帆花のレビュー・感想・評価
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彼女には別の一期一会がやって来る
昨日見た「コット、はじまりの夏」とテーマは一緒だと思った。
原題の「An Cailin Ciuin」とはアイルランド語で「静かな少女」つまり、帆花ちゃんと同じ。
それでも、帆花ちゃんにも自我が芽生えてくる。
艱難辛苦なドキュメンタリーを、個人ビデオの様に創作する。映る映像はオフビートそのもの。しかし、奇跡の様な一期一会が描かれている。
本音で語っても、彼女の一挙手一投足を、僕は泣く事が出来ない。
泣くよりも、一日でも生きる事を楽しんで貰いたい。と願うだけ。
そう、彼女の周りには愛が満ち溢れている。そして、
彼女には別の一期一会がやって来ると確信している。
続編が見てみたい。
ネタバレ的蛇足
鑑賞者は何故?と言う疑問を持っただろう。僕も正直思った。
色々とそれは明かされていない。しかし、帆花ちゃん個人に対する両親の愛情と思って鑑賞した。
ポジティブでいる凄さだけでは無いと感じた。
蛇足です。
【生まれた時から「脳死に近い状態」と宣告された帆花ちゃんと帆花ちゃんを懸命に世話する両親の姿を見つめたドキュメンタリー。我が子と一緒にいられる幸せが伝わってくる作品でもある。】
■生後すぐに「脳死に近い状態」と宣告された帆花ちゃん。
母親の理佐さん、父親の秀勝さんは、一緒にいろいろな場所に出かけ、絵本を読み聞かせ、お風呂に入れ、吸引をする。
3歳だった帆花ちゃんが小学校に入学するまでのかけがえのない日々を捉える。
◆感想
・凄いと思ったのは、母親の理佐さん、父親の秀勝さんの姿である。何も語らない帆花ちゃんに、呼びかけ必死に世話をする姿。
だが、お二人の表情は慈愛に満ちているのである。
・小さかった帆花ちゃんが、成長し小学校に入学する年になった時に、ご両親が買ったランドセル。
<家族のすぐそばで、人が生きていく上で大切なものを丁寧に映し出すドキュメンタリー。帆花ちゃんを愛しむ両親の姿から、我が子と一緒にいられる幸せが伝わってくる。
少し涙してしまったよ。>
ずーっと続くんだよね。
愛していても続くのは大変だよね。天国にいっちゃう不安もあるけど、ずーっと大人になっていくまで同じ状態が続くかもしれないんだね。
自分の娘も幼少期同じように入院していたけど、回復というスケジュールの希望があってやって来れた。
ほのちゃんはどこまでわかっているのかな?わかっていてほしいしいつか自分の気持ちが形で表す事ができたら、お母さんはどんなに救われるだろう。
おじいさん、おばあさん、お姉さん夫婦たち、愛情たっぷりでそれが故に苦しい思いもしてきたのだろうと推測してしまう。
お母さんの結婚式のビデオに映る手とほのちゃんの世話をする手が全然違っていて、大変さを物語っていた。
軽々しく同情の言葉を記すのは無意味だし、やってはいけないと思うが、今日のこの日も1日たりとも休まず自分の娘の幸せを願ってほのちゃんと向き合っているお父さんとお母さんにお会いする機会があったら、映画にしてくれてありがとう、この映画でお二人の気持ちがよく伝わってきたよ、ほのちゃんにもそれが伝わっているよ、とお伝えしたい。
子の成長
いつもそばにいるからこそ気付くことができる、子どもの成長。
成長は人それぞれだから、ほのちゃんは、ほのちゃんの速度で成長している。
それをしっかり見守るお母さんとお父さん、それから、ほのちゃん家族をサポートする周りの人たちの温かさが伝わって来た。
忘れていた大切なことを思い出させてくれた映画だった。
ある家族の日記に徹した作品
ドキュメンタリーは中立視点であるものの、作り手の意見が反映されても良いと思ってます。印象操作をして良いと言うことでは決してなく、事実を捉えた結果の意見を映像で提示するべきなんじゃぁないかなぁ?って。そう考えると本作はどうか?家族の記録映像という立ち位置をぶらさずに作り切ったところに監督の意思が反映されているのかな?って思いました。まさに「そのまんま」を映像にしています。本当に友達の家族のホームビデオを見た感じです。そこにあるのは「1つの家族の姿」なのです。
ですが僕は見ていて自分自身の中の考え方がすごく揺さぶられるのです。湧き上がる想いに自分自身を知る・・・そんな作品でした。「帆花ちゃんが脳死に近い状態」に対する僕の先入観や既成概念と映像内の家族の姿とのせめぎ合いです。
これはただのエゴじゃないか?
これこそが家族愛だ!
どうみても思い込みだろう?
これは愛の力だ!奇跡だ!
自己満足なんじゃないの?
違う!期限ある命と精一杯過ごしているだけ!
自分を認めたいから、そう思おうとしてるだけなんじゃないの?
いやいや努力の結果が映像になってるじゃないか?
帆花ちゃんは望んでいるの?
帆花ちゃんは喜んでいるじゃないか!
・・・とにかく、正と否が自分の中で駆け巡るのです。連続で駆け巡るのです。「こんな家族がいるんです」というそのまま、ありのままの姿を映すことの意味は、つまり自分が持つ生命への想いを知るためだったのではなかろうか・・・?なんて思っちゃいました。
あぁ、僕は自分の子供が脳死に近い状態だったら同じことをするのかな?家族愛ってなんだ?何なんだろ?・・・何ちゅうテーマをぶつけてくるんだ。しかし、その回答の一つを行動で表す家族の姿が本作。現実の一つ。このリアルに頭をガンと殴られました。でも、どう捉えるべきか・・・今でも悩む一本です。
けどね、帆花ちゃんの綺麗な瞳に映っている桜が、心の中にも咲いていることを願いたい。
彼女の目が印象に残る
帆花。脳死に近い状態で生まれた女の子とご家族の実録作品。生まれた時は脳波がなかったという。体も動かせない。でも瞳に知性を感じる時があるように見えた。自分の感想というか、感じ方も難しいな。
「生きる」とはどういうことか。語らずに問う作品。
言葉を話さず、まったく動かない少女、帆花ちゃんと両親の日常を、カメラは静かに、淡々と映していく。ナレーションも解説も一切、ない。ドラマティックな出来事もない。
だからこそ、観ているうちに、まるで自分が帆花ちゃんのベッドの横にいるような感覚になる。この家庭の温かさを体感する。そして、わかってくる。両親が一方的に話しかけているのではないことを。
生命の尊さと凄さを、文字通り目の当たりにした。
複雑な気持ちになりました
自分の娘が多少の問題はあれど基本的に五体満足なので、自分の境遇の幸せさを実感するために鑑賞をした。もちろん幸せの形は当人達にしか分からないが、想像以上の内容なので私は暗い気持ちになってしまった。ほのさんは何歳まで生きられるのだろう、両親が死んでしまったらどうするのだろう、ということを考えてしまった。あと奥さんのヘアスタイルやボディーや胸元がちょいちょいエロくて、所々集中力が途切れてしまった。映画を観て知ったが、ご家族とは同じ地元で、映像と会話の部分で安易に居住地が判明してしまって、ストーカー被害者などに繋がらないだろうか、と要らぬ心配をしてしまった。
子を授かる前に
いくつになっても、どんな子でも我が子は我が子。
2018年公開の「人魚の眠る家」の延長線上にある映画。
医療や福祉、人権とか難しい問題を抱えているのかもしれない。
でも、単純に冒頭の通り親が子を守ろうとする気持ちは揺るぎないものであるという子を持つ親なら当然理解できる。
親が子をどうやって、どうゆう気持ちで育てたかを子に知ってもらい、その子が親になる前にこの映画を観て親になるとはどういうことかと知ってもらえる内容だと思った。
祈り、そのもの。
日常の雑務に追われ、いろいろと自分が
失っていることに気付かされた。
言葉にすると、全てが安くなってしまう。
自分にとって、大切にしたい何かが湧き上がってきた。
レビューするのが非常に難しい。
曖昧な表現が私には良かった。
この映画にご縁があったことを感謝
したい。
ありがとうございました。
映像に記録したその先の情報を
「脳死に近い状態」で産まれた女児を、医療的ケアを受けながら自身たちで育てる両親に密着。
年々改善してはいるのだろうが、まだまだ日本の福祉制度は完璧とはいえない。明示こそしていないが、本作ではそうした医療的ケアを有する児童支援のさらなる見直しを求めたいという、作り手や被写体のメッセージがある。
自分には重度の障害を抱える家族や親族がいない。それゆえ、介護についての知識は見聞レベルでしかない。だから本作で医療的ケアを行う家族の実情を知る事が出来たのには意義がある。ドキュメンタリー映画の大きな利点の一つだ。
介護事情で散見する、“介護疲れ”に付随する描写が一切ないのも、確実に意図したものと思われる。それは構わないのだが、状況説明を補うナレーションやテロップまでも排除しているのが気になる。自分のように日本の介護事情に疎いと映像を観ただけでは把握できない場面があり、特に障害を抱える児童への教育面については、せっかく小学校入学まで密着したのに説明不足と思ってしまった。
制作の意図や主張は十分理解できる故に苦言を呈したくはないが、不特定多数の者が観る映画媒体にしている以上、そのあたりにもケアが欲しかったところ。
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