「二つの作品があることを知らなかった…」僕が愛したすべての君へ R41さんの映画レビュー(感想・評価)
二つの作品があることを知らなかった…
並行世界 パラレルワールド これを物語にするには、二つの作品にしなければ伝わりにくい。
そうだったのか… 思わず唸ってしまった。
「君の愛したひとりの僕へ」 何も知らずにこれを見て、表現の甘さと意味不明のことに評価ができずにいたが、この「僕が愛したすべての君へ」で謎が解決した。
誰かが書いていたレビューに、この僕愛のことを知って、慌てるように探し出して見た。
単刀直入の感想は、私も他人の幸せを本気で喜べるほど、自分が幸せに生きたいと思った。
君愛でクローズアップされるのが、しおりだ。その観点において和音は置いてきぼりで悲しさが残る。
しかしこの僕愛では、並行世界そのものが存在する前提が世界の常識で、考え方もそれに準じている。この現実とは少し違う近未来的な世界だ。
君愛との決定的違いは、虚質=意識 という意味で、目に見えない領域で起きているのは、個体の移動ではなく、意識の入れ替わりのことをいうことを明確化している点だ。
そしてその世界をタイムマシンのように任意で移動できるオプションも試験段階だ。
この作品での大きな出来事は、異常者による息子の死。この出来事によって、生き延びた息子と死んだ息子が並行世界として存在してしまった。
和音は法律を破ってまでオプションを使い、生きている息子の世界に行くことを決意。
この作品の一番の考察ポイント【「0.00」ではない「この人」】
最後に和音が並行世界の和音によって書いた手紙を読むことで、この二つの物語が一つになる。
より詳細に並行世界の考察がなされた僕愛。暦の7歳の時の選択がこの二つの物語を生んだ。
息子が死んだ世界の和江は、暦が死ぬ間際に合わせてユーレイになってしまったしおりを救いに行く。あの交差点で。
そこに幸せでいた暦が、IP端末の覚えのないスケジュールによって呼び出され、薬を落として拾ってくれたおばあさんに名前を聞く。「名乗るほどのものではありません」
まぎれもなく幸せに生き続けたしおりが、同じ世界にいたのだ。
実際、この世界もすべてが完璧なのかもしれない。パラレルワールドは存在し、それは選択によって起き、今の心の持ちようが別のパラレルワールドへの入り口だ。それは決して数値ででるようなものではなく、距離など無関係だ。無関係だが、ワームホールのように近道で行ける。
そう、考え方を変えるのだ。気分の悪い考え方から、いい気分になれる考え方を心がけることで、ずっと変わらなかった世界を、幸せに満ち溢れさせるものへと変えることができる。
私は、他人の幸せを本気で喜べるほど、私が幸せになりたい。
この作品を見て本当にそう思った。