「現実悪夢の中で繰り返す…己の罪と運命」ナイトメア・アリー 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
現実悪夢の中で繰り返す…己の罪と運命
ダーク・ファンタジーやSFの印象が濃いギレルモ・デル・トロがノワールを手掛ける。意外な気もするが、本人にとっては念願だったという。
過去の監督作の中ではゴシック・ミステリー×愛憎劇の『クリムゾン・ピーク』に近い系統に思えるが、全く違う。
人の心の暗部に迫り、その顛末をダーク・ファンタジーの雰囲気をまぶして魅せる。
あたかもデル・トロに心を読まれ、突き付けられているような…。
大まかな話自体はシンプルだ。一人の男の栄光と破滅。
そこに野心や欲、“読心術”や“深層心理”が絡み、見る者を翻弄し、この悪夢のような世界に誘っていく…。
大恐慌時代のアメリカ。訳ありの放浪者、スタン。
とある駅に着き、一人の小男の後を何気なくついていき、流れ着いたのが、巡業中のカーニバル。
奇妙な催しや見世物が売りのこのカーニバル。奇術や獣人ショー。
ひょんな事から裏方雑用の職を貰い、働く事に。
働きながら、カーニバルのからくりを知る。
相手を透視するジーナとその夫ピート。本当に透視能力がある訳ではなく、ピートが“読心術”でターゲットの情報を合図でジーナに知らせる仕組み。“読心術”の術を学ぶ。
獣人も本物ではなく、頭がおかしくなり、行き場の失った浮浪者を仕立て上げ。
犯罪スレスレの行為や知れば何て事の無いタネ。が、それを取得し、“見世物”にするのは非常に難しいが、スタンはすっかりこの世界に魅了される。
アル中のピート。彼に懇願され、酒を飲ませるが、急死。(スタンのトラウマの一つになる)
警察が踏み込み、廃業の危機を救ったのが、スタン。覚えたての読心術と話術で警察を抑える。
秘められた才能が開花。自分がやりたい事が見つかった。
カーニバルの若い女性キャスト、モリーと恋仲になっていたスタンは、ピートの読心術のメモを手に入れ、彼女と共にカーニバルを去る。
2年後、スタンは都会のショービジネス界で読心術師として成功し、華やかなスポットライトを浴びていたが…。
我々は開幕からスタンの動向を見ている。
読心術さながら、本人より知っている…かのように。
一見、放浪者からの成功者。が、彼の背景は…
開幕シーンのある“罪”。カーニバルでのトラウマ。
どん底に居た者がそこから這い上がり、手に入れた地位と名声。
その甘美や陶酔は麻薬そのもの。
こういう男こそ、愚かにも罠にハメられ、騙され、犯した罪と共に堕ちていくのだ…。
あるショーの最中、心理学者リッター博士の横槍が入る。
即興の読心術で切り抜けたスタン。
それがきっかけでリッターから関心と興味を抱かれる。読心術ではなく、スタンという男自体に。
リッターの患者の判事。リッターからの情報で判事の読心術を行う。
判事夫妻の亡くなった息子の霊を呼び寄せ、声を伝える。
無論、インチキ。が、成功し、判事夫妻は心が救われ、スタンも更なる名声と金を得る。
これが、一線を超えてしまったその後の顛末への境界線…。
次なるターゲットは、資産家。
リッターも手を焼くほど猜疑心が強く、心を開かない。
亡くなった妻への罪悪感。降霊させ、合わせると約束するが…。
資産家の亡き妻とモリーは似ている。モリーにカツラやドレスで演じさせようとするが…、モリーは協力を拒否。こんなのはただの騙し。愛する人を失って未だ悲しむ人を騙してまで金を得ようとするなんて…。
いつまで経っても降霊を行わないスタンに、資産家を痺れを切らす。
準備もままならないまま、降霊当日。直前になって逃げたモリーを説得し、連れ戻し、降霊を行うが…。
デル・トロのビジュアル・センスは言うまでもなく健在。
ダークな映像美、こだわり抜いた1940年代のアメリカやカーニバルの美術。
奇怪なカーニバルの雰囲気を醸し出す獣人メイクや奇形児のフリークス・デザインは、デル・トロの手腕が冴える。
だけど今回はビジュアルよりも、美と残酷の悪夢の中に誘う語り口。スリリングで救い無く。後味は悪いのに、いつの間にか話に引き込まれていた。
成功からの転落、野心と欲、愚かさ哀れさを体現したブラッドリー・クーパー。
可憐なルーニー・マーラ、トニ・コレット、ウィレム・デフォー、リチャード・ジェンキンス、常連ロン・パールマン、デヴィッド・ストラザーン…演技巧者が演じた一癖二癖あるキャラが織り成す極上のアンサンブル。
中でも、ケイト・ブランシェット演じるリッター博士。終盤強烈なインパクトを残し、妖艶なファム・ファタールぶりは作品にぴったりで、さすが!
資産家の思わぬ行動で、インチキがバレる。
スタンのインチキをバラし、今の地位から失墜させると激昂。
スタンは衝動的に資産家を殺す。主人を助けようとしたボディーガードをも殺す。
スタンが抱える罪。開幕シーンで殺めたのは、憎んでいた自分の父。
故意か過ちか、カーニバルでも…。
罪に罪を重ね、またさらに罪を重ねる。
これがスタンの本性。読心術師、成功者、野心家ではなく、罪人。“獣”のような…。
モリーは完全にスタンの元を離れる。
逃げるスタンは逃走資金を得ようと、金を保管しているリッター博士の元へ。
ここで知る衝撃。
お金に興味が無いと言っていたリッターだが、密かに横領。
スタンはビジネスのパートナーであり、お互い惹かれ合う相思相愛と思っていたが…、リッターにとっては彼もまた“患者”。全て彼女の手のひらで踊らされていた。
話術と読心術で彼女を丸め込んだあの時から、実際はこちらが“かけられていた”のだ。
彼女も殺そうとするが、警備員が駆け付け、逃走。
街を抜け出し、姿を消す。
もはや皮肉だ。
罪を犯し、流れ着いたのは、再びカーニバル。
物語の始まりと一見同じ。違うのは…
読心術師として雇って貰おうとするが、そこの主催者は興味ナシ。読心術で客は入らない。
客が見たいのは、奇妙奇怪なもの。
一つだけ仕事がある。身も心もボロボロ、アルコールに溺れ、頭がおかしくなり、行き場を失った浮浪者にしか出来ない仕事が。
かつてのカーニバルで自分にとって“運命”と感じたのは、読心術師ではなかった。
見世物フリークス・ショー。“獣人”になる事が、自分の運命…。
心理学分析。
読心術師として傲慢に溺れ、トラウマと罪を抱える男に甘い誘惑をちらつかせた時、どんな行動に出るか…?
自身の罪と運命から決して逃れられぬ。
転落と破滅の現実悪夢へ…。
本作はギレルモ・デル・トロ史上、最も残酷で恐ろしい作品であった。