「ドアンと暮せば」機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島 Don-chanさんの映画レビュー(感想・評価)
ドアンと暮せば
今作のベースとなった何十年か前に放映されたTV版のほうは、今となっては印刷ミスのお札のように貴重で価値が有り、悲しさを帯びていて味わい深かった。
今作は、TV版を否定したり無かったことにするためのものではなく、むしろTV版の一番面白い部分には触れず、別視点にして雰囲気も変えて、それはまるで少しだけカスタムしたモビルスーツの色を変えて名前を付けて個別化するかのように、お互いを潰し合うことなく、共存を目指したものであると解釈出来る。
今作の存在意義は、一見似てるけどよく見れば異なるモビルスーツが次から次と出てくるように、解釈や設定の違いを楽しむことが醍醐味であり、物語の別バージョンの誕生をこれからも認めていこうとする表明だと思う。
ニュータイプであるシャアの意思でもある。人類の進化を、変化を受け入れなければならないのだ。
とは言っても、今作は変すぎて受け入れ難い。この感覚がシャアの言うそれなのかもしれない。
例えば、ペットボトル…のように見えるが瓶かもしれない。
豪華な食卓…ジオン兵用の秘密の場所に貯蔵してある食材を使えば、これくらい大した事無いかもしれない。
マニアックなことだが、序盤でビーム・ライフルを腰に戻さず海に落とす…アムロはきっと、ザクをサクッと倒した後でゆっくり拾いに行こうと思っていたのだ。
ドアンがガンダムを操縦して隠す…ガンダムの操縦席に座ったドアンはきっと「ザクよりもややこしいけど、なかなかイイぞ。わかる!わかるぞ!」と思ったことだろう。ドアンは実はニュータイプだった説を採用すれば、ガンダムにザクで勝った理由も納得できる。
アムロがジオン兵をガンダムで踏み殺す…『ガンダムSEED』のキラ・ヤマトなら絶対に有り得ないことだが、"白い悪魔"のパイロットであるアムロは相手がジオン兵なら殺しまくれるのだ。
ヤギを全員で追いかけて地下への避難を中止する…一人はみんなのために、みんなは一人のために!ドアンの統制力は素晴らしい。ホワイトベースのクルーの皆にナメられているブライト艦長と比べてしまう。
ラスト、戦争中なので、島が安全になったわけではない…案外戦争の匂いを消したら安全になるかもしれない。少なくとも連邦軍は民間人には手を出さないだろうし、おそらくジオン軍もあの島にはもう用はなくなったと思われる。アムロが戦争の匂いを消すよう勧めるのだから間違いないだろう。アムロの判断力や直感は伊達じゃない。
一年戦争のガンダムシリーズには幽霊が出てくるので、子供達が幽霊という可能性も有る。もし生きてるなら、『劇場版シン・Zガンダム(仮)』など何でも良いので、いつかドアンと子供達のその後の元氣な姿を見てみたい。
主題歌は少女カーラの心情が描かれた『Ubugoe』(歌:森口博子)