「皆、迷える子羊たち」タミー・フェイの瞳 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
皆、迷える子羊たち
ジェシカ・チャスティンが本作で本年度アカデミー主演女優賞ノミネート。
それも納得の、本人と分からないくらいの特殊メイクを施しての大変貌、大熱演。
未だオスカー像を手にしていない事が不思議なチャスティン。今年の主演女優賞レースは混戦状態。チャンスあり。受賞なるか…!?(でも個人的チャスティンのイチオシは『ゼロ・ダーク・サーティ』なんだけど)
にも拘らず、日本では劇場未公開。U-NEXTの配信で鑑賞。
まあ、致し方ないかな…。TVに映る者の表の顔と裏の顔は日本人にも通じるが、メインは、日本人には馴染み薄い宗教と実在の伝道師夫妻のスキャンダル。
タミー・フェイとその夫ジム・ベイカー。
キリスト教団体“PTL”を立ち上げ、そのTV番組“PTLクラブ”を通じて、神の声や愛を伝え続けた。
妻タミーは奇抜なメイクや歌唱力で人気者となり、夫ジムは製作。おしどり夫婦。
1970年代~1980年代に掛けて、信者だけではなく、大統領からも称賛の声。
支持、名声と地位、お金…全てを手に入れた。…が、
徐々に明らかになる実態と素顔。
贅沢な暮らしと団体の運営で金がかさみ、借金。夫は詐欺や献金を不正に…。
さらに夫に不倫、女性への性的暴行、同性愛疑惑…。
次第に夫婦の間に不仲、言い争いや喧嘩も絶えず…。
遂には夫の逮捕。タミーもTV界を追放され…。
築き上げた栄光からの転落劇…。
まるで例えは違うかもしれないが、日本で言ったらかの宗教テロリスト団体をどうしても思い浮かべてしまう。
が、あちらは一つも擁護出来ないほど許し難いが、こちらは自業自得であるにせよ、哀れさを感じる。
端からの悪人、罪人ではない。何処で道を過ってしまったのか…?
“タミー・フェイの瞳”から語られる。
タミーが宗教に目覚め始めたのは、少女時。
母が教会でピアノを弾き、こっそり覗きに行っていた。
厳格な母からは何度も注意を受けるが、タミーの心はすっかり主のものになっていた。
学生時代に運命の出会い。宗教に熱い思いあるジムと気が合い、愛し合うようになる。そして結婚。
饒舌な夫が説教し、自分が歌う。夫婦二人三脚で伝道師として活動していた時、TVの宗教番組が転機となる。
夫妻もTVの世界へ。
TV×宗教は奇跡的なカップリング。
TVを通じて、より多くの人たちに声を伝えられる。
TVを見て電話一本で献金を集められる。
理想的な活動ビジネス。
タミーは何も金目的ではない。
熱心で純粋に宗教を信じている。それは子供の頃から変わらない。
慈愛に満ちた性格。
劇中でも描かれたゲイの男性との対話。
当時同性愛者へまだまだ白い目が向けられていた中、理解と愛を示す。
何人を愛する。主の教えがそうであったように。
当時男尊女卑がまだまだ強かった中、女性としての意見を通す。
神の下では皆平等。
では、変わってしまったのは…?
言うまでもない。
一度味わったら最後。
人を惑わし、狂わす“栄光”。
いつしかジムはそれにすっかり溺れ…。
神の声よりビジネス優先。
神の声を伝える者と言っても、実際やりくりするのは生身の人。
どんなに立派な言葉を説いても、自然と金が沸いて出る訳がない。
悲しいかな、神の声を伝えるにも物欲=金が無いと出来ないのだ。
それは分かるが、悪しき行いに手を染めるのは分からない。
他人も傷付けるのも理解出来ない。
主は愛を説きながら磔にされたというのに。
不正や不貞なども酷いが、私が個人的に酷いと思ったのが、陰で知人と笑いながら妻の悪口。
殊に妻のメイク=容姿に対して。
タミーが奇抜なメイクをするのは人目を引く為だが、自身のコンプレックスや素顔を隠す為もあったかもしれない。
奇抜なメイクにそれらを隠して、ハレルヤ! 明るく笑って歌い続ける。
そう、哀しいピエロのように。
よくよく見ると、彼女の瞳の奥底は笑っていない。
喜怒哀楽の体現、複雑な内面演技、歌まで披露して、さながら“ジェシカ・チャスティン・ショー”!
当初は強烈メイクに圧倒されるが、次第にそれもナチュラルに見えてくる。
全てチャスティンの名演の賜物。
ジム役、アンドリュー・ガーフィールドも素晴らしい。
序盤の人の良さ、次第に感じてくる怪訝なうさん臭さ、末路の愚かさ、哀れさの巧みな演じ分け。
チャスティン×ガーフィールドの共演だもの、外れる訳がない。それこそ騙されるほど二人の熱演に引き込まれる。
宗教作品と言うより、TVショーの光と陰、実録スキャンダルもの、ある夫婦の物語として、思っていたより見易かった。
話そのものは実話でこんな事があったと驚きを隠せないが、演出や脚本など“作り”にこれと言った特色は無く、ステレオタイプの実録ものになってしまった印象は否めない。
夫にばかり非難浴びせられるが、タミーには非は無いのか…?
否。夫以外の男性と関係匂わせたり、彼女も一人の人間。この贅沢な暮らしの虜。幼少時は貧しかった故に。
両親へも優遇。が、母親は幸せに満ち足りた顔を浮かべない。宗教を土台に稼いだ金を快く思わないのか、娘夫婦の行く末を案じていたのか。厳格なほどに娘を愛するが故に。
タミーの主への愛は本物。
人々への愛も本物。
では、夫への愛は…?
裏切られ、言い争い、結婚生活の終焉が見え始めても、それでも見捨てず。
それは夫婦としての愛か、伝道師としての愛(努め)か…?
いずれにしても、罪を憎んで人を憎まず。
タミーもやはりスキャンダルで失墜後、全米中から嫌われ者になったという。
純粋だった清き心が何処で…?
夫の迷い、自分自身の迷い。
教え、導く伝道師でありながら、彼女らも迷える子羊だったと言えよう。
人はほんの一歩踏み間違えれば、容易く迷える子羊になる。
そんな世界中の子羊たちへ、哀れと救いと慈愛の手を。
迷って迷って、その中に見出だす自分の努め。
ラストシーンのタミーの歌声は、逞しく、力強さを感じた。
彼女の愛の行いに嘘偽りは無いと信じたい。