「個人主義的な少年になったアムロ」機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島 ジャワカレー澤田さんの映画レビュー(感想・評価)
個人主義的な少年になったアムロ
この映画には「オリジナル」というものがある以上、どうしてもそれと比較されてしまいます。
今回のククルス・ドアンの島は、キャラクターの性格特にアムロがリベラルな考えの少年になっているという点が賛否両論を呼ぶと思います。
オリジナルのククルス・ドアンの島では、アムロは対面して間もないドアンに食ってかかります。
「僕はジオンの侵略者と戦うために武器がいるんです!」
「あなたのように子供を利用するのとは違います!」
それに対してドアンは、
「モビルスーツを返したら、君だって私を攻撃するんじゃないのか?」
と反論し、口論になります。ここはアムロが安っぽい正義感を振りかざし、一時的に嫌な奴になる場面です。
ところが、今回の映画ではそれが一切ありません。アムロはドアンに食ってかかることなく、黙々とガンダムを探し続けます。
この辺りに首を捻ったオールドファンは多くいるはずですが、それはアムロが「戦争慣れ」した証拠と捉えることができます。目の前のジオン兵に「あなたは誰?」「どうしてこんなところにいるの?」と聞くだけ野暮という発想に、アムロは至ったのではないでしょうか。いい意味での個人主義が彼に根付いています。
実際、ドアンもアムロのことを根掘り葉掘り聴いたりしませんでした。
ドアンと彼が養っている子供たちの食事シーンは、まるでジブリ映画のようです。
いささか食事が豪勢な気もしたのですが、それは島にあったジオンの基地から備蓄を持ってきた……と考えればいいでしょう。ただ、そうであるなら「ジオンのマークが描かれている小麦粉の袋」とかをちょろっと出したほうがよかったですね。ドアンの愛用するコップにはジオンのマークがあったんですから、そうした小さな芸も詰め込むことができたはずです。
ですがそうした細かいところを補って余りある「子供たちの健康さ」を描いていた点は大いに評価できます。特にマルコスの肉体や体力は、海中を潜らせることやアムロと取っ組み合いの喧嘩をさせることで見事に光らせています。カナリア諸島の気候と相成り、ここが肥沃な亜熱帯地域であることがよく伝わってきました。
肥沃といえば、「黒い土」をきちんと描写してくれたことも忘れるわけにはいきません。あの島は農業に適した土壌だったんですねぇ。
ドアンの苦悩やこの先の不安は、時折見せる彼の表情からちゃんと伝わっています。
ただ、そうであるならオリジナルにあった「ドアンが民間人を虐殺してしまった時の夢」が出てこなかったのはいささか不満です。
この映画の中でアムロは、睡眠中に悪夢を見ています。けれどそれはドアンが見るべきものでしょう。たとえば「サザンクロス隊が無抵抗の町を破壊しまくった時の記憶」をドアンの悪夢として描写すれば(回想シーンには出てきますが)、なぜ彼が軍を脱走したのかという理由の強調にもなるはずです。
あと、あの島には核ミサイル発射施設があるというのは、いささか話を大きくし過ぎている感があります。そうすると島自体が戦略拠点ですから、もはやドアンひとりじゃどうにもならないんじゃ……という疑問もうっすら浮かんでしまいます。
ゴップやマ・クベが絡んでくるスケールの話じゃないんですよね、本来なら。
だから核ミサイルじゃなくて、ドアンの乗ってるザク自体に何かしらの新テクノロジー(もちろん機密事項)が内蔵されていた、ということにしたほうがより身丈に合った話になったんじゃないかな、と思います。全方位モニターとか、シャアの戦闘データが使われたAIとか。これならジオンとしては見過ごせる話じゃないけれど、戦略級の話でもなくなります。
ただ、全体としてはストーリーテラーな部類のガンダム映画として上手くまとまっていると思います。
キャラのやたらとオーバーな仕草や、ヤギのブランカにやられるハヤトやカイのコメディシーンは正直ササクレのように感じてしまいますが、今回の主役であるドアンの優しさ、厳しさ、思慮の深さ、心の傷を見事に描写し切っています。モビルスーツの戦闘シーンもこのテーマとしてはちょうどいい割合だったのではないでしょうか。そして今回のアムロは、ドアンを引き立たせる程度の存在感に留まっていて、その辺りも好印象でした。