「ダ・ビンチは誰に〜 そしてキリストは誰に微笑む?」ダ・ヴィンチは誰に微笑む きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
ダ・ビンチは誰に〜 そしてキリストは誰に微笑む?
美術品の争奪戦だ。
ドキュメンタリーとして秀作。
スピーディーで、画面も鮮明。飽きさせない。
僕はボストン美術館に、ゴーギャンの大作「我々はどこから来たのか〜」を観に行った事がある。
ボストンは、館の目玉にするためにあの絵がどうしても欲しくて、1936年、オークションで抜け駆けして、《必ず落札するためによそでは太刀打ち出来ない額面を最初から提示した》というエピソードの作品だ。
なんせ、あのゴーギャンを飾るために現在の本館の大壁が設計されている。
競売代理店 CHRISTES
美術商 ART DEALER
学芸員 CURATOR
専門家 EXPERT
研究者 RESEARCHER
美術館 MUSEUM
財閥 オリガルヒ
サウジの王族
広告代理店
無関税 フリーポートの金庫室
彼らは威信をかけてそれぞれの思惑と仕事に邁進する。真贋論争の場こそ彼らの社会的評価を左右する“腕の見せどころ"となるわけだ。
そこで
白黒をはっきりさせる者もいれば、曖昧さを残して自分の経歴と信用を守る安全策に出る者もあり、同じ分野の研究者同士でもそのお互いの存在への「牽制」と、そして「仲間割れ」が興味深い。
つまり、値が吊り上がるほど、彼ら自身のステータス価格も、オークションアップするのだ。
広告代理店は、
内覧会における観覧者の感激の表情や、涙を流して手を合わせ サルバドールを礼拝する人々の様子を「特ダネCM映像」として編集するし、
同名のレオ様も人寄せパンダとして呼ばれている。
美術館はといえば、
イギリスのロンドンのナショナル・ギャラリーは真筆との太鼓判で展示した。
けれどもかたやフランスのルーブルは、その逆の判断をなして、この絵のレオナルド銘での展示受け入れを断った。美術館の威信を賭けた一騎打ちは迫真だ。
そしてすべての事象に金銭が関わってくる。
この絵のトレード・パニックは、投資と 転売と 名誉の箔付け。金儲けの嵐なのだ。
世は実体不在の「先物取引」と「ビットコイン」のバーチャルまみれだから、
「絵がいまどこに有るか」なんて、投資家にはもうどうでもいいことなんだろう。
+ +
でも面白いのは、この絵の“主人公"がそっちのけだったこと・・(笑)
幾度もキリストの顔がアップで大写しになるのだが、登場する専門家たちは自らの主張を大声でまくしたてるばかりで
蚊帳の外に置かれる当のモデル=キリストさんには、まったくもってお気の毒としか言いようがない。
骨格はダ・ヴィンチを思わせる。しかし
「目」が変だ。
明らかにそこだけ筆遣いが違う。
権威を示す右手や、体躯。そして水晶玉に掛けたデッサンの力が「目」には無い。バランスがとてつもなく悪い。
別人が、別の時代に、何かの意図をもってこの目を描いたのか、
あるいはこの目が先に描かれてから、付随して体躯が描き足されたのか。
そんなことさえ想像させないだろうか。
逆に言えば
「目だけが 生きている」。
ダ・ヴィンチの手によるものかどうかは分からないのだけれど、
この目。焦点が合わなくなり、もはや涙も涸れ果てたその目と、そして
憔悴し切った表情は、何かを物語っているように見えて仕方がなかった。
では、“口を封じられた くだんのナザレのイエス"はなんと言っていたか、聖書を調べてみると ―
【マタイによる福音書19:16〜ほか】
=裕福な者が神の国に入るよりはラクダが針の穴を通るほうがたやすい。
=では誰が救われることが出来るのでしょうか?
=持っている物をすべて売り払って貧しい者たちに施し、私に従って来なさい。
=それ以来、多くの弟子たちがイエスを離れた。
投資狂想曲。
皮肉な話だなぁ。
いろんな人が、それそれの思惑で、心に自分の神マモンを描いている。
秋には汐留にルオーを観に行こうと思っている僕だ。
ルオーのキリストは目を伏せているから
絵の前に立つと、きっとそこには
リフレクト=映し出される 自分の心が見えてくるだろう。