ナイトメア・アリーのレビュー・感想・評価
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巨匠デル・トロが描く心の闇と運命の螺旋
人間の心というものを実に艶かしく幻想的に描いた作品だ。秘密を抱えた男が怪しげなカーニバルの一団に身を隠す。このマトリョーシカのような二重構造によって、主人公は一方で俗世から守られつつも、他方では抜け出すことのできない迷宮に囚われていくかのよう。かと思えば、本作は醜く禍々しい存在であるほど親しみと安らぎをもたらし、ノーマルに見えるものほど異常性をむき出しにするという、極めてデル・トロらしいモチーフも見え隠れする。そこでフィーチャーされる”読心術”という要素がまた面白い。誰もが人の心を知りたい、読み解きたいと願うもの。でもひとたびその安易な麻薬を手に入れると、うっかり人生を転がり落ちてしまいかねない。さらにそこへケイト・ブランシェット演じるファムファタールの司る精神分析という闇までもが口を開けて待つ。この心をめぐる攻防のなんとも魅惑的なこと。いつも以上にデル・トロの語り口と人間描写を堪能した。
ブラッドリー・クーパーのラストショットは強烈過ぎる
流れ者のスタンは獣人や芸人たちによる怪しげなショーを売り物にしている見せ物小屋に潜り込み、そこで読心術を学んで、感電ショーの人気者、モリーと2人で一座を抜け出し、都会で一旗上げようとする。時代は大恐慌時代のアメリカ。人々の顔には覇気がなく、彼らが一瞬の驚きを求めて集まってくる見せ物小屋はまるで、そんな時代の縮図のようだ。絶望感。それは映画全体に充満していて、明るい兆しがないことは最初から分かっている。ブラッドリー・クーパーがどれだけ足掻いても救われない運命にある主人公の、訳も分からず破滅に向かって突き進む道程を演じて、物凄い説得力がある。
なぜ、スタンは端から救われない運命を背負っているのか?そして、彼が悪事の限りを尽くした挙句、人生の墓場に辿り着いた時に見せる、奇妙な笑顔が意味するものは何なのか?物語の鍵になる?が、クーパーの端正な表情と熱演によって具現化されるラストショットは強烈過ぎて、しばらく席から立てなくなった。人には決して侵してはならない境界線があり、それを超えると人間ですらなくなるという恐怖が背筋を凍り付かせるのだ。
今回も凝ったセットデザインを作り上げ、俳優たちから最高の演技を引き出しているギレルモ・デル・トロだが、人間の本質を見据える鋭い観察眼は、本作でさらに磨きがかかった気がする。
ギレルモ・デル・トロ監督らしさ満載だがダーク・ファンタジーではない、運命と人間性を軸に描いたダークなサスペンス・スリラー映画。
「シェイプ・オブ・ウォーター」が第90回アカデミー賞で作品賞、監督賞、作曲賞、美術賞と最多4冠に輝いたギレルモ・デル・トロ監督の最新作。
本作でも第94回アカデミー賞で作品賞に加え撮影賞、美術賞、衣装デザイン賞の計4部門にノミネートされています。
本作は「パンズ・ラビリンス」や「シェイプ・オブ・ウォーター」のような❝ファンタジー要素❞を出来るだけ排して、1940年前後の現実世界を舞台に、運命と人間性を軸に描いているデル・トロ監督の新境地的な作品となっていました。
そして、その難しい世界観を映像化すべくブラッドリー・クーパー、ケイト・ブランシェット、ルーニー・マーラなどの演技派俳優陣が脇を固めていて彼らの演技力にも引き付けられます。
物語自体は良くも悪くもデル・トロ監督風味が満載の「ダークさ」が根底にありながら、淡々と進んでいきます。
とは言え、華やかなショービズ界が舞台になっているため、トリックの心理戦やウラ話などがあり、興味を引き続ける手法は流石でした。
映画の完成度は高いものの題材等も含め、割と好みが分かれる作品でしょう。
デル・トロ監督の新境地として見ておきたい作品だと思います。
権力を争奪する大人だらけのダークが1番怖い。
本作は、あまり情報を調べずに鑑賞するほうがいいと思える作品の部類。
ショービジネスに魅せられた野望ある青年の物語と思って見ていくと、どんどん先が気になって仕方ない。
鬼才ギレルモ・デル・トロ監督と豪華な俳優陣のセッションで、読み聞かせてはいけない「大人向けの童話」が立体的に色を放ったような不思議な感覚に陥った。
ストーリーは日本昔話に似た説得力があるが、仕事に没頭していくスタン(ブラッドリー・クーパー)の姿は見ていられなくなる。
美しくて豪華なホテル暮らしが幸せそうに見えなかったところは監督の思惑通りなのだろう。
予想外の展開にドキドキさせられたが、華やかな悪夢に酔いしれるよりも、教訓という意味合いもあり、何とも複雑な気持ちになってしまう「大人向けの童話」だった。
洋画特有のアダルトビデオみたいな展開が嫌い
悪夢の人生回転木馬
ウィリアム・リンゼイ・グレシャムの同名小説の二度目の映画化。意味は「悪夢小路」で、人生どん詰まりの浮浪者、アル中、ヤク中の吹き溜まりのこと。そこからうまく連れ出し、野人(ギーク)と称してフリークショーに出演させるくだりが、この作品の屋台骨となっている。
今回はギレルモ・デル・トロが監督/脚本だが、皮肉なストーリー回しと悪趣味な設定や美術装飾が、いかにも彼らしくファン心をくすぐる。
舞台は一九四〇年代のアメリカ。行き場をなくした孤児のスタン(ブラッドリー・クーパー)は、移動式遊園地に併設された数々の見世物に魅せられ、興行主クレム(ウィレム・デフォー)に誘われるまま下働きを始める。したたかで如才ないスタンは、タロット占いと読心術がウリのジーナ(トニ・コレット)&ピート(デヴィッド・ストラザーン)コンビにうまく取り入り、その技を盗んでいく。そして電流娘モリー(ルーニー・マーラ)に心惹かれ、一緒に独立して、ヴォードヴィルでのショーマンとなる。ここまでが第一部たる立志篇で、艱難辛苦や忍び寄る闇があるとはいえ希望もある。
第二部は、ショーの最中に「スタンの読心術は単なるトリックであって、超能力なんかじゃない」と、心療医リリス博士(ケイト・ブランシェット)に喝破される背筋も凍る場面から始まる。ところがスタンはあらゆる手段を駆使し、この難局を乗りきった上に博士をやりこめる。そこから更に上を狙うスタンに、あらゆる方向から、眩ゆすぎる光と漆黒の闇が襲いかかり包囲する。因果応報。終わらない循環する悪夢。怖いのは結局人間なのだ。
電気女
大人のおとぎ話を期待していたが…
タイトルなし
飲んべえピートが主人公の過去を読み解くシーン、何か良からぬ物が視えてしまい怖じけてやめる姿が、ピートは本当に過去の視える人で、冒頭の放火シーンを視てしまったのかと勘ぐってしまった。観終わってみればファンタジー要素は無かったと思うが、ギレルモ作品らしく何かとファンタジー要素を思わせる独特の雰囲気は漂っていた。
中盤以降は殺された飲んべえピートの敵討ち映画だと勝手に予想してしまったものだから、心理学者リッターの復讐対象者は主人公だと思って観ていた。予想は間違っていたが彼女の罠にはまって主人公が落ちていく展開に変わりなく命を落とす事なく逃亡生活に移っていった辺りで獣人の話に繋がっていくのだなと感心した。
なかなか深すぎて難しく見応え十分な作品 謎の人物リリスの考察に駆られてしまう…
1940年頃のアメリカでおきた出来事を描いた作品。
カーニバルと呼ばれている、遊園地や見世物小屋などを集めた場所が舞台。
※主人公であるスタンに、この物語の様々なものが仕掛けられている。
作品をさり気なく見ていて判る部分とわかりにくさも手伝って、何度か見たくなるような魅惑的なものに仕上がっていると思う。
視聴者は主人公と一緒になることで、主人公と同じように見落としてしまう箇所がいくつかあることも面白さなのかもしれない。
冒頭に主人公の秘密が垣間見える。死者を家ごと燃やすのだ。
たまたま立ち寄ったカーニバルで雇われると、すぐにその仕事に馴染み、読心術のピートと仲良くなる。
やがて彼がカーニバルから独立して始めたのが、顧客を富裕層に絞り込んだかつての読心術だったが、それが次第に降霊術へと変化する。
これは至極一般的で、スタンがのし上がっていく過程でもあり、同時に妻モリーとの間隙も生まれるが、モリーの心境の中心が主人公同様に読みにくい。スタンに対する苦悩なのか、思った生活ではないという感覚の… 望郷のようなものなのか…
読心術というカテゴリであれば、それはショーでありマジックだ。この範囲は人を傷つけるものではなく、あくまでショーを楽しみにする人を喜ばせる。
しかし降霊術になれば、嘘と同じになり、時に人を大きく傷つける結果となる。
このモリーの心境がスタンの行動を追いかけることで見えにくくなり、同時に登場したリリス博士の怪しさに、そんな些細なことはどうでも良くなってその先を見たくなるのだ。
リリスの囁きに同意したスタンは、大金持ちの秘密をリリスから頂き、詐欺の降霊術で人を騙す仕事を開始する。
このリリスによって、スタンの過去が少しだけ明らかになるが、リリス本人が一体何を目的としているのかつかめない。しかし視聴者の興味は大金持ちのエズラの要望をどうやって満足させるのかというスリリングな場面へと誘われる。
結果はスタンの思ったものではなく、殺人まで犯してすべてを妻の所為にしてリリスのもとに転がり込む。
リリスはもらったお金全部上げるから逃げろと言うが、お札はすべてすり替えられた1ドル札だった。リリスに撃たれ、リリスに反撃しようとするがすぐ警備員がやってくる。
スタンは列車に飛び乗って何とか逃げ切る。
どれだけ逃げていたのか、それは彼の髪と髭が教えているが、彼はとあるカーニバルで雇ってくれと申し出る。これが物語の「オチ」になる。タイトルの「ナイトメア・アリー」は、かっては獣人を作るためにアル中の狩りをする場所だったが、今それは彼自身の人生を現実化するものとなったのだ。
さて、リリス博士は一体何者だろう? ここが問題だ。
彼女の胸の傷とホルマリン漬けのエノクは、映像的に被る。2日間母を苦しめ殺したエノクは、人間の腹黒さの象徴なのだろうか?
彼女はお金が目的ではないとした。同時にスタンに渡したお金をすり替えている。これは彼女の目的が達成された、または彼を見限ったことだと思われる。それは何?
彼女の胸の傷は、何? 彼女のその後は描かれていない…
彼女はスタンと観客という立場の群像では? 騙すものは騙される。でもしっくりこない…
リリスのウィスキーを飲んだことが、すべての転換期だったことはわかった。
大きな胸の傷とそのトラウマを持つ心理学者という金持ち相手のカウンセラーは、スタンの読心術に興味を持った。彼女がまだできないことだったからだ。
やがてリリスはスタンを読心し、I’ll do love you という彼の母の言葉を口にする。このとき彼はリリスに捕まってしまったように感じた。
そしてそこにこそリリスの真の目的、彼の読心術だ。この技術の取得が彼女の真の目的?
なんとも考えさせられる作品だった。面白いし、映画ならではの映像美に惹き込まれた。
そしてずっとどこかで見たなと気になっていたのがモリー役の女優、ルーニー・マーラ。あのドラゴン・タトゥーの女の主人公だ。彼女はどんな作品でも輝いている。
デル・トロ監督の見せ物小屋的作品‼️
獣人の正体、これへぇーって話ですよね
「仏つくって魂入れず」の空疎さ
デル・トロ作品はいくつも観ているのだが、深い印象を受けた試しがない。
映像はかなり凝っているし、ストーリーもよく出来ているし、キャラクターも明確だが、何故か印象が薄い。アカデミー賞を獲るなど、この監督への評価が高い理由がわからない。
本作もレトロ、ノスタルジックなセットと色彩と、昔あった見世物小屋の中の昔風のストーリーで、一応形だけはよく出来ている。
「蛇女」「可哀そうなのはこの子でござい」などと、異形の生物に見せかけた人間のトリックを連想させる「獣人」が出てくるが、小生はこの「獣人」が逃げ出した時点で、作品の結末が読めてしまったw
その後も、ケイト・ブランシェットの心理学者はよく出来ていたが、肝心の主人公の人物造形が浅薄なため、心理を読み合う2人の戦いとしては淡泊すぎてつまらない。
その後の顛末も、意外性はなく、最後は予想通りに落ち着く。
何と言うか、「仏つくって魂入れず」の空疎さなのが残念だ。
I was born for it
あーそうなるよねー
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