「細野さん流の“さよなら”の意味がわかった気がする!」SAYONARA AMERICA fuhgetsuさんの映画レビュー(感想・評価)
細野さん流の“さよなら”の意味がわかった気がする!
細野観光と同時にはじまった映画「SAYONARA AMERICA」を観てきましたよ。
タイトルにもあるように、細野さんの愛するアメリカ音楽に、最後の最後に恩返しするかのように、本場のアメリカまで行って決別したようにも感じた。
それが2019年。
その後はじまるコロナ騒動で、世界中の時間が止まることになるとは、このとき誰も思ってなかった。
そう考えると、このアメリカツアーは奇跡としかいいようがない。
はっぴいえんど時代の「さよならアメリカさよならニッポン」がこの映画の根底となり、タイトルとテーマ曲になってる。
細野さんが50年近く前にはじめてアメリカ来たときが、はっぴいえんどのレコーディングだったと。
そのときのスタジオにも、ライブの合間に訪れたようだ。
半世紀ぶりの想いはいかばかりだったか。
ちょうど先日、細野観光を観ておいてよかった。
その反動で欲求不満状態となり、すごい音楽が聴きたくなり、早く映画観て音楽を聴きたい、という衝動に駆られ、この映画の吸収力がよい方向へ増した気がする。
順番が逆だとまた違ってただろう、当たり前か。
細野さんの音楽人生を丸っと感じたあと、もうお爺ちゃんになってしまった細野さんがアメリカを舞台に、大好きなアメリカ音楽を通してどんどん子供に還ってるのを感じる。
この10年、細野さんは大好きなアメリカ音楽にどっぷりはまって極めていた。
きっかけは311を体験したからかもしれない。
とにかく、その集大成となるアメリカ公演。
そして今、この2年前のことを思い出し、もう10年前のことのようと会話する場面。
コロナ騒動で世界が止まり、時計が止まったことで、この不自由さをどう受け止め、どうやって次に行くのか。
音楽はもうやめるとかいってたけど、最近はまたやりたいみたいなこといったり。
なんだか切ないけど、なんだかわかるなぁ。
でも、もともとアメリカ公演が終わったら休む予定だったから、と。
さよならは、決別の意味ではないですね。
これは細野さん流の洒落であり、最大級の愛情表現だと思う。
さよならアメリカ、さよならニッポン。
大好きなんだよね、きっと、どっちも。
若いときは反抗期で、素直にアメリカ音楽じゃない表現で、海外進出の逆輸入をやってのけたイエロー・マジック・オーケストラ時代があり。
アジア発のオリジナルで、TOKIOだったり、東風だったり。
そして散開して、ソロでどんどんクレージーな面と繊細な面を併せ持つマルチで天才的な音楽を発表しつづけた。
でも、わたしが細野さんの音楽に出会ってからずっと、細野さんはいつもずっと何か悩んでる感じで。
音楽はすごいのに、苦しんでるようにも感じた。
アメリカ公演のワンシーンだと思うけど、ヴァン・ダイク・パークスとの再会も感動だった。
この10年の細野さんは、ライブもたくさんやってくれて、今観てる映画館の隣にあるライブハウスにも2回来てくれたけど、今まで観てきたライブの中で一番いい笑顔でリラックスして音楽を楽しんでるって思ってた。
今までは聴く側のわたしが楽しんでたんだけど、その頃からステージ上のバンドメンバー全員、細野さんと一体となって楽しんでるのが伝わる、そんなライブを観れるようになって、わたしもとても嬉しかった。
それがもう観れないなんて。
やはり2019年がすべてのピークだったのか。
もうあの頃にも、あの前にも戻れない。
もう、細野さんのライブに行くって事自体が幻のようだ。
だから、こうして映画を観に来てる。
でも最後まで観てたら、ぜんぜん寂しくならなかったな。
さよならの意味が、また会おうの意味でしか取れなかったから!
人生いつも前向きでいいとは思えない。
いま世界中から自由が奪われ全体主義へ向かってるっていうコメントがあったけど、別のベクトルでは一旦立ち止まって振り返りの期間だと思うんだよね。
勢いよく前に進むためには、潮のように引いてからじゃないと。
それでは、さよなら!
映画の中で、アメリカ公演に駆けつけた細野晴臣ファンの人たちをインタビュー。
今まで観たアメリカ音楽の中で一番アメリカを感じた、とか。
細野ミュージックは常に変わる、そのすべてが好き、とか。
特にスケッチショーやフィルハーモニーが好きというのも多かったのが意外だった。
わたしも同意見!