「良くも悪くも、TVシリーズそのままのノリで展開する劇場版。たっつん生存確認!」劇場版 乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった… じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)
良くも悪くも、TVシリーズそのままのノリで展開する劇場版。たっつん生存確認!
てか、一番活躍してたのは馬車の御者さんだったような。
まあ、良くも悪くも普段通りでしたね(笑)。
テイストとか、つくりとか、本当にTVアニメ通り。
(TVシリーズは二期ともリアタイ視聴済み。原作未読。)
TVシリーズの一期を初めて観たときは、結構面白くてハマってしまった。
「乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった」。
タイトル通りの設定は、女性版の「なろう」として、単純に趣向に斬新さが感じられたし、一見逆ハーレムものながら恋愛要素が希薄で、キャラの救済がメインという流れも新鮮だった。
考えてみると『フルーツバスケット』の昔から、少女漫画には「菩薩」系ヒロインというのがいて(今勝手にネーミングした)、相手からは「好意」を寄せられていても大して意に介さず、片端から出てくる「病みキャラ」を癒し、トラウマから解き放つことを第一義に行動する「逆Keyゲー」みたいなヒロインは結構いたのだ。
『はめふら』は、それを乙女ゲームのフォーマットに落とし込んで、うまい具合に各個撃破の「救済の連鎖によるゆるやかなハーレム形成」を成立させていた。ちょうど京アニ版『CLLANAD』の女性バージョンのようなものだ。
そこにヒロインの底抜けの明るさと陽性の思考法(実はこの手の頑張り系ヒロインには珍しく、理詰めで解決策を講じるタイプであり、そのビジュアル化が「脳内会議」である)が加わって、観ていてほっとするような、疲れた心をほっこりさせてくれるアニメに仕上がっていた。
にしても。まさか「悪役令嬢」が僕の知らないところで「ジャンル化」していたとは、思いもよらなかった。
『無職転生』に端を発する「異世界転生」ものがジャンル化した経緯なら、まだわかる。『ソードアート・オンライン』(オンライン小説→ラノベ化)や『Re:ゼロから始める異世界生活』(なろう→ラノベ化)のような「地均し」してくれる先駆作があって、2012年の時点で「素人投稿サイトでネトゲ世界をベースとする転生やり直しもの」が流行る土壌は十分に形成されていたからだ。
しかし、「悪役令嬢」ものがジャンル化ってなに??
そもそも「悪役令嬢」はジャンルなのか? 異世界転生ものの一ジャンルである乙女ゲー系のうちの、さらなる傍流ではないのか?(みんな悪役令嬢が流行りすぎて忘れていると思うが、本来は主人公に転生するのが基本のはずだ)
それが今や、「ヒロイン全員悪役令嬢」の雑誌の宣伝まで流れている始末。
連載が全部悪役令嬢ものって、それ普通に頭がおかしいだろう(笑)。
一時期、同じクールで4本の悪役令嬢もののアニメが流れていたこともあったような。
ちなみに原作にあたる「なろう」で今どうなっているかというと、2010年代に「悪役令嬢」ブームはいったん落ちついて、今はそのさらに細分化したジャンルである「婚約破棄」もの、「断罪」もの、「もう遅い」系(「ざまあ」系)などが隆盛とのこと。たしかにそのへんのコミカライズの宣伝、死ぬほどスマホに流れて来るよね……。
悪役令嬢ものが、一般的な男性向け転生ものと異なるのは、
●転生先が特定の乙女ゲームや少女漫画となっていて「未知のオンラインゲーム空間」ではないこと。
●将来を予見できる(ゲームのキャラやエンディングとして事前に知っている)ことが最大のアドバンテージとして機能すること。
●物語中で与えられている役割(悪役)と、中身(善玉)のギャップがかなり激しいこと。(これは男性向けだと『オーバーロード』でもそうだが)
などで、このあたり何となく女性らしいなとも思う。転生するにあたって、未知の世界より知り尽くした世界のほうが安心だし、オンゲ空間よりフィクションの世界のほうが居心地がいいということだろうか。
ただし、二期については一応楽しく観たものの、蛇足感とリピート感がかなり強くて、正直ちょっと飽きてしまった。
一期で「周辺のメインキャラの救済」と「自らの破滅フラグ回避」の道筋がほぼついてしまっていたので、もはや何をやっても今までやったことの繰り返しにしかならない。
すべては予定調和のなかで「闇落ち」を「みんなの力」で救済しておしまいだし、メインキャラが順番に(乙女ゲームのイベント感そのままに)出て来てはカタリナのために立ち上がる作業が何度も何度も繰り返されるのにも、まあまあ閉口した。
― ― ―
で、今回の劇場版。
まさか劇場版にまでたどり着けるなんてね。
先にも述べた通り、本当にTVシリーズそのまんまのノリで作られている印象。
なんなら、クオリティまで、TVシリーズとあんまり変わらないかも。
基本、すごく丁寧には作ってあって、辻褄はちゃんと合わせて来るんだけど、なんというかある意味、事務的ではあるんだよな。
●説明台詞でもろもろ整理をつけてゆく。
●わかりやすい伏線と解決で、あまり客の頭を使わせない。
●作り手は最初から予定調和を隠さないし、客も予定調和を安心して受け止めるという共犯関係がすでに成り立っている。
●1期で順番に「落として」味方につけた7人組は、常に並列的に登場し、順番に同じようなことを同じ程度の長さでしゃべり、並列的に役割を果たすという、ゆるやかな繰り返しのリズムで物語は構築される。これはまさに「乙女ゲーム」の体感リズムの再現である。
●キャラは居る必要がなくなると、しばらく出てこなくなったり気絶したりして、いったん引けて気配を消す。必要が出てくるとパタっと目覚めて参加してくる(カタリナの犬とか、アーキルの鷹とかも同様である)。これも「乙女ゲーム」っぽい。
●映画版は、いかにも番外編という形でまとまっている。あくまで「ゲストキャラ」の問題を解決したら終わりで、ゲストキャラは旅立って、すべてはリセットされて、きれいに現状回復される。この物語はこのあと続く「本編」にはいっさい影響を与えない。まさに「劇場版」の鑑のような作りだ(笑)。さらにはちゃんと原作に山口悟を据えて、原作者お墨付きの安心感も外さない。
基本的に、井上圭介監督という人は、心配性で几帳面な性質なのだと思う。
だから、本作にしても、『みだらな青ちゃんは勉強ができない』にしても、『Lv1魔王とワンルーム勇者』にしても、お話に大きな破綻がないし、痒い所に手が届く気配りの利いた演出をしてくる。一方で、少し安定感を求めすぎて、説明過多になったり、くどくなったりする傾向もあるかもしれない。
本作では、アーキルと国家の関係性に今ひとつよくわからない部分があるし、友人が女装して潜入することにもあまり意義を見いだせない。あと、湖にわざわざ罠を張って最初から誘導する気満々のわりに、闇落ちした聖獣と出くわしたときには驚愕しているのもだいぶ違和感があった。
一番気になったのは、映画版ではカタリナの「破滅回避」という要素がほぼ無視されている点だ。これまでも半分「口実」のようなものではあったが、今回はアーキムを助けなくてもカタリナの人生には何ら影響は及ばないわけで、そこはもう少し「カタリナ自身の事件」の要素も加味したほうがよかったかもしれない。たとえば、2ゲーム合同イベント用の特別シナリオでは、カタリナ(の犬)が聖獣の封印を解いたせいでアーキルの母国が壊滅したことにされて、連座制で処刑されてしまうバッドエンドが存在するとか。
総じて安心して観られるつくりではあったが、あくまでファン向けののんびりした出来だったかな。
以下、観ながら思ったしょうもないことを箇条書きで。
●ああ、鈴木達央がおろされていない!! よかったねえ、たっつん。
●クレジットでひとりしか名前が表記されていないってことは、村瀬歩がクミートの男声と女声はひとりで担当してるってことだよね。相変わらずとんでもない特殊技能だよなあ。ジオルド役の蒼井翔太も似たようなことできるけど、ここまで自然にこなせる人って声優史上、村瀬歩しか存在しないのでは?
●今見ると、声がはやみんということもあって、マリアは『婚約破棄された令嬢を拾った俺が、イケナイことを教え込む』のシャーロットが移籍してきたみたいだった(笑)。
●倉庫での、カタリナの背中に彫像の羽が生えているように見えるカットはいい感じ。
●犬を追いかけて倉庫にたどり着いて、ピヨを追いかけて隊商の王子のいるテントにたどり着いて、と若干芸の無い「繰り返し」が多いのもなんとなく『はめふら』っぽい。そもそも『はめふら』は、「幼少時のカタリナエピソード」→「闇落ちしかけてるサブキャラ救済」という黄金パターンを延々繰り返しながら、ひたすらお付きを増やしていく設計で出来ている作品だからなあ。
●話のつくり自体は、実は『のび太の恐竜』みたいな、動物育成ものでもあるんだな。
●個人的には、あちこちに宮崎駿パロを入れてきているのはちょっと面白かった。てか、これまでのTVシリーズでもこんなことやってたっけ?
馬車の上に乗った女剣士が前方の木々を剣で粉砕するあたりは五ェ門ネタっぽいし、馬車から落ちかけたカタリナのアクションも『未来少年コナン』っぽい。崩壊する橋は『ラピュタ』、金色の鳥の姿をした聖獣との絡みは「おいおいそこまでやって大丈夫か?」の『ナウシカ』パロ(笑)。別れのシーンも『カリオストロ』っぽいよね。
●聖獣が暴発して、世界が真っ白になった瞬間、ここでこの映画が終わったら最高にクールなのに、と思ったが、全然そんなことはないどころか、ほぼ全員ノーダメージだった(笑)。作中での役割を終えた御者だけがずっと気を失ってるのがまた『はめふら』らしい。
●TV版の曲ではベートーヴェンの運命や第九をつかってたけど、今回はモーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」を使用。祝祭感があってよかったのでは?
●動画の暁・火鳥動画制作集団ってのは、やっぱり聖獣の見た目つながりでゲンを担いで依頼したんだろうか?
●映画終了後には、ある意味どうでもいいようなゲーム仕様の「おまけ」が2本あった。映画単体でいえば、あまり面白くないどころか害しかない企画のような気もしたけど、たぶんこれってサブキャラの人数分あって、上映回ごとにシャッフルしてて、コンプするためには何度も劇場に足を運ばないといけない仕様になっているのでは?
あと、『はめふら』という作品のもつ「リピート感」「キャラの並列感」「作業感」が「乙女ゲーム」のシステムそのものに由来していることを、こうやって改めて確認してから終わるのは、意外に悪いことではないのかもしれない。
にしても、流れてくるBGMが本当に古めのアドベンチャーゲーム特有のメロディラインとリピートで作ってあって、笑うしかない。
●実は、白人貴族社会とアラブの王族の友好と交流を描いた、世界における最大の分断の宥和と共存への願いを託した物語でもあったんだな、とか一応言ってみる。