしい村、などの場面の展開はあるが、カメラはほぼ固定していて、さほど激しくない動きをじっと撮る。人物たちはじっとこちらを(観客を)見つめる時間がながくなる。「言いたいことはわかるでしょ」と言っているような表情。ほのめかし?検閲の厳しいいイランの映画であることを無言の大声で訴えているような映画。
もう何回かは観に行きたい
話としては凄く単純で、行き詰まった生活に一抹の望みをかけて長男を異国の地へ送り出すという良くあるもの。
しかしその良くある現実問題が凄く面白く見えるのは、深刻な状況の中で失わないユーモラスと適度に挟まれるしょうもないサスペンスがあればこそだろう。
特徴的な構図や音の使い方が上手だったのも間延びしない展開に一役買っていた。
主人公たち一家は問題のある家庭ではあるが、決して愛が無いわけではない。
そして可笑しくも共感できるそれぞれの象徴的な個性がユーモアを通じて観る者によく寄り添っていた。
父親の無責任がちな放任、母親の束縛手前の愛情、長男のズレた感覚の頼り無さ、次男の鬱陶しいほどの奔放さ。
日本とイラン、国柄は全く違うはずなのに普通に一般的な日本人家族にも容易に当て嵌まる要素ばかりで、人種や国が違えど所詮人間は人間、家族は家族でしかないんだなと強く思わされた。
イランの内情知らないとわからないんじゃないかな…
親と兄の涙と次男のはしゃぎようのコントラストの差で悲しみが強調される…。それしかわからない、俺。お金のためテロ集団にでも兄が身売りしたのかと思ったけどいろいろネットを見ると違うみたい。ぜひ、内情知ってみる事をお勧め。
別れのロードムービー
国外へ行く兄を家族総出で見送るロードムービー。彼らの会話のやり取りに独特な世界観を感じる。
お父さんのバットマンの話、なかなか面白い。
ボクは世界の実情を知らない
ほぼほぼ予備知識なしで鑑賞、長男が国境を超える事を理解するまでに相当の時間を要し、隣の隣の席のオジサンは轟音のイビキをとどろかせました(ワタシも三度ほど意識が遠のきました)。
どうも展開が淡々としたロードムービー調で、国を棄てるとなるとメキシコからアメリカへとか、先日観た「裸足になって」のアルジェリアからの脱出など、ひりつくような緊迫感が伝わってこず、ラストまでそんな感じでした。
それでも、これが息子の顔を見るのが最後かもしれない、旅人となった息子は行く先で無事に過ごせるのだろうか?そして残った家族の行く末だって不透明、そういう感情はお国が違えどひしひしと伝わって来て、しんみりさせられてしまいました。
作品を通してイランの正に荒涼とした大地が映し出され、人の生きる力に圧倒されてしまいました。
ただ、末っ子の超ハイテンションっぷりはワタシには作品への没入を阻害する面倒キャラになってしまい残念でした。
ラーヤーン・サルラク君を愛でる
題名の「jādde-ye khākī(土の道)」が示す通り、両親と長男、二男の合計4人が荒涼としたイランの大地をトルコとの国境に向かって車で旅する「fīlm-e jāddeī(ロードムービー)」でした。
最初は旅の目的も目的地も明らかにされないのですが、だんだんと旅の目的地がトルコとの国境付近であることや、旅の目的が長男のイランからの出国、それも違法な形での出国ということが分かってきます。ブローカーの村で村人が主人公らに「mosāfer(旅人)か」と尋ねるセリフがとても印象的でした。密航を斡旋するブローカーをghāchāgh bar以外に、ādam parān(人飛ばし)やmosāfer parān(旅人飛ばし)と言っていたことを思い出します。ただ、長男のトルコ渡航の目的や動機は最後まで語られることはありませんでした。
動機が語られることがないとはいっても、道中の会話からは、この旅が長男との今生の別れとなることを、二男を除く家族全員が感じていることが伝わってきます。長男との約束に従い、別れの悲しみを表に出さないよう、無理に明るく振る舞い、革命前の懐かしいメロディーを口ずさんだりする母親たちと、最初から最後まで明るく悪戯っ子な二男が見事に好対照な存在となっていました。
長男との別れの旅という悲しいテーマのはずなのですが、この能天気な二男の存在によって、また二男と家族との会話によって、コメディー映画として十分に楽しめました。
そういえば、初めて見たイラン映画はアッバース・キアーロスタミー監督の「友だちの家はどこ」だったのですが、そこで見た主人公のネエマトザーデも非常に魅力的なキャラクターでしたし、その他、運動靴と赤い金魚など、イラン映画には魅力的な子供が多いということを改めて感じました。
さて、長男のトルコ渡航の動機が劇中では語られないと書きましたが、普通に考えたら、就労目的や移民目的なのだろうということは分かると思います。ここで、昨年のマハサー・アミーニーさん殺害事件後のデモを絡めて、亡命と考えるのは時代錯誤ということになるだろうと思います。というのも、映画はそれよりも以前に作成されているのですから。
イラン出国の目的については、新しい統計をもとにしますが、例えば2022年から2023年にかけての冬の15歳以上の失業率が約9.7%であり、同じ期間でも18歳から35歳のグループに限ると約24.2%の失業率ということを考えると、やはり就労目的だろうと想像してしまいます。そういえば、日本もバブル景気と言われた頃にはイランから沢山の方々が観光ビザで出稼ぎに来られていたようですし、実はお父さんもかつては日本等に出稼ぎに行っていた過去があったとか……は、さすがに想像力を働かせすぎですね。
物語の筋は以上の通り、とても分かりやすいものなのですが、映画を見ていて、どう受け取っていいのか分からないシーンもありました。例えば、ブローカーの村に入る手前のところで、羊の毛皮の代金を支払うシーンがあったのですが、このシーンが良く理解できませんでした。ブローカーへの手数料を毛皮代名目で支払うということなのでしょうが、なぜ羊の毛皮代?と頭にクエスチョンマークを浮かべながら映画を見ました。帰宅後、不思議に思ったのでググってみたところ、面白いブログの書き込みを見つけました。
このシーンは、バハマン・アルクとバハラーム・アルクの双子の兄弟のショートフィルム「けもの(AniMal)」のオマージュではとのことでした。このショートフィルムはカンヌのシネフォンダシオンにも出された作品ですが、人が羊のようなけものに変身し、ある区画から逃げ出そうとするも、最終的には狩人に狩られるという作品で、羊の毛皮繋がりでは、そうなのかもと思いましたが、そうすると、長男はイラン出国時、あるいはトルコ出国時(YouTube等にアップしているイラン人移民たちの動画を見ると分かることですが、イランを密出国したイラン人はその後ギリシアに向かい、そこからドイツなどのヨーロッパの国々に密入国する人が多いのですが、トルコからギリシアに密航する際には、粗末な作りのボートで向かうことになり、途中で命を落とすということがあるそうです)に亡くなってしまうのでは等と想像してしまいます。物語の最後でペットのジェシーが亡くなってしまうのも、ファリードの死を想像させてくれます。
ファリードとお兄ちゃんの名前を書いて思い出しましたが、物語の終盤で二男が父親にお兄ちゃんの今後について尋ねたシーンで、お兄ちゃんは結婚するんだよと言ったことに続けて、お兄ちゃんはオフロードバイクに乗ってレース云々と話していましたが、この台詞の最初の部分が、ファリードはパリード(飛んだ又は跳んだ)と言っており、駄洒落かよと突っ込んでしまいました。字幕は英語訳からの重訳だからか訳者の怠慢からか、「ファリードはバイクに乗って」という感じに訳されており、少し残念でした。まあ、駄洒落を活かして翻訳するのは本当に大変でしょうが......。
このように、笑えるだけでなく、見ながらいろいろと悲しいことも考えてしまいますが、ラーヤーン・サルラク君の無邪気な演技に和まされ、彼の演技を愛でる自分がいました。また、劇中で革命前の懐メロが沢山聞けるのも良いですし、エンディングでエビーのシャブ・ザデがかかった時には、イラン人はやはりエビーが好きなんだなと改めて感じてしまいます。
次男の演技が自然で素敵
観ていて家族全員で国外に逃亡するのか?と思いながら観ていました。お兄さんだけが国外に!殆ど家族4人と喫煙シーンが多いです。イランと言う戦争に巻き込まれた国がこう言うストーリーの映画を産んでしまうのか?平和が当たり前になればまた違う映画が撮られると思います。
天才子役登場!
あえて情報を一切入れずに鑑賞。ポスタービジュアルとタイトルだけで惹かれるので。
鑑賞後。ジャファル・パナヒの長男の監督デビュー作、というだけで期待もあった。若作りだが、テーマさえも家業のようだな。少年の演技が凄すぎて目を剥く。
星空
成人したばかりの息子の運転する車でトルコとの国境の高原地帯を目指して旅をする、両親と口の減らない幼い弟と余命僅かな愛犬という家族のロードムービー。
行く先も目的も知らない超ハイテンションな弟と、4ヶ月も足にギプスをしている胡散臭い父親と、旦那に小言の多い母親と、バカ息子と呼ばれる口数の少ない長男という家族。
次男と父親に引っ張られ、明るく楽し気な雰囲気だったり、ロードバイク野郎の悪ふざけの様なシュールなコミカルさもありつつも、物憂げな長男とそこに寄り添う母親と…。
観客にも旅の目的は示されないからイラン情勢に疎いと難しいかも知れないけれど、結構早い段階からヒントが小出しにされていくので、何とか想像はつくのかなと。
イランの作品でこの題材が作れたのは結構意外だし、妙な明るさの空元気な感じがなかなか良かった。
国は違えど男の子の自立の壁は母親なんですね。
To Face
最初のティザーチラシでは何の映画か分からなかったのですが、予告編が公開されると結構明るいテイストの作品なのかな?と思い劇場へ。
夫婦と息子たちのロードムービーに仕立ててありますが、どうにも長男と夫婦がモヤモヤしており、最後、最後と呟く事に疑問を持つ次男、その道中で出会うロードバイクの選手、羊飼い、覆面のライダー、村で出会う人々、様々な人物との会話から明かされる真実はとても残酷で、それらが明らかになるたびに心が蝕まれるようでした。
邦題の「君は行く先を知らない」というのもマッチしており、次男も行く先を知らずに無邪気にはしゃいでいますし、観客側の自分も見えないストーリーに連れていかれる体験型ロードムービーになっていました。
家族のやり取りが非常にコミカルで、次男と父親の貶し合いは毒が多く混じりつつもしっかりと面白くなっていたので、バランスの取り方が絶妙だと思いました。
次男のはっちゃっけっぷりがこれまたお見事で、演じたヤルン・サルラク君は名優に育つ予感しかしません。これからも追いかけていきます。
非常に口の悪い一家なのでバカバカと罵り合っていますが、これがのちの展開のことを考えると寂しくも思えてしまうのが不思議でした。
なんだか惹かれるショットが多かったのも印象的でした。引きのショットで家族の影と会話だけを映すシーンや、寝袋で寝そべっていたかと思いきや、鉄琴の音と共に銀河の一部となり飛んでいく様子とか、ラテン系の音楽に乗せて踊る様子と、思わずニヤリとしてしまうショットの連続に心躍りました。
考察、もしくは受け取り手の解釈に委ねている場面が多いので、うまく噛み砕く事ができず置いてけぼりにされたシーンがいくつか合ったのが惜しいなと思いました。撮れなかったのがお国柄というのが本当に惜しい…。これさえ何とかなれば傑作になり得たのにと悔しい思いが強いです。
自分も親元を離れて生活している人間ですので、両親の元を離れる事がとても寂しくてホロリ泣いた事を鮮明に覚えています。
作中、お母さんが何度も何度も旅立つ長男の事を心配しており、髪を切るシーンもこれが最後なのかと噛み締めていたり、嗚咽しながらも寂しさを紛らわすために大声出して歌ったりと、自分の母親も同じように気を紛らわしていたと話を聞いたので、愛する我が子の旅立ちは辛いものなんだなと客観的に感じる事ができました。
イランの情勢はニュースで聞こえてくるものしか入手できず、現在進行形でどうなっているのかも自分はあまり知らない状態です。そんな中、厳しい検閲を潜り抜けて、遠回しでもイランという国の事を表した映画を日本に届けてくれてよかったなと思いました。イランに平和が訪れますようにというと他人事になってしまいますが、そう願う事が今は大事なのかなと思います。
鑑賞日 8/25
鑑賞時間 20:45〜22:25
座席 C-13
「表現の不自由」は致し方ないが、それでも、奥歯に物が挟まったような「もどかしさ」が残る
父親の足のギプスに落書きされた鍵盤で次男がピアノを演奏する冒頭のシーンから映画に引き込まれる。
地面に寝転ぶ父親と次男の周りに音楽に合わせて星が灯っていき、やがては2人が銀河の彼方に吸い込まれるという、目を奪われるような素敵なシーンもある。
イランの歌謡曲の使い方も印象的だし、狭い車内での長回しがあるかと思えば、人が豆粒ほどにしか映っていない遠景でのワンカットもあり、監督のセンスの良さを随所に感じることができる。
これがイラン映画でなかったなら、ラストで旅の目的や、その理由が明らかになり、長男と家族の別れの感動が盛り上がるのだろうが、あからさまな体制批判が許されないせいで、何もかもがうやむやなままで終わってしまうのは、如何ともし難いところか・・・
観客としては、登場人物のちょっとした台詞や表情から「事情」を察するしかなく、それが、「表現の不自由さ」を逆手に取った余白とか余韻にもなっているのだが、その一方で、説明不足に起因する消化不良や不完全燃焼といったものを感じてしまうのも事実であり、そこのところは、やはり、残念としか言いようがない。
監督は、決して体制の批判をしたかった訳ではなく、「家族の絆」を描きたかったのだろう。
それでも、その家族の関係が、どこかフワフワと浮世離れしたものに感じられるのは、旅の目的や理由が不明確であることと決して無関係ではないと思えるのである。
ひとひひとり、みんなキャラが良かった 特に次男は演技のあまりの自然...
ひとひひとり、みんなキャラが良かった
特に次男は演技のあまりの自然さに、
本当の家族を見ているみたいな気がした
すっごく遠くから写したり、カメラワークも素敵だった
日本に住んでる私だって、
キャンプで2日間待つとかってありえないでしょ、
ってわかるけど、
両親は本当に分からなかったのか、
それともただ単に信じたかったのか
それを思うと、切なかった
全43件中、21~40件目を表示