機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島のレビュー・感想・評価
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男だねぇ、ブライトさん
自分にはガンダムに関する知識は疎いし、ガンダム戦史と照らす作業なんて到底無理なんですが、いろいろと旧作との相違は、違和感では無く面白味として楽しめました。高機動ザクなんて機体もあったんですね。ガンダムは幅が広すぎて把握しきれないw
今回の作品内容もある程度は知っていたんですが、行間を読み込むようにしないと判らないような作品だったと思います。何故、アムロは直接、ガンダムの隠し場所を問い詰めようとしないのか。ドアンは、ガンダムのパイロットが年若い少年だったことに何を思ったのか。くっきりと具体的な説明をしない、噛みしめて味わう作風は好きです。ちょっと難しいけど。
とはいえ、アムロの最後のセリフ。「あなたの戦争のニオイを消させてください」、旧作と同じセリフでしたか。ちょっと年配のドアンに対して、あまりに生意気で唐突すぎやしないか。そんな違和感を感じなくも無いですが、なんと言いますか、このガンダムという作品からの大事なメッセージだったのかもしれません。そんな無理は承知の、意味ありげ、意図的なセリフであったかのような。これが最後の作品であるからこそ、投げ棄てたのはザクだけど、本当に投げ棄てたのはガンダムであったのか、なんちって。
あと、色々なキャラの活躍振りも楽しかったのですが、ブライトさんの小芝居には一番笑ったw 旧作では堅物なイメージが強かったけど、最後の最後で男を上げたね、ブライトさん。
(追記)
改めて全体を見返すと、物凄く古典的なテレビシリーズの一話の構成を踏まえた内容だったな、と思いました。思えば、ガンダムの活躍シーンが非常に少ない。ガンダムのシーンを徹底的に絞り、話の内容としても、映画の構成としても、ラストまでガンダムを隠して隠して、最後の最後に高らかに響くテーマ曲、(今正に同時期上映している)まるでシン・ウルトラマンのように登場するガンダムの勇姿が、あまりにも古典的すぎて思わず爆笑しそうになったw しかも灯台の灯りをバックにしょってw いや、これでこそガンダム、これでこそロボットアニメ、直球・超特急のテレビシリーズを改めて再現して頂けたのだなと、富野監督には大いなる感謝の言葉をお送りしたい。朝日に照らされてエンディングは登場人物が勢揃いする、私の大好きなカーテンコール(敵キャラはいませんが)。何処までもお美しい様式美で、締めくくりは念願のお誕生日会。実に美しく組み立てられた、これぞ映画、というところでしょうか。
金の掛かった同人作品?
ノリが同人作品。
山羊の逃亡とか、スレッガーとセイラの会話をわざと下ネタに取られる言い方にしたり・・・・・アムロが行方不明時、次の任地に向かう命令を無視する為の三文芝居とか全体的に同人。
それでも、基本設定がしっかりしてくれていれば良かったんだけど・・・・元が四人だった島の子供が20人に・・・・。確かオリジナルでも有った、戦場で親が死んで泣いている子供を見て脱走を決意するシーンも入れられてたけど、あの状況で20人も連れて行く余裕。しかも、何かの集団だったら兎も角、そうでも無い様子。
孤島なのに、パンとかも食卓に並んで・・・・・まぁ、冷凍生地を焼くだけとか有るだろうけど、バッテリー壊れて冷蔵庫も使えないって言ってたし・・・・。
アムロがバッテリー直すのは良いけど、子供たちは兎も角、アムロなら灯台の灯りを付けたらどうなるか分かるだろうに。
戦闘もザクにやられるガンキャノン二機、ドアンのザク一機に対して、敵はザク三機なのに、チャンバラの様に順番に戦う・・・・・。挙げ句、スレッガーのジムは着地に失敗して頭部が飛んじゃうとか・・・。
エンドロールでシャアが出てて「出た?」と思ったら、回想の数秒の台詞だけ。
最後、ドアンと子供達をどうするのかなぁと思ったら、島に置いたままなのかぁ。まぁ、ホワイトベースは次の任地に行くから載せられないけど、「漂流者がいる事は連絡したから、しばらくしたら迎えが来る」くらいの台詞をブライトに言わせて良いんじゃない。もしくはそれを提案したけど、ドアンと子供たちが拒否したとかね。あの島で20人が生きていく食料無いし、当然医療も無いし。良い感じのイラスト付きでエンドロール流してたけど、見殺しやん。
ファーストにおいて描きたかった意図とは違う作品という印象
最近勧められてガンダムシリーズを見始め、次々と様々な作品を観続けています。
ファーストガンダムにおける『ククルス・ドアンの島』というエピソードの本質的な部分は、それに至るまでのイセリナとの対峙、母との再会を語らずしては見えてこないのでは?と思っています。なので長くなりますが、ファーストにおけるドアンのエピソード周辺でのアムロの成長についての個人的な考えを書きたいと思います。
「ガルマ様の仇!」と言い放ち銃を向けるイセリナに対して、アムロは「ボクが…仇だって!?」と衝撃を受けますね。アムロはここではじめて、自分がモビルスーツで闘うごとに誰かの大切な人を殺しているのだという現実を突きつけられ、大きく動揺しました。
さらに、その後の母との再会では「人を撃つなんて!」「あの子はそんな子ではなかった」等と言われ、戦うことは非人道的な行為であり、非情な人間のすることだというような扱いを受けます。
母のショックたるや相当なものだったのでしょうが、ここまで生きるために必死で戦ってきたアムロにとって、母からのそんな言葉はあまりに残酷に思えます。
この2つの出来事から、味方側の都合しか見えていなかったアムロが、自分達も今まで敵から受けてきたのと同様の行為を働いているのだという事実に気づきます。戦場で戦うということは所詮人殺し行為に過ぎず、自分は非情な人間に成り下がってしまったのだという潜在的なショックをアムロは抱えたまま15話のドアンのエピソードへと繋がります。このジレンマを抱えた状態で、かつてアムロと同じ経験をしたドアンのその後の生き様に触れることで、アムロが新たな希望を見出だし、改めて戦う意義を取り戻すという構造となっています。
子供たちに慕われるドアンを見たアムロは、「よくも味方につけたものですね」という言葉を吐きます。それは、彼だってモビルスーツで戦う人殺しなんだ、非情な人間なのだから、何も知らない子供たちを騙して懐柔している上っ面の平和に過ぎないんだというアムロの強い非難が表れている台詞だと考えられます。自分自身がイセリナや母から突きつけられた事実を、ドアンに突きつけている構図と取れます。それでいて、「ぼくはジオンの侵略者と戦っているんだ」と自分はやむを得ない理由で戦っているのだと、理解してくれない人や、自分自身に言い聞かせるかのように言い放ちます。
アムロ自身がまさにその時苦悩していたからこそ、自らの生み出した罪を考えもしないで、のうのうと穏やかな生活を送ることができるドアンが許せなかったのだと考えられます。
しかし後半では、あの子供たちの親を殺したのがドアンであったことをアムロは知ります。つまり、ドアンはかつてアムロと同じ経験をしていたのですね。ガルマを殺した仇となったアムロと同じように、ドアンはあの子供たちの親の仇で、戦災孤児を生み出した張本人でした。アムロは、その事実とともに、ドアンが自分の犯した罪を受け入れて、背負いながら生きる道を選んでいたのだということを知りました。これ以上悲しみを増やさないようにと、子供たちを守るために戦うことを選んだドアンの生き様は、すでに多くの人間の命を奪い行き場のないショックを抱えたままのアムロに一つの希望や道しるべを示すこととなりました。ドアンを自分に重ね、こんな事を経ても、人はただ殺したり、奪ったり破壊的な道に堕ちるのではなく、誰かを守りながら、未来ある子供たちを見守りながら生きていくことができるのだという希望をドアンに見出だしました。それだけではなく、最後はアムロ自身に「やがていつか、人は武器を捨てて生きていくことができるはずだ」という新たな考えが生まれ、あのラストのシーンへと繋がったと考えられます。絶望的な心理状態のアムロが、ドアンの生き方に触れることでその後の未来への道しるべを見出だし、最後には自らの内に生まれた希望によって行動を起こしました。
物語全体を見ると、イセリナさんとの対峙の流れからここまでで、アムロにめざましい心理的な変化が起こったのだということに気づかされ、つくづく感嘆するばかりです。なので、アムロがその時どんな心理状態であったのかの描写を入れるか否かで、このエピソードの重みがぐっと変わってくると思うのです…。
これは自分の想像に過ぎませんが、こうして自分が決して邪悪な人間に成り下がったわけではないと知ることで、それまで戦ってきた意義自体を再確認することもできたのではないかと思います。生き延びるために銃を取るほかなかったけれど、それは結局殺すのが目的ではなく、自分や周りの人の命を守るための戦いで、突き詰めると皆で生き延びていつか平和に暮らせる未来を望んでのことであると自覚し、そのあるべき未来をドアンに託したという形なのではないかと思います。
なので、アムロのそこらへんの心理描写を少しでいいから描いてほしかった…。
あのガンダムで踏み潰すシーンも、あの青年を守らなくては、目の前の1つの命を守りたい、という戦いにおける根源的な動機を描いているのかもしれない。でもそうだとしたら、もうちょっとデリケートに描けたはず…。あれでは虫を踏み潰してるくらいのめちゃくちゃ軽薄なサイコパス行為にみえて仕方がないです…。この作品はファーストで訴えているであろうテーマをベースに考えてはいけないんですかね。
ザクの戦闘めちゃくちゃかっこよかったので、個人的にこの映画はザクのかっこよさを讃えるためのものという位置付けです。褐色のサザンクロスのビジュアルも好きな色合いで、その点では満足です。あと作中のドアン信者が信者過ぎてもう面白い。
最後の花火の意図は理解できるけど、危険を遠ざけてひっそり生きようとするが故に灯台を直さなかったくらいなのでさすがに違和感あるというか、そこまでの派手な演出はいらないのでは?と思ってしまいました。
個人的に、オリジンやこの作品でのカイ・シデンの性格がすごーく引っ掛かります。ファーストやΖで描かれていた人間性とは、似たようで根本的なスタンスが全く違うように思えてなりません。あまり好きではないですね。
物足りない
アマプラにて鑑賞
ORIGINからの流れをくむものの密度が薄いというか、あまりMSが登場してくれない。
スクリーンで観たら印象が変わるとかとも思うのだけど、多用されるデジタル的なズームバックにOVAの匂いを感じ、予算的に圧迫でもされてたのだろうかと首を傾げる。
雰囲気は良かった。
連邦の白い悪魔と呼ばれるにたる雰囲気がしっかりあってゾクリともする。
ドアンのザクにしても、その脅威はガッツリと描かれはして、オープニングアクトにはゾクゾクした。
なのだが…期待値を高くし過ぎてしまったと項垂れる。ドラマ寄りの構成でも悪くはないが、やはり目的はMSなのではと思うのだ。
1番はサザンクロス隊とスレッガー機の不甲斐なさである。新規参入のMSでありながら、活躍してくれない。やり方はあると思うのだけど、やってくれない。
サザンクロス隊のザコっぷりたら…こけおどしもいいとこだ。隊長機の小物っぷりが…なんであんな立ち位置にしてしまったのだろうか?
MSのデザインとか背負ってる背景とか、とっても良かったのに…腹立たしい。
ドアンに加勢するガンダムの登場シーンは「ダサい」としか言えず、一気に冷める。
あのシュチュエーションと物語で、もっとMS戦を描いてくれてたらと残念なのである。
まぁ、それでも、ドアンと子供達の分量は多すぎると思われる。ラストにカルデラに全員集合してる意味も分かんないし…セイラさんとか絶対行かせないんじゃないのかなぁと思うのだけど、子供を抱いてまるでピクニックにでも行くような空気感だったしなぁ…。
ただ今作でマ・クベのキレ者っぷりが見れて良かった。テレビシリーズでは見掛け倒しもいいとこで、その役職とキャラのギャップが甚だしかったように思うのだが、今作では、歯応え充分であった。
MSがもっと見たかった。
シャアのザクはリミッター解除による強化が描かれてはいて…そのシャアに匹敵するドアンのザクにはどんなトリックがあったのだろうか?
もしノーマルなザクでと言うならば、彼はシャアを凌ぐ程のパイロットであり、ジオン軍として戦争に参加しなかったのは連邦にはラッキーだったなぁとふとそんな事を考える。
と、同時にシャアのブランド感が薄れたなぁと。
後、今作のガンキャノンのバックパックが素敵だ。プラモが出るみたいなので買おうと思う。
MSはかっこいいけど話の展開はモヤっと
当然ながら映像はキレイで、動き回るMSはカッコイイ!けど、ククルス・ドアンが軍を抜けた理由(匂わせ回想はあるけど)とかサザンクロス隊との因縁とかあの島にいる理由とか、子供たちは何なんだ(戦争孤児なんだろうけど)とか、もうちょっと丁寧に描けばすっきりできそうなのに…と言う点が多くてモヤっとする。何より手当してもらっといて礼も言わず話も聞かずガンダム探し出すアムロがなかなかにダメなやつでイラッとする。
マ・クベのセリフが好き。
監督が作者なんだからそうなんですが、THE ORIGINのキャラがヌルヌル動いていて、ちょっと感動。シャアは本当に一瞬の回想だったけども、戦闘シーンは迫力があった。爆発しないので地味だけど、コクピットを一突きするシーンが、アムロのポテンシャルを示していた。
ブライトの私室にて、ミライさんがチェアに座るときの仕草・雰囲気が今後の二人をすごく連想させて良かった。マ・クベの「パリは燃えているか。ニューヨークは・・・以下略。私の部下にも文化を愛するものがいたということか・・・。」が司令官としては最悪の展開だけど、心の同志としてはちょっと嬉しい気持ちも垣間見えてこの映画1好きなセリフだったりした。
ゴップ若かった。最近ジョニー・ライデンの帰還のゴップしか見てなかったから滅茶苦茶若く感じた。この時はきっとそこまで老獪な感じでもなかったんかな・・・。
あわよくばマ・クベの駆るギャンを見たかった。
作家、俳優は卒業すべき
映像技術は時代なりに進化しており、美しく、見応え充分である。が、画が古い。
安彦良和という作家が相当に古いまま、アップデートしていないのだと思った。
かつてのテレビまんがの時代、セルアニメの時代性にはとても良くマッチしていて、
素晴らしい作家として、一時代を築かれたレジェンドであることは間違いないのだが、
現代において、彼のアニメーションの演技演出は軽すぎ、漫画すぎる。
人間はどこまでいっても滑稽な存在だという人間哲学があるかとお見受けするが、
オリジンにおいてもそうだったが、氏の漫画家ゆえの作家性と言うのならば、
今日日こんな演技をつけさせるということが、もはや古いとしか言いようがないし、
意図的なのであるとすれば、古い作品のリメイクという虚構に、自ら、踊らされた「作為」が過ぎる。
その作為は声優の演技も乗っ取っており、
アムロ、カイ、シャアのレジェンド声優の演技も、相当に難しい・・というか無理がある。
自分でかつての自分を再現しようとして、逆に違和感が強い。(セルフカバーの悪い輪廻に憑りつかれているように思える)
やはり声優も俳優なのだから、身体性に沿った歩みがあるはずなのだが、それがない。
(そして今後、こういった分野は、AIの仕事になってゆくのでしょう。
今の古谷徹よりも当時のアムロらしい、劣化のない、誰もが聞いても違和感のない声が宛てられるようになるだろうが、、それは別のお話)
本来、俳優に古い役を、50年経っても同じ声、同じ演技を求めること自体がナンセンスなのですね。
卓越した技術で(ある程度)再現できる事ははあるだろうが、
俳優には歳相応の役を、今の古谷徹には今の古谷徹に、相応しい仕事があるはずで、
それを用意しないのは、起用側の罪であろう。(オールドファンの執着も理由のひとつである)
(40になっても50になってもアイドルをアイドルのまま卒業させないと、おかしなことになるのと同じで、
人にはそれぞれ、年齢に応じた相応しいステージがあるように思う。
その年齢、その時代、その瞬間にしか創り得ない 掛け替えのない仕事があるはずなのだ。
その俳優の技術や特性が、成長した結果、リメイクにマッチしているならば、それもまたOKなのだ。
それを無視して、ただただ同じ俳優を起用することがナンセンスなのである)
そういう意味では、安彦氏にも今の安彦氏に相応しい仕事があるように思う。
ご本人には、後輩へ伝えたい想いが強くあると思うが、観る限り、この仕事はそうでないだろう。
また、これも監督の作家性に依るものと思うが、
モビルスーツに人間の演技をつける必要はない。
ガンダムという作品において、モビルスーツには兵器という役割があるはずなのだ。
(メカ設定上にも、パイロットの感情がフィードバックされるような技術はなかったと思う)
そこを乗り越えてしまうと、ガンダムという作品性を自ら否定してしまう。
原作の1エピソードをうまく膨らませ、キャラクターの深掘りをさせることで、作品性は非常に良かった。
とても面白かった。
WBクルーのキャラクターも活きていたし、ブライト、マ・クベなど、いちばん株を上げたように思う。
とはいえ、ガンダムという作品テーマからは当然、逸脱できる事はなく、原作の最終回をそのまま落とし込んでいて、
アムロに仲間ができ、武器を捨て、還れる場所があることに彼自身が気づく物語なので、
ジオン側の兵士にもまた、
自ら戦いを捨てる事ができれば、還れる場所は作れるはずだということに
ドアン自身が気づき、自らザクを捨てるという選択ができていたら、
よりテーマは明確になったように思う。
が、そのあたりは、原作との兼ね合いで、どちらを優先するかという事になる。
当然、メインの客層としてのオールドファンへのサービスも必要であるのだが、
個人的には、原作をもう少し離れ、破綻があっても、一本の映画作品としての自立が観たかった。
とはいえ、それはそれで炎上するのが、火を見るよりも明らかで、
現代において、名作のリメイクというのは、非常にヤリヅライものだなあと、強く感じた。
ガンダム
THE ORIGINを観た時に、このクオリティでファースト観たいと思っていたので、この映画を知った時は、なかなか嬉しかったです。
物語は意外と、ほのぼのしたシーンも多く、そんなにガンダムガンダムしてない印象を受けましたが戦闘シーンのアニメーションはクオリティが高く、やっぱりガンダムだなって感じでした。
人の死に対する描写や心の動きは、ファーストより、やや強めに描かれてたように思いました。
BGMが終始最高でしたね、古き良きものからアレンジがあったり新しい曲も入っていたり絶妙なバランスで、ラストの歌も、とても良かった。
こらからも、このクオリティでガンダムシリーズ幾つか作って欲しいですね。
束の間の平穏
シン・エヴァンゲリオンで完結したのを受けたのだろうかガンダムも40年ぶりの映画化だからシン・ガンダムかと期待が膨らむがこちらも大人の都合に子供たちを巻き込む不心得映画。
カナリア諸島の無人島アレグランサ島、無人の筈が20人もの戦争孤児たちが古い灯台で暮らしている、灯台守の家族だったのだろうか、面倒をみているのはタイトルにもあるククルス・ドアン、かってはジオン軍のエース・ファイターだったが親たちを巻き込んで殺してしまった贖罪意識なのだろうか、原作ではドアンも孤児院出身だから子供たちが他人ごとに思えなかったとみるべきか。
偵察に来たガンダムはドアンのザクに倒されるが負傷したアムロを助けたのもドアンでした。
しばらくは島での孤児たちとの共同生活が描かれます。ドアンの心意気に感銘してアムロも軍を離脱、二人で孤児たちを守って行きましたであれば、今どき立派な反戦映画になったでしょう。
束の間の平穏も打ち砕かれ、島は再び戦場と化すことに・・。あとは推察通りの展開でアムロは復帰、よってガンダムの戦いは終りませんでした。ミサイル発射を間一髪で食い止めるのが007以来の見せ場なのにあっさり看過、連邦軍の迎撃ミサイルで撃破というのも珍しい。
腑に落ちないのはアムロがドアンのザクを海に捨てます、なまじ武装するから敵を呼ぶとの理屈でしょうが戦争がまだ終わった訳では無いので防御は必要でしょう。
敵と思っていたジオン軍にも優しい心根の人間がいることに気付いたならアムロも戦争の無意味さに気付いて逡巡するかと思いきやあっさり復帰。アムロ達は子供たちに見送られて島を去りますが、島には医療も教育施設もありません、先々のことを考えれば連邦政府が面倒をみるべき事案でしょう、まあ、戦時下の稀有な美談を見せたかっただけの浅い脚本に思えてしまうのは残念でした。
ORIGINのアナザーファースト
TVシリーズでは無い。別の並行世界のファーストガンダム。TV版のリメイクを期待していって、ああ、これがORIGINの安彦ガンダムなのだと、視聴中は困惑しながら観たが、後で別物として考えると納得。
映像や音楽は良いが、スパロボや他作品でアムロの成長した人間性やら、イメージが出来ている人ほど、この時点のアムロ少年の不安定さに感情移入出来ない。
陸戦型の高機動ザクが、違和感しかない。ジオニック社でアレが作れるなら、ツィマッド社で陸戦型のドムを開発依頼したか謎。黒3星が地上に降りた際、乗り慣れた宇宙用高機動ザクから先行型のドムに変更した件とか好きな設定話だが、アレがサザンクロス隊にあるなら、乗り慣れた黒3星専用陸戦型高機動ザクでJSAやってたのか、アナザーファーストの設定検証も見たいもんだ
マ・クベのシーンは・・・
概ねOKだと感じましたが、マ・クベのシーンは全面的に不必要と感じましたね。私はRX-78での弾頭切りが観たかったです。
もちろん作画崩壊はありませんが・・・
TV放映時作画崩壊によって面長になってしまったザクもそのまま生かしてる?最初にドアンのザクがでてきたとき面長に見えてしまった。
面長はガンダムでしたかしら
声優陣もアムロとカイ以外は新しい方に交代しておられます。
40年以上前の放映なので仕方がないというか逆に未だにできる古谷さんと古川さんが凄いんだろう。
まるでドムのような高機動ザクがでてきますが、これの動きがドムというよりATにしか見えません。
昔のサザンクロスの回想映像もレッドショルダーのオマージュと感じた人は少なくないでしょう。
このあたりかなり混乱させられます。
TV版でも同じような〆でしたが、ここからネタバレです。
(直接のネタバレはありませんが、アムロの〆のセリフに関してなので)
なんでこの話なのか・・・
恐らく元々は武装しなければ戦いは起きないというような憲法9条至上主義的な意味合いでのセリフだったのでしょうが、今作ではどっちの意味なのか迷わされます。
しかしながら、「ククルスドアンの島」を選んだ時点で武力放棄的な主張があるのではないかと推測させる。
そもそもザクがなければ皆殺しだったというのもありますが、それ以上にそこに至る流れがどっちともとれるような内容でした。
アムロがドアン一家とのファーストコンタクトの際の憎しみの目が何だか・・・洗脳というとキツイですが 兵士==悪 という思い込みによるものであることとか、
ドアン一家の寝る前の儀式がカルト教団のように見えるとか、
戦いの美学的な表現で構成されていて、どうみても戦闘好きな人が作った感じがでてます。
安彦さんがそれについて語っているのは知りませんので悪しからず。
別にどういう思想信条でも構わないのですが、主張が見えづらいのは創作物としてどうなんでしょう。
甘いお菓子の様な作品
良くも悪くも、安彦先生の作品でした。
THE ORIGINの補完をされようとなさったのでしょうが、「アリオン」や「ヴィナス戦記」からさほど変化はしていないように感じました。(クラッシャージョウは高千穂先生の原作がありますので、ちょっと雰囲気が異なります)
ずっと漫画家として活動されてこられたので、歴史的な流れの考察から生み出された人物設定などは見事だと思いました。世界観よりも、そこに存在する人物を中心として物語が紡がれているような気がしました。例えばWBクルーが特に何もしていなくても、視聴者が勝手にストーリーや世界観を構築してしまうのです。なのでドアンが何をしていようと裏は無く、本人が語っているそれ以上でもそれ以下でもありません。これは安彦先生の各漫画でも似たような傾向があります。今回は設定がガンダムなので、一層視聴者に想像を委ねられています。現に赤いザクが一瞬画面に出た際、多くの観客が「シャアが出た」とその背景まで想像できるのですから。(ガンダム初見の方にしてみれば何の事だかわかりません)
ストーリーが淡々としているように感じるのは、安彦先生お得意の『ボーイミーツガール』が入っていなかったからだと思います。
カーラがその役を担ってもよかったのでしょうが、カーラの気持ちはドアンや子供たちに向いていて、何も進展しませんでした。アムロがもっと子供たちになつかれていれば少しは流れが変わったのかなと思いました。
が、ラストで『カツ・レツ・キッカ・ハロ』がアムロを迎えにくる事で、ドアンと同じように「自分にも守る人達がいるんだ」という心の成長が生まれます。これでドアンに引け目を感じずに堂々と生きて行こうという覚悟が出来たのだと思います。
これはガンダム最終話のアムロがア・バオア・クーからの脱出の際に子供たち3人がアムロを導くという事の伏線をを張られたのではないでしょうか。
ともかくアニメ映画には必ずと言っていいほど、視聴前の予備知識が必要です。あまり細かい事にこだわらず、素直に楽しめばいいのではないでしょうか。
それでも気になった点は、
・ザクの喉元にナイフを当てて脅しをかける必要性があるのか。普通ならコクピットを狙う。見た目には絵になりますが。
・巷で言われている「ガンダムのビームサーベル2刀持ちはス
ゲェ」はTV版ガンダムでもすでにやっている(対ギャン戦などで)
・ククルスドアンのヒットを脇に見つつ、富野由悠季監督は『Gのレコンキスタ』をガンガン創られていらっしゃるので、そちらにもっとスポットライトを当ててほしい。
という事です。
ガンダムをベースにした家族の物語
公開から1ヶ月近くたち、ようやく観てきました。
今作は機動戦士ガンダム第15話「ククルス・ドアンの島」が原作ですが、監督の安彦良和氏が再構成した映画となっています。
時系列や登場人物はオリジン版に準拠しています。
そのため、リュウ・ホセイではなくスレッガーがおり、ジムが配備されています。
ストーリー自体は”原典”を踏まえつつ、ドアンが保護する子供の人数が増えていたり、ドアンの元所属部隊ということでサザン・クロス隊が設定されたりと大きく膨らませてあります。(ブライトの階級も、軍艦の艦長としてはギリギリセーフレベルの少佐になっていたりします)
一見した感想ですが、以下の点が気になりました。
・ドアンが子供たちを保護した理由
・サザン・クロス隊の各員とドアンの関係性(特にセルマ。ドアンに敗れる際、涙を流していましたが、その涙の理由は映像だけでは不明確です)
上記2点は映像を観るだけでは視聴者には理解できず、映画単体としては不親切な部分と感じました。
(これは小説版で描かれている部分もあるということですので、ぜひ読んでみたいと思います)
一方、個人的に好きだと思うシーンは以下になります。
・アムロが行方不明になった後、WBクールが捜索のために色々と企む
・ゴップ元帥とマ・クベ中将の会談(タヌキとキツネの化かし合い)
・ドアンと子供たちの生活シーン
・ドアンを信頼し、心配するカーラ
・ブライトの中間管理職としての苦悩と、それをフォローするミライ
・オリジナル声優から交代したキャラクターたちも違和感なく、受け入れられる(とくに成田剣氏のブライト)
・サザン・クロス隊の市街地戦
・スレッガーの出オチ
他にも、シーンの数々には、ガンダムファンやオリジンファンを意識してると思われる描写や、安彦良和氏の漫画そのままな表現(目元や口元の細やかな動きなど)があり、マニアックなものも多数ありました。
全体として、一ガンダムファンとして心をくすぐられる描写に喜びつつ、安彦良和氏が今回の映画で描きたかったと思われることが気になりました。
それは、「家族の物語」。
WBでは、若手士官や訓練生、たまたま居合わせた民間人など、寄り合い所帯の編成で数々の激戦を生き延びる中で、通常の軍隊組織とは異質な、友情と愛情が入り混じったファミリーとなっていきます。
一方、ドアンとそれぞれの子供たちも、映画劇中では明確なエピソードは語られていませんが、あるきっかけで出会い共同生活を過ごす中で、強い信頼関係が結ばれている様子が窺えます。
戦争という異様な状況の下、生き残った者たちが寄り添い親愛を深め、協力していく様子を、ガンダムの世界観と人物たちを使って描いたのが今回の作品だったのではないかと思います。
もう少しシリアスに
観終わって思ったのは、もっとシリアスに作っても良かったんじゃないかと。シリアスだから緩急を付けたかったのか少しコミカルな表現もチラホラ見受けられた。
初代ガンダムやそれ以降を観てきた世代に対してもやはり、この物語を語るならコミカルな部分を出来るだけ排除し戦争というものが産み出すものを、映画だからこそ描いて欲しかった。その点残念でした。
あとドアンの元同僚たちとの戦いを描くなら彼がどうして脱走したのかを丁寧に描いて、その流れの中でガンダムが絡む方向で主をアムロではなくドアンの視点で描いて欲しかったです。
思い切り安彦作品
昔の安彦氏が手がけた映画「クラッシャージョウ」「アリオン」「ビーナス戦記」、漫画では「虹色のトロツキー」「クルドの星」、小説では「シアトル喧嘩エレジー」の何度も味合わせてもらったあの安彦氏独自のノリが今回の作品にもご多分に漏れず息づいてました。孤児らのワチャワチャした作画とか素晴らしいのに、ククルス・ドアン思わせ振りの行動、サザンクロス隊あっさり退場とか・・・。別作品の映画「閃光のハサウェイ」があまりに素晴らしかったので、安彦色ありつつもメリハリのある演出を期待してたのですが・・・.漫画「ナムジ」や小説「鋼馬章伝」のようにビタっと自分的にはまる作品あるだけに残念です。あと、特別興行という事で「閃光のハサウェイ」の時もそうでしたが、鑑賞料金が割引できない形態もバン◯ムさんは考えてほしいものです。
泥臭いガンダム
戦士アムロはまだ目覚めを迎えておらず、元々は巻き込まれてしまった少年であったことを思い出させてくれました。
後のシリーズのように主義主張をぶつけ合いながらスタイリッシュに戦う映像を見たい方はやめておいた方がいいです。
TVシリーズの懐かしい劇伴を聴くだけでいろんな思いが込み上げてきました。
子供たちがドアンに明日の約束をするところ、並んで走り寄るところはTVシリーズのオープニングへのオマージュですね。
ちゃんとザクがルッグンにぶら下がっていたので一瞬笑いかけたはずなのになぜかじわっときました。
全体に、昭和のアニメを思わせる泥臭いシーンの割合が多いのは事実で、そこを不満に思う方々の気持ちも分かります。
でも、ファーストのこの時点ってこんな感じでしたから。
あと、原作15話はツッコミどころがいっぱいの迷エピソードで、決して持ち上げちゃいけないもんだと個人的に思ってます。
元々、各キャラの行動やセリフは行き当たりばったりだからツッコミどころがたくさん。今回の翻案をきっかけに後付けの解釈をねじ込む人の多さには驚きました。
最大の違和感、それはホワイトベースクルーがこの時点でひとつにまとまりすぎなことですね。この環境だと居心地よすぎてアムロは覚醒できるのかと不安になります。
短くまとめる能力なくてすみません。
「逆襲のシャア」を是非このレベルで!
星4.5に関しては、完全に好みによる偏見です。(笑)
このガンダム、ガンキャノン、ジム、ホワイト・ベース、コア・ブースターが観たかった!「めぐりあい宇宙」もリメイクしてくれないかなあ。最初にホワイト・ベースクルーが登場した時、心の中で「うお~」と。
特にガンペリーのメカニック最高!(笑)
只、贅沢言うならもう少しメカアクションを〜。ホワイト・ベースが戦闘してないよ〜。コア・ブースターに乗ったジムももう少し活躍させて欲しかったー。
ガン・キャノンもあんまり活躍してない〜。
ぶっちゃけガンダムも最初と最後だけ。
ストーリー的にしょうがないとは言え、物足りない。
話的には、正直テレビのエピソードを映画用に長尺にしただけで、膨らませていないんですよ。言い方悪いのですが、尺を伸ばしているのが、ファンサービスな部分、(ザク増やすとか、シャア、マ・クベ、レビル登場させるとか。)のみで、ドラマの部分の肉付けが無いんです。せっかくテレビの1エピソードに焦点当てるなら、ドアンとアムロの絡みを増やすとかしたら良かったのに。
これは映画だから、不満に思うところなのです。例えばフルリメイクのテレビの1エピソードならば、満点の出来です。
て言うかですねえ、もう映画一本じゃなくて「宇宙戦艦ヤマト」みたいに24話くらいでいいから、フルリメイクしてくれません?
「ヤマト」は商業的にも成功したみたいですから、「ガンダム」も旨くいくと思うんですが。だめ?(笑)
初代ガンダムを現在の映像技術で見たい、という欲求だけは満たせる
Zガンダム世代で、もちろん初代も録画で何度か見ています。
初代ガンダムが現在の映像技術で、映画館の大スクリーンで
どのように再現されているのか?そんな興味から映画館に足を運びました。
第15話『ククルス・ドアンの島』の話は
まるで記憶になかったのですが、それでも物語は理解できます。
ただ、やはり20分強の物語を2時間に引き延ばしているためか
子供のはしゃぐシーンがやたら多く、全体的に冗長でテンポが悪い。
戦時下でも島の人々は何気ない日常を送っているという側面を
強調して描きたかったのだとは思いますが…にしても長い。
あとはモビルスーツの動きが妙に人間臭くてちょっと違和感を感じたのと
最初の戦闘で惚れ惚れするような動きと連携を誇ったサザンクロス隊が
アムロやドアンとの戦いでは同一人物の操縦とは思えないほど弱くて拍子抜け。
極めつけは戦闘の演出が大袈裟で妙に時代劇っぽくて古臭い。
物語全体の構成としては悪くないのですが
全体的に突っ込みどころが多すぎて映画としては微妙な仕上がり。
初代を現在の映像技術で見たいという希望は叶えられましたが
『閃光のハサウェイ』と見比べると映像面では劣る気もしますし…。
散々ディスったので良かった点をひとつ。
最初のサザンクロス隊の戦闘シーンは格好よかった!笑
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