ちょっと思い出しただけのレビュー・感想・評価
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コロナ前の時代がすでに懐かしい
コロナ禍の東京から映画が始まる。マスクで人の表情が見えず、人とあまり接触しない毎日を求められる私たちは人の温かみを忘れ始めているかもしれない。この映画の主人公の男女2人は、かつて恋人同士だった。その幸せだった恋人時代を時を巻き戻すように、出会いの時までを逆回転で描いていく。コロナ時代にはもう遠い思い出のようなマスクのいらない時代が懐かしく思える。マスクのいらない、人との距離が近かった時代と、主人公2人が親密だった時代が重なることで、人との親密さの温かさを強く思い出せるように仕掛けているのが上手い。タイトル通り、そんな過去を「ちょっと思い出して」いるわけだが、甘い思い出も苦い思い出もあって僕らの人生が成り立っている。コロナのある時代の「今」をすごくしっかり切り取っている。
主演の伊藤沙莉と池松壮亮の2人の空気感がすごくいい。こういう2人いるよねっていう、説得力というか存在感というか。なぜかこの2人を知ってる気分になる。
「ワン・デイ」×「メメント」的な
松居大悟監督の2012年のデビュー作「アフロ田中」をはじめ、「男子高校生の日常」「スイートプールサイド」「アズミ・ハルコは行方不明」など好きな作品は漫画や小説の映画化が多い。もちろんそれらの原作の魅力に依拠するところも大きいのだろう。それでも、松居監督が自身のオリジナル舞台劇を映画化した昨年公開の「くれなずめ」には、着想のユニークさも確かにあり、お気に入りの一本だった。それにしても、この10年ほどで監督作13本、それ以外に商業監督デビュー前から続けている舞台劇の作・演出、テレビドラマ、PVなどなど、その多作ぶりには圧倒される。
さて、ジム・ジャームッシュ監督の「ナイト・オン・ザ・プラネット」に、着想を得た尾崎世界観が作ったクリープハイプの「ナイトオンザプラネット」に、触発された松居が脚本を書いて監督も務めたという、創作と他者への刺激の幸福な連鎖によって生まれた「ちょっと思い出しただけ」。物語の構造としては、アン・ハサウェイ&ジム・スタージェス共演作「ワン・デイ 23年のラブストーリー」と同じように男女の長い年月の経過を特定の日付の一日を切り取って提示することで見せていくが、これにクリストファー・ノーラン監督作「メメント」と同様シークエンスを時間に逆行する順に並べていく手法を掛け合わせている。「メメント」のブルーレイディスクにはシークエンスを時間に順行する流れに再構成して鑑賞できる特典機能があったが、この「ちょっと思い出しただけ」もパッケージ化の際に採用するといいのでは。きっと作品をより深く楽しむのに役立つと思う。
淡々とした雰囲気は悪くないが、本当は心の奥深くにある重く激しい感情に迫ることなく、表層的な感傷をさらりとなぞったような印象も受ける。それも仕方ないか、“ちょっと思い出しただけ”なのだから。
池松壮亮、伊藤沙莉らと誠実に撮った松居大悟の心意気
製作のきっかけはジム・ジャームッシュにまつわるあれこれだったかもしれないが、これは紛れもなく令和の、そしてコロナ禍の日本で生きる人々に誠実に向き合った製作陣だからこそ、すくい取る事が出来た作品といえるのではないだろうか。
誠実にも向き合ったし、妥協もしなかったのだろう。
当初はタクシードライバーが男性、ダンサーから裏方へ回るのが女性という設定だったが、伊藤沙莉の出演が決まると「男女逆の方が……」と柔軟性を発揮し、設定を入れ替えたそう。
池松壮亮と伊藤沙莉が良いのはもちろんだが、作品に余白を与えてくれる國村隼、永瀬正敏の存在感はさすが。そして、新鋭・河合優実は長尺ではないものの充分に非凡なものを見せてくれた。
そして、それらをまとめあげた松居大悟の力量には感服。
展開逆回しパターン
伊藤沙莉扮する葉はタクシー乗務員。池松壮亮扮する元ダンサー照生は劇場で照明を当てていた。
ふたりの話が別々に進行していく展開だね。冒頭から取っ付きが悪いな。こういうバラバラのやつは苦手だね。中盤過ぎてようやくふたりが付き合っていた事が分かるんだもんね。展開逆回しパターンなんだ。足が壊れて踊れなくなった照生が葉と別れたのかな。弱くなったところで我慢できないのも残念だな。タクシー私用で勝手に乗ってる場面も許せないな。
2人のテンポが好き
池松壮亮と伊藤沙莉のテンポのいい恋人同士の会話がいい。
それと、今注目の河合優実が、すごくかわいい。
夢を追っている時の恋愛は、夢と希望でいっぱいだ。
ひとたびその夢が破れた時に、恋も冷めてしまうのでしょう。
愛があればそこで転換できるのかもしれない。
とはいえ、恋の魔法が解けた時に、地に足がついた人生を歩んでいく。
いつまでも夢を追いかけても、夢破れて堅実な人生を歩んでも、いいんです。
思い通りにならないから、先がわからないから、だから生きる意味がある。。。
そんな気持ちになりました。
映画は終わっても人生は続く
個人的な経験からあまりストーリーには感情移入出来なかったのですが、伊藤沙莉さんの演技力の高さが光る作品でした。
ちょっとした表情がとにかく上手い。
相手のことを想っていると言いつつ自分の感情をぶつける女性と、自分のことでいっぱいいっぱいな男性。
そこから時間を遡ることで、円満だったみずみずしい2人が蘇り、並行して妻を待つ男にも、還るはずのない生前の妻が姿を表します。
なんでことのない時間軸の逆転に過ぎないけど、別れる前の2人と円満な2人との落差がまた良いです。
物語はいつか終わるけど、全てがハッピーエンドではない。
人生は続いてゆく。
でもその物語は、人生の中できらりと光る良い思い出になったんだなと。
誰にでも、似たようなエピソードはあるはずです。それが沁みます。
理想的な男女関係を描いた素晴らしい映画だと思いました。池松壮亮さん...
理想的な男女関係を描いた素晴らしい映画だと思いました。池松壮亮さんと伊藤沙莉さんの言葉の掛け合いがとてもユーモラスで面白かったです。伊藤さんのタクシー運転手姿も素敵でした。バーテンダー役の國村隼さんとそのお客さん役の成田凌さんの自然な演技もシーンに溶け込んでいました。観終わって元気が出ました。今までに観た恋愛映画では「花束みたいな恋をした」も良かったのですが、ラフな付き合い方ということから言えば「ちょっと思い出しただけ」の方が自分には向いた恋愛映画なのかと思いました。ありがとうございます。
この映画を制作された監督とスタッフのみなさまに深く感謝申し上げます。ありがとうございました。
理想的な男女関係
理想的な男女関係を描いた素晴らしい映画だと思いました。池松壮亮さんと伊藤沙莉さんの言葉の掛け合いがとてもユーモラスで面白かったです。また、バーテンダー役の國村隼さんとそのお客さん役の成田凌さんの自然な演技もシーンに溶け込んでいました。今までに観た恋愛映画では「花束みたいな恋をした」も良かったのですが、ラフな付き合い方ということから言えば「ちょっと思い出しただけ」の方が自分には向いた恋愛なのかと思いました。
この映画を制作された監督とスタッフのみなさまに深く感謝申し上げます。ありがとうございました。
想い出は美しく
本作みたいな作品は結構ありますよね。想い出は脳の中で美しく書き換えられるのです。非常に男性的な作品だと思いました。女性はあんまり思い出さないんじゃないかな?
私は《ラララ・ランド》《ふたりの5つの別れ道》みたいな辛い味付けの方が好みです。
「日常」が想い出になる時
あの頃…
幸せの頃というのはいつも後から思い出すしかないのだろうか?
コロナ渦 日常が非日常化し、やがてそれが日常となってしまった。
そんなつらい時期に思い出す「あの頃」
タクシーの客は極端に減少し、劇場はおろか映画館も封鎖され、仕事も練習でもできなくなったギタリストがタクシーに乗った。
客がトイレに行きたいと言うので劇場前にタクシーを停めた。
女性ドライバー野原葉 吸い寄せられるように劇場の中に足を入れてみると、舞台には一人で踊っている元カレ佐伯テルオがいた。
葉は、彼を見て「思い出す」のが、この物語となっている。
実際、あれからどれくらいの時が経ったのだろう?
想い出の時系列はバラバラだ。
葉は結婚して赤ちゃんもいる。
テルオとの出会いも、「明日の誕生日にプロポーズしようかな」といういつかの言葉も、嫉妬して花を捨てた時も、テルオの誕生日だった。
日常から非日常への変化
これがこの作品のテーマだろうか?
テルオのアパートにある家電製品はすべて昭和の臭いがするのは、彼は「変化したくない」という気持ちを強く持っているからだ。
ダンサーとしての時間は短く、頂点に立った瞬間老い始める。
怪我は命取り。
地蔵への祈りや毎朝観葉植物に水をあげることや、近所へのあいさつ…
これら日常のルーティーンは、願掛けと同じ。
でも、そんなものはダンスと一切関係ないこと。
表現者のテルオは言葉ではうまく表現しない。葉からのラインも2週間無視。
怪我とこの先のことを考えれば、葉とのことは2の次。
でも葉はそれを良しとしない。
勝手にタクシーで迎えに来て、自分の気持ちを伝えるが、会話は最後までちぐはぐで終わる。おそらくそれが、彼と会った最後。
コロナ前の劇場でのコンサートのリハーサル
あいさつしたギタリストに「どこかで会いませんでしたか?」 「知らない」
逆に、トイレから出てホールに行ってしまった現在のギタリストが「どこかで会いませんでしたか?」
テルオは「はい」と大きく頷いたのは、あの日輝いていたあなたを覚えていますという意味だろう。一瞬でも輝いた時があったリスペクトと共感が込められている。
客を待つタクシーは、あの時の彼女の会社のものではないが、このシチュエーションにあの頃と葉を重ね合わさずにはいられない。
テルオはいま幸せなのかどうかわからないが、あの頃の日常のローテーションをすべてやめたのだろう。輝いていたあの頃こそが、舞台で表現する者たちのすべて。
テルオは葉からの連絡が途絶えたから引っ越したのだろうか。
でもアパートの引っ越し先は、近所だろう。コロナによってすべてが否応なしに変わってしまった日常の中で、葉を待ちたい気分と再出発したい気分が交錯している。
あの妻を待ち続けていた男は、待ち続けて妻が戻ってきた。でも彼女は死んだ。だから月命日には必ずあの場所で妻を待っている。妻が帰ってくると信じたいのだ。
テルオは今でも悩み続けているのかもしれないが、まだカーテンもない部屋に朝日が差し込んでくる。これは「表現」だ。彼の心の表現だ。
さて、
変化は突如としてやってくる。
足の怪我 別れ 新しい出会い
誕生日とケーキは、変わらない象徴かもしれない。そこに様々な思い出があるのに変わった気がしない。
輝いていたころの思い出は、いつの間にかはるか彼方の出来事。
冒頭、葉はバブリーな21歳の誕生日を迎えた女性に「幸せ?」と尋ねられる。
この言葉に彼女はしばらく答えを出せない。
それは、今結婚して赤ちゃんがいることが幸せなのか、それとも自分自身をさらけ出してテルオと付き合っていたころが幸せだったのか、どっちかわからないと思ったからではないだろうか?
幸せとは、その時がそうであればそんな感覚を感じないのかもしれない。
いま幸せかもしれない場合、あの頃との比較はできない。そんなこともわからないまま人々は生きている。
「人生プラン」はおろか、「明日」さえもわからないというのが真実だ。
「愛とは?」
スナックのマスターはそれらしくいうが、葉にはよくわからない。
マスターからもらった「吹き戻し」のおもちゃ
テルオの誕生日プレゼントだと言って渡したこと。バイト先の水族館。些細な幸せ
すべてが、これから明日もその先もずっと同じように続くと思っていた。
そんなことがあったのを「ちょっと思い出しただけ」
それを思い出して買って帰ったケーキ
元カレの誕生日の次の日という何でもない日に食べることにする。
この何でもない新しい日が、新しい思い出になるのだろう。
セリフらしいセリフが少ない考えさせられる作品。
素晴らしかった。
中盤を過ぎて、この2人が実は過去に交際していたことが判る。 登場人物の多くのセリフがなぜなのか嘘臭く感じる。 このストーリーと脚本が苦手だと思った。 約2時間の映画だがほとんど楽しめない時間だった。
動画配信で映画「ちょっと思い出しただけ」を見た。
2022年製作/115分/G/日本
配給:東京テアトル
劇場公開日:2022年2月11日
池松壮亮
伊藤沙莉
河合優実
松居大悟、監督脚本
登場人物が皆マスクをしている。
ああ、ちょっと前まではこれが日常だったなと思った。
少し前のことがもう過去のこととして自分の記憶にある。
コロナ禍は狂ったような3年間だったなあと思った。
もう2度とあんな日常は御免被る。
照生(池松壮亮)はダンサーだったが、
脚を怪我して踊れなくなった。
ダンサーをやめて舞台照明の仕事をしている。
葉(伊藤沙莉)はタクシー運転手。
この2人の日常生活を数年間延々と描く。
1時間見てもこの映画の全体像がつかめない。
中盤を過ぎて、この2人が実は過去に交際していたことが判る。
登場人物の多くのセリフがなぜなのか嘘臭く感じる。
このストーリーと脚本が苦手だと思った。
約2時間の映画だがほとんど楽しめない時間だった。
満足度は5点満点で2点☆☆です。
面白い展開
評価の高い作品ですが、いまいちピンと来なかった。
徐々に年代をさかのぼる展開も、知っていればいいのですが、知らないとよくわからないのみになりかねないと感じました。
展開は面白いと思いましたが、いまいち、共感できなかったです。
☆☆☆★★★ 深夜0:07 ほんの少しだけ人生に於ける振り返りの瞬...
☆☆☆★★★
深夜0:07
ほんの少しだけ人生に於ける振り返りの瞬間
良い映画だったなあ〜!
もう自分にはハリウッドの大作映画よりも、こんな作品でしみじみと心に染み入って来る作品だけを積極的に観て行きたい…と、つくづく思わさせてくれる作品でした。
松井大吾✖️クリープパイプ✖️池松壮亮
このコラボだと、どうしても『私たちのハァハァ』が思い浮かぶ。
あの時の池松壮亮はゲスト出演って感じではあったけど。作品自体がロードムービーだっただけに、若い女の子達と作品中に絡む事でとても良い味付けとなっていた。
元カノでタクシードライバー役には伊藤沙莉。
元々、『ナイト・オン・ザ・プラネット』が尾崎世界観のNo. 1作品…って事での企画らしいですが。彼女にとってこの役柄は、最初は意外だなあ…と思っていたのですが。そこは流石に伊藤沙莉。観て行くうちにどんどんとタクシードライバーらしく見えて来る。
作品中に啖呵を切る場面等、観ていても「やっぱりこの子は違うなあ〜!」…と、感心する事しきり。
ただ、これはほぼ同じ時期に撮影されていたのかな?…って事で、批判されるまでには至らないとは思うのですが。同じく伊藤沙莉が出演していた『ボクたちはみんな大人になれなかった』と比較してしまうと。どちらも、彼女、、、つまりは伊藤沙莉との出会いと別れ。それを『ボク…』と同じように、、、
現在→過去→出会い→現在のその後…の順に映画は描いているのが、両作品とも全く同じ展開にはなっていました。
それだけに、『ボク…』の主人公は森山未來でしたが。それが池松壮亮に変わっただけ、、、って意見が出て来ても止むなしのところはあるかも知れません。
但し、脚本上でこの作品は。1日の始まりにデジタル時計を画面に表示していて。それが観ている観客に、〝 ある1つの謎かけ 〟として提示している為に、観ていながら「これは何だろう?」…との興味を引き付ける巧みな構成になっていた。
「オリンピックやるとは思わなかったですね〜」
コロナ禍の中でマスクが手離せない時代。
この台詞の情報で、映画の始まりが2021年であるのがそれとなく観客に示されます。
※ 1 《そしてその日が毎年の7月or8月?何れかの26日である事も》
(どうやら今のところ、7月説が多いですね)
映画のほとんどは伊藤沙莉と池松壮亮の2人が中心となるが、この2人の周りに何人もの多彩な登場人物達が集まり(交錯しながら)ストーリーは進んで(遡って)行く。
永瀬正敏は謎の男なのだが。彼の登場には、作品自体は違うものの。ひょっとしてジャームッシュ繋がりでの出演だったのだろうか?
だとしたら待ち望んでいた人は、出来れば工藤夕貴であったのなら嬉しかったのだけれども。
このキャラクターだけは、元ネタでもあるジャームッシュ作品との共通認識が理解出来ないと少し難しいのかも知れないですね。
他にも渋川清彦だったり、高岡早紀であったり(尾崎世界観もね)と。それぞれいい味付けのある登場の仕方でした。
※ 2 そんな中でも、【BAR泊まり木】に集まるのが、、、
マスター 國村隼
常連 池松壮亮
成田凌
元常連 伊藤沙莉
池松の友人 河合優実
彼氏 菅田俊
このアンサンブルが観ていて本当に楽しかった。
一見すると特に有っても無くても変わらない。
人によっては「ここを削ればもっとスンナリするんじゃないのか?」…との意見が出てもおかしくはないですね。そんな意見も、実際には間違いではないと思います。
マスター役の國村隼はどう見ても《普通のおじさん》なんですが、実はジェンダーなのが段々と分かってきます。
河合は普通の女性で、成田凌はオネエ言葉を駆使しているが、これはこの場だから許されるのを承知で使っています。彼は完全なる(いわゆる)《ノンケ》に辺ります。
そして最後の最後に《彼氏》としてほんのちょこっと登場するのが菅田俊。
つまりこの場に集うのが…男と女、それにジェンダーの2人を含めた人種の集まる場になっているんですね。
その上、池松壮亮はある意味では中性的でもあるしね。
私には、この遊びの部分が観ていても面白かったんですよね〜。
そしてもう1人意外な人物が居て、それがニューヨークの屋敷。
「昭和っすね」
「夏来ましたわ」
…にはちょっと笑ってしまった。
作品中での良い調味料となっていた。
夏は続いているみたいだし。考えてみたら後輩の妹ですから、気を使ったでしょうなあ(笑)
嗚呼そうだ!鈴木慶一のドライバー役が昔のハリウッド作品。
分かりやすく例えると『素晴らしき哉、人生』で、ジェームス・スチュアートとドナ・リードがグズグズしているのをベランダから…
「いいから早くキスしろ!」
…と、はやしたてるおじさん(笑)
そんな、昔の作品には。ちょっと粋な台詞をサラッと言っては、記憶に残る演技をする脇役の妙を味わせてくれる人が必ず居たものです。
そんなところも個人的には気に入っている理由の1つになっています。
深夜0:08分
世界は少しずつ進んで行く。
・デジタル時計
・もんじゃ
・朝の体操
・自宅近くの階段
・お地蔵さん
・公園のベンチ
・いつも通る商店街
・常連の集うBAR
・花束
・煙草の煙…etc
全ては1人1人の人生と、時の流れと共に。形をゆっくりと変えて行きながら。
2022年 2月12日 TOHOシネマズ西新井/スクリーン7
※ 1 「オリンピックやるとは思わなかったですね」
街の雰囲気であり、蝉が昼間には常に鳴いているのを感じると既にオリンピックは終わっている感じがするので8月では?とは思うのですが。出演者達を見ていると真夏の様子には見えないのと、屋敷の台詞「夏来ましたわ」から考えると7月のようにも見えなくはない。
ちょっと悩ましい💧
※ 2 この【BAR泊まり木】の最初の場面。
さりげなく聴こえて来るBGM。
エンドクレジットには何故だか記載されてはいなかったのだけれど。この時に流れていたのはファッツ・ウォーラーの歌いながらのピアノ
(音が小さくて曲名は分からなかった)
どんなセンスしてるのよ!嬉し過ぎるわ!
良い恋とは
「言葉が通じるからって心が伝わるわけじゃないし、言わなくても伝わることってあるだろうから」
「言わなきゃ伝わらないよ」
この短い会話が、全てを物語っている。
相手を心底から大事に想うからこそ半端なコミュニケーションを避けたい照生と、むしろどんな時にもコミュニケーションをとることによって信頼関係を確認したい葉。運命のように始まった恋は、二人の間のすれ違いが重なることで摩耗していく。喧嘩別れのように迎えた最後、葉は照生が引き留めてくれることを心のどこかで期待する。しかし照生は追いかけない。しかしそれは未練がなかったからではなく、逆説的ではあるが葉のことを想っていたから、つまり、葉をこれ以上苦しめたくなかったからではないからだろうか。
『花束みたいな恋をした』に引き続き、観客としては心が抉られるというか恋愛への希望が絶たれるような気分にもなってしまう映画。運命のように思われる恋の相手とは、一生一緒にはいられないものなのかもしれない。好きだからこそ。相手の心の動きをいちいち敏感に読み取ってしまうとか、それによって自分の気分まで左右されてしまうとか、自分の人生の照準を相手に合わせてしまうとか、相手に対して中途半端な機嫌取りができないとか。逆に、あまり執着のない相手との方が、のらりくらりと長続きする付き合いを築けるのかもしれない。
だからと言って、終わる恋には価値がないというのも暴論だろう。相手と共有した生の時間はそれぞれの人間の中に何かの糧となって生き続けるはずだし、なんにせよふとしたときに「ちょっと思い出」すことのできるキラキラした宝石箱のような思い出があるというのは、とても幸せなことではないだろうか。
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