「【通い始める心】」ユンヒへ ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
【通い始める心】
韓国では19年に公開されていたが、日本ではコロナ禍で公開がずいぶん延期になっていた作品だ。
やっと上映にこぎつけられたとのことで、中村優子さんが感慨深さからか涙していた。
アジア映画には、(身体の性が)”女性”のノン・バイナリーを描いたものは少ないと言われている。
欧米とは異なり、”女性”が性欲をもつことを未だタブー視する傾向が高いことも大きな理由らしい。
偏見が欧米以上に多いのだと思う。
この作品は、登場人物の心の変化がきめ細かく描かれていて、単純な言い方だが、とても好感の持てる作品だと思った。
最近観た某国内作品とは違って、安易に”ユリ”だとか”BL”とか矮小化するような言葉は出てこない。
ノン・バイナリーが当たり前のようになるまでの間、矮小化された言葉を使ってノン・バイナリーを取り上げることがコミックや小説が流行のテーマになってしまうのは、ある意味、やむを得ないのかもしれないと思う反面、作品によっては、それをノン・バイナリーの人たちが読んだりしたら、どんな風に思うのかとか、KYが過ぎるんじゃないのかなど考えてしまうことがある。
この作品はドラマチックな変化はないものの、心の変化をきめ細やかに示唆的に描いていて、2人がノン・バイナリーであることにどう向き合わなくてはならなかったのか、それぞれの悲しさや辛さ、葛藤、そして、その後の人生が良く分かるように綴っているように思う。
(以下ネタバレ)
ミックスであるため、両親の離婚を機に、日本人の父親を選んで小樽に移住したジュン。
意に反して、男性と結婚し、セボムをもうけたユンヒ。
ジュンに好意を寄せるリョウコに対し、隠してきたことは隠し通しなさいと言わなくてはならなかった気持ちはどんなだろうか。
ユンヒと離婚したものの、ユンヒを思い続けるセボムの父親インホの気持ちもどこか切なく、別れを告げられた男性の気持ちとして共感できるものもあった。
小樽でジュンを受け入れ一緒に過ごすマサコの存在。
純真無垢なセボムの明るさは、悲しさや切なさに対して、どこか温かく前向きな希望を与える。
この作品はセボムなしでは成り立たなかっただろう。
この作品は、どんな形であれ、一歩踏み出すことは出来るのだと言っているような気がする。
若い時代の恋愛に距離や時間が残酷であることは否定できない。
しかし、時の経過に従って価値観は変化するし、過去の空白を少しでも埋めることは出来るのではないのか。
冬の寒々しい小樽を再会の場としつつも、とても、示唆的であたたかい良い作品だと思う。
今晩は
”韓国では19年に公開されていたが、日本ではコロナ禍で公開がずいぶん延期になっていた作品だ。”
知りませんでした。
今作は、私はとても面白く鑑賞したのですが、メディアでもほとんど取り上げられることはなく、私が鑑賞した映画館でも1W後に行った際には、レイトショーのみになっていました。
当たり前ですが、日本の映画業界の仕組みが分かった様な気がしましたよ。因みに上映二日目に鑑賞したのですが、お客さんは10人もいなかったかな・・。けれども、客電が上がるまで席を立つ人は一人もいなかったです。では。返信不要です。