「達観した強くて美しい人生だった」ハウス・オブ・グッチ Uさんさんの映画レビュー(感想・評価)
達観した強くて美しい人生だった
社長令嬢で露出度アップしたヒロインが、社員たちの拍手と視線を浴びて登場。上品ではないかも知れないけど、序盤の盛り上げとしては最高だった。昭和の邦画で、こんなシーンを何度も観た記憶があります。
◉騒がしいスプーンの音
男と女の愛憎と思惑、新旧勢力の欲得と策略が織り成す、危うくてとにかく濃い味。でもドロドロはしていない。それはパトリツィアとしてのフェア=公明正大が、作品に行きわたっていたからかなと思いました。
マウリツィオの元カノと対峙した時の、スプーンの品のないカチャン、カチャンと言う音が、パトリツィアの生き方を象徴しているようでした。「道徳心」が高くない時点で、フェアはかなり濁ってしまう訳ですが、「私はフェアな人間よ」と言い切ったパトリツィアの勝ち。
◉しかし、愛には勝てなかったのか?
例えば対人関係の微妙な変化にすぐ気づいて、巧みに相手を御していったパトリツィアは、マウリツィオや叔父始め係累を呑み込んだ。だが夫の反撃で、ほぼ全てを失う。
夫とヨリを戻した元カノなんか、夫ごと呑んでしまえばよいだろうと思ったが、それはなかった。
けれど、金勘定やら地位の確保より愛が優ったと言うのは、パトリツィアに相応しくない。独占欲の甚だしく強い女子だったからとしておきたいです。我慢が効かない。
しかし、心が萎えたレディ・ガガは実に可憐でもありました。
◉ここで笑いが出るとは!
夫殺しを決意したパトリツィアは、占い師を伴って殺し屋と密談する。ここで殺し屋たちが、ギャラは6万リラじゃなく8万リラだろうと揉め出す。それを受けて殺し屋ABとパトリツィアの顔色を窺う、占い師のとぼけ振りが可笑しかった。パトリツィアは6万から頑として値上げしない。これは占い師が、ギャラを少し掠め取ろうとしたとみたのですが。
夫殺しを決めるのが少し早すぎとも思いましたが、こんなシーンをシリアスな筋書きの中に組み込んだリドリー・スコット監督も凄い。