「【謎の男/アイルワースのモナリザ】」ダ・ヴィンチは誰に微笑む ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
【謎の男/アイルワースのモナリザ】
正直、この作品が制作されたのは、この「サルバトール・ムンディ」の最終所有者が、500億円なんてはした金のサウジアラビアの王子だったことへのやっかみもあるのではないかと思っていたし、映画を観た後、よく考えて、やっぱり、そういう部分は多少なりともあるような気がしている。
偶像崇拝を禁じているイスラム教スンニ派の国の王族が、長年、十字軍と戦い、今でもイスラム教過激派がキリスト教やユダヤ教を攻撃しているのに、なんでキリスト像の「サルバトール・ムンディ」を所有するのだ!?と笑
やっぱり、この「サルバトール・ムンディ」が世に知られたタイミングが、まず悪かった。
(以下ネタバレ)
リーマン・ショックなど金融危機の後で、欧州は、ギリシャをはじめ複数の欧州周辺国を中心に財政破綻寸前まで追い込まれていた状況で、たとえ、大きな美術館であっても、当初に提示されていた150億円前後の金額だって支払えるはずはなかったのだ。
その間、最初にうごめいたのがロシアの石油王ってところも、なんか、昨今の原油高も手伝い、とにかく腹立たしい笑
当初アメリカのディーラーが、「サルバトール・ムンディ」の塗り重ねられた部分を独自に洗浄したりしたことも、もっとちゃんとしたプロにやらせろと腹立たしく感じる。結局、その時は、レオナルド・ダ・ヴィンチ作と確信がなかったから、そうしたに違いないのだ。
レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」もそうだが、西洋絵画には勝手に修復されたり、描き加えらものは少なくない。
こんな中、西洋絵画の世界最高峰の調査・修復技術を持っているのは、間違いなく、ルーブル美術館だ。
これは、レンブラントの映画でも触れたが、もう、反論の余地はない。
そして、レビュータイトルに書いた「謎の男」
この作品の中で、一人だけ、名前も顔も明らかにならない男がいる。
全ては、この男の「レオナルド・ダ・ヴィンチが”貢献した”作品」という発言がベースなのだ。
ところで、「アイルワースのモナリザ」という作品がある。
ルーブル美術館が所蔵する「モナリザ」の他に、もう一つ「モナリザ」があるということが長年言われてきた。
フィレンツェの文献や、新たに発見された手紙のやり取り、そして、なんといっても、レオナルド・ダ・ヴィンチを敬愛していた、巨匠のラファエロの模写のラフスケッチがあったからだ。
そのラファエロのラフスケッチのモナリザは、ルーブル美術館の「モナリザ」とは異なる雰囲気なのだ。
そして、「アイルワースのモナリザ」が世に出る。
”大枚をはたいて”複数のシンガポールのビジネスグループがこれを購入し、現在は、シンガポールの、おそらくフリーポートのどこか一角に厳重に保管されているはずだ。
「アイルワースのモナリザ」は、一応調査は行われ、顔以外の絵の具は、レオナルド・ダ・ヴィンチが使っていたものと一致するという見解がなされていた。
しかし、その顔が、ラファエロのラフスケッチより、ルーブル美術館のモナリザの顔に似ていることから、これは後年、書き換えられているという疑問が付きまとっていた。
このビジネスグループは、顔部分の絵の具の調査を拒否し、ここまでくると、「サルバトール・ムンディ」と似た状況を想像しそうになるが、X線や解析技術が格段に進歩し、経年劣化が激しい「モナリザ」を後世にできるだけ、このままで残す方法を探るために、ルーブル美術館が「モナリザ」の再調査を行った際、出てきたのだ。
二枚目のモナリザが、モナリザの下から。
予想されていたことではあったが、ラファエロがラフスケッチした”あの”モナリザの上に、レオナルド・ダ・ヴィンチが、「モナリザ」を描いていたのだ。
だから、冒頭で、親指が二本あるけれども、レオナルド・ダ・ヴィンチは、こうしたことをよくやるというのはうなずけることでもある。
あえなく「アイルワースのモナリザ」は、もう一枚の「モナリザ」ではなくなってしまった。
もう、人目に触れることはないかもしれない。
この作品のエンディングのテロップに、「サルバトール・ムンディ」はレオナルド・ダ・ヴィンチの作品だとルーブル美術館が確認したと出てくる。
僕は、これをもって、レオナルド・ダ・ヴィンチ作だということにならざるを得ないと思っている。
映画でも触れられるが、フスマートの精緻さから考えると、もう一枚の「サルバトール・ムンディ」が登場するなんてことは考えにくいし、レオナルド・ダ・ヴィンチが貢献したのか、レオナルド・ダ・ヴィンチ作なのか二つに一つのチョイスしかないのだ。
近年、レオナルド・ダ・ヴィンチ作の肖像画か否かを判断するときに、目線に注目するというユニークなアプローチもある。
むかし読んだ「モナリザの目」という詩があって、そこには、モナリザは、どこにいても、自分の方を向いていて怖いというような内容が謳われていた。
レオナルド・ダ・ヴィンチは、両目で対象物を見た時と、それぞれ片目をつぶって見た時の違いを、人体の構造として注目していて、顎を固定し、片目を隠しながら、対象物を見る機材を開発しているのだ。
「サルバトール・ムンディ」の目線には、そんな揺らぎを感じますか?
感じませんか?笑
近年、同様にレオナルド・ダ・ヴィンチ作とされた、「糸巻の聖母」は、その雰囲気は薄いように思う。
ただ、長年、弟子の作品とされてきた「レオナルド・ダ・ヴィンチ像」があって、これは、本当はレオナルド・ダ・ヴィンチ作の「自画像」ではないかと言われている。
見た時の揺らぎがあるのだ。
これからも、レオナルド・ダ・ヴィンチほど、世の中を惑わす画家は出てこないだろう。
小説はちょっとくだらないと思ったが、これこそ、「ダ・ヴィンチ・コード」だ。
今晩は
昔、フランスに出張で行った際に、ルーブル美術館にズルして行ったとき、(物凄い広さで、一週間かけても見切れないな・・と思いました。これは他の映画のレビューでも懺悔の意味で書きました。)サモトラケのニケの石像と、モナリザは観ようと行ったのですが、モナリザの前は凄い人だかりで、しかも絵画自体が小さいので、殆ど観れませんでした。隣のアメリカ人らしき男性の”too small!"という嘆きの言葉の方が良く覚えています。
伊丹十三氏のエッセイでも同じような事が書かれていて、笑ってしまいました。鹿島建設の御曹司ではない、鹿島茂氏が、莫大な借金をしつつ、フランスの古書を買い漁っている顛末を書いた「子供より古書が大事と思いたい」も好きですが、今作は美術品自体が、不随する価値で投機の対象になっている現実をシニカルに描いた佳品でしたね。
私は、京都の東寺の朝市などで、千円位で御猪口を買う事の方が、好きですね。では。