「時間の問題…だけじゃない。」tick, tick...BOOM! チック、チック…ブーン! すっかんさんの映画レビュー(感想・評価)
時間の問題…だけじゃない。
○作品全体
19歳と20歳の間にはまだまだ登る階段が目の前にあるという「期待」が強くあるのに、29歳と30歳の間となるとネガティブなイメージがある。二十代の終わりという「若者でなくなる」認識が、人生のコーナーを曲がった気にさせるからかもしれない。ただ、実際には生涯の30/90程度に過ぎない。それでも焦燥感を与えるのは「寿命」と「若さの寿命」が天と地ほども違っているからこそなのだろう。
主人公・ラーソンはそんな「若さのコーナー」を目の前にして、それを曲がってしまう前に…と焦る青年だ。
本作のタイトルが示すように、ラーソンとそれを取り巻く環境にはたくさんの時限爆弾が置かれている。そしてそれは30歳という区切りだけではない、というのがミソだ。
例えば恋人のスーザンとの時限爆弾はスーザンの就職先への回答期限だし、試聴会にバンドをいれるための資金集めはリハーサルの間には終わらせなければならない。それぞれはそれぞれの希望や欲求に応じて期限が決まっていて、30歳という境界線が期限ではないのだ。
ラーソンが作った30歳という区切りを無視するかのように設置された爆弾たちは、物語終盤になって「30歳という区切り」というのは幻想に過ぎないことを指し示す導火線のような役割を担っていた。試聴会後(言い換えれば30歳を過ぎた後)に業界人たちから言われた「次回作を書け」という言葉がタイムリミット後の言葉として存在していながら空虚ではないのは、まだラーソンの物語が続く可能性を他の爆弾たちが証明していたからだろう。
ラーソンを取り巻く人物や環境から見ると爆弾は時限式だが、ラーソンから見れば爆発は時限式ではなく、爆弾に背を向けたときに襲い掛かるものなのだということもスーザンとの関係を見ていると浮き彫りになる。これは裏を返せば「作家の寿命」という爆弾に向き合っていれば勝手に爆発なぞしないということの証左でもあって、ラーソンの熱意がある限り寿命は続くことを指し示していた。
しかし人生が90年であると決まってもいない。その残酷さを明確に、しかし軽快に描いているところが本作の一番印象的な部分だった。ラーソンが夭折することは作品冒頭から語られていることだが、時間に追われ続けるラーソンの姿を描き続けたラストがこんなにもあっさりと描かれている、というのが衝撃的だった。しかし、寿命というどうにもならない残酷さを描く上では最適解だったのではないか、とも思った。
35年という短い生涯は、おそらくラーソンにとっては物足りないものだったのかもしれない。しかしラーソンが残した軌跡は間違いなく力強く残っていて、それは30歳というリミットを跳躍して発揮された才能と、発揮するための情熱があったからこそだ。
「あっけなさ」と対比的に輝く、時間を費やした汗の結晶である楽曲の軽快さ。時間の下で東奔西走するラーソンを鮮やかに演出していたのがとても良かった。
○カメラワークとか
・冒頭のVHSっぽい画質とアスペクト比の映像。当時の記録を映すものとして使われがちだけど、本作を見終わった後に振り返ると「あの時」でラーソンが止まってしまった、というような印象が残った。モノローグでラーソンの死を語る声の主は「あの時」の後も生き続けていたのだと思うが、ラーソンは歩みを止めさせられてしまった、というような。
○その他
・『Sunday』がお気に入り。静謐で神聖な印象をもたらすイントロから「日曜の朝にいちいち出て来ないで家で食えよ」っていうメッセージのギャップがツボだった。『Johnny Can’t Decide』もすごく良かった。どれも大事なもので選べないけれど、その状況がそれぞれの大事なものから遠ざかる一因になってしまっているっていうもどかしさが心に刺さる。
どっちも人間味が溢れてて、ラーソンの等身大な感情が伝わってくる。
・「学生時代」という時間の制限とか「余命」みたいな時間の制限を題材にした作品は、もはやそれぞれ一ジャンルみたいになってるけど、若者から卒業する「アラサー作品」にはもっとスポットライトが当たってほしい…そんなことを思う世代になってきてしまった。
『おもひでぽろぽろ』とか近々公開する『私は最悪。』も同じジャンル、と言えるか。アラサーの年になって今までの自分と訣別しようとしたり、年齢によってまわりの環境の変化に振り回される主人公…これがジャンルの根幹、みたいな。