「ドアンと暮せば ~ 共存 ~」機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島 どん・Giovanniさんの映画レビュー(感想・評価)
ドアンと暮せば ~ 共存 ~
1979年から放映されたTV版は、今となっては 印刷ミスのお札のように 貴重で価値が有り、悲しさを帯びていて 味わい深いものがあります。
今作は、TV版を否定したり無かったことにするためのものではなく、むしろTV版の一番面白い部分には触れず、別視点にして雰囲気も変えて、それはまるで 少しだけカスタムしたモビルスーツの色を変え名前を付けて個別化したかのように、お互いを潰し合うことなく、共存を目指したものであると解釈できるのであります。
ガンダムワールドでは、一見似ていたとしても異なるモビルスーツが次から次と登場します。
解釈や設定の違いを楽しむことが醍醐味であり、物語の別バージョンの誕生をこれからも認めていこうとする表明だと思います。それが今作の存在意義なのだと思います。
ニュータイプであるシャアの意思でもある、人類の進化或いは変化を受け入れなければならないのだというメッセージが込められています。
今作は受け入れ難い違和感がありますが、それについて釈明します。
例えば、ペットボトルのように見える瓶や、豪華な食卓が登場します。ジオン兵用の秘密の場所に貯蔵してある食材を使っているのかどうかは定かではありませんが、モビルスーツが存在している世界なので どうとでも解釈ができますし、極論を言えば、何でもありだと思います。
序盤でビーム・ライフルを腰に戻さず海に落していました。アムロはきっと、ザクをサクッと倒した後、ゆっくり拾いに行くつもりだったのかもしれません。
ドアンがガンダムを操縦して隠していました。ガンダムの操縦席に座ったドアンはきっと「ザクよりもややこしいけど、なかなかイイぞ。わかる!わかるぞ!」と思ったのかなと想像しています。ドアンがニュータイプであれば操縦が出来そうですし、アムロのガンダムに量産型ザク(ドアンカスタム)で勝てた理由も納得できます。
アムロがジオン兵をガンダムで踏み殺していました。『ガンダムSEED』のキラ・ヤマトなら絶対に有り得ないことですが、"白い悪魔"のパイロットであるアムロは、相手がジオン兵なら殺しまくれる人です。
ヤギを全員で追いかけて地下への避難を中止していました。「一人はみんなのために、みんなは一人のために」とドアンが教育していたのでしょう。きっと彼の統制力は素晴らしいのです。
ラスト、戦争は終わっていませんから島が安全になったわけではありません。しかしこの場所は特別で、戦争の匂いを消したら安全になりそうです。少なくとも連邦軍は民間人には手を出しませんし、恐らくジオン軍も あの島に関わる理由が無さそうです。なによりも、判断力や直感は伊達じゃないアムロが、戦争の匂いを消すよう勧めるのですから 間違いありません。
『劇場版シン・Zガンダム(仮)』など何でも良いので、いつかドアンと子供達の その後の元氣な姿を見てみたいです。
一年戦争のガンダムシリーズは幽霊が存在していて、ニュータイプの人達には見えるので、子供達が幽霊という可能性も有りますね。
主題歌は少女カーラの心情が描かれた『Ubugoe』(歌:森口博子)でした。