「映画をつくろうとしているひと」スーヴェニア 私たちが愛した時間 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
映画をつくろうとしているひと
映画学校に通う女学生ジュリー。映画をつくろうとしている彼女の日常を散文風につづっていく。
アパートをシェアしていた友人が去ったところへ、外務省に勤めていると自称するアンソニーがあらわれ、世間知らずの彼女に寄生する。純情なジュリーはヘロイン中毒者のアンソニーに(お金と時間と精神を)搾取される──にもかかわらず、彼に惹かれていく。・・・。
ハインラインの代表作のひとつに月は無慈悲な夜の女王というのがある。
原題はThe Moon Is a Harsh Mistress。
Mistressが日本語にうまく訳せないので、やむなく「夜の女王」という唐突なひょうげんの邦題になっている。
ミストレスとは女教官であり、もっと言えばSMの主人役=ラテックスに身を包みムチをもった女のこと。
The Moon Is a Harsh Mistressの意味は──あえて意訳するなら「月はわたしを徹底的に鍛えてくれた厳しい教官だった」である。
すなわち、革命闘争の場となった月世界を擬人化し、それがタイトルになっている。
世の事象は、えてして、わたし/あなたに迷惑をかけた厄災が、あとになってかえりみたとき、じぶんを鍛えてくれた──と認識できる、ことがある。
むしろすべてがそうだ。
嫌な上司や敵対する者との葛藤は、かえりみると、教訓や忠告になっている。
かつて若気の至りや、惚れてしまったがゆえの弱さで、犯罪的に悪い奴とのつきあいを経験したことがあるならば、なおさら。(そこに埋もれず、抜け出して更生したなら)破滅的事態に鍛えられる──の理屈がわかるにちがいない。
本作はじっさいに映画を目指す学生だったJoanna Hogg監督の半自伝とのこと。監督はジュリーをつうじて、アンソニーはHarsh Mistressだった──と言っている。のである。
映画はダメ男に惚れてしまった生娘という──ザ日本映画も大好物の配置にもかかわらず淡々としてギラギラしない。この映画が虐げられるヒロインの設定を持っていることに気づきさえしない。したたかな成長物語になっている。
ジュリー役Honor Swinton Byrneはティルダスウィントンの娘とのこと。かんじのいい人だった。母親役で母親も出てきた。
アンソニー役はトムバーク。マンク(2020)を見たとき彼の演じたオーソンウェルズが凄く似ていた。とくに声。むかし母親がキッチンや居間でBGMのように流していた英会話教材家出のドリッピーを聴いて育ったわたしはオーソンウェルズの声に馴染みがある。
モノクロのマンクでは解らなかったが容貌はかならずしも似ていない。兎唇の(上手じゃない)手術跡が特長。
監督の紹介文にはエリックロメールと小津安二郎が挙げられていた。固定カメラを長く回す。
映画監督になろうとする人がヒントになるような命題が散りばめられている。気がする。
映画学校の同僚たちが、ヌーベルバーグがどうのゴダールがどうの──こまっしゃくれた映画問答を展開している──ばめんで、ジュリーは気がなさそうに虚ろに車窓をながめている。ジュリーは恋愛感情によって映画どころではなかった。でもだからこそ今、リアルな映画がつくれる──経験則が作家をつくる──とこの映画は言っている。