ちょっと思い出しただけのレビュー・感想・評価
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ちょっと思い出す過去は宝物
主役の2人の演技が秀逸。何より2人の声が、もうそれだけでノスタルジー。感情をデフォルメするような発声の間や抑揚に引き込まれてしまい、役者にとって声は武器なんだなと確信した。
東京はキラキラで、エネルギッシュだけど、故に孤独を痛感する街でもあって、葉や照男のように真面目で繊細な若者は、日々葛藤しながら、愛や夢を求めて生きている。そんな不器用な2人の恋愛は、ドキュメンタリーみたいに自然な演技で、終始キュンとした。
タクシーの乗車客には、いろいろな人間模様が垣間見れるように、どの登場人物にも抱えるものが見て取れ、群像劇にも思えた。
また、余計な説明が少なくて、こちらがあれこれ想像できる余白のある映画だった。良質な本や映像作品は、そういうものだよなぁと改めて思った。
最後の場面、葉は、自分の恋愛を昇華して、今の自分や、過去の諸々、そして人生を肯定したのだなと解釈。思い出はやっぱり宝物!
最後にちょっとだけキュンとなった
最近も精力的に作品を発表していた松井監督。のをあまり観てなかったのだけど、随分大人っぽい感じになっていた。なんとなく聞いていたペパーミントキャンディー方式のワンデイといういいとこ取りのような企画、に、芸達者のふたりとくれば悪いものを見せられるはずはない。ただ、そんな組み合わせからするともっと上を期待してしまう。
なかなかエモーションかからず、というのはこの手の遡り映画の常かどうか思い出せないけれど、いくつかあったピースがラストのラストで被って朝焼けを迎えてベランダに立つ伊藤沙莉の、ケーキはあした食べるというあたり、人には心の奥にしまいこんでる大切な大切な思い出があるもんだ的な秘密の笑顔には泣いたりはする。
にしても何度か映る家の前の坂道も朝焼けに帰り道になった時の優雅な切なさというか。
とはいえ、最後の最後までエモーションがかからないのだ。その意味では「あの頃花束のような恋をした明け方の若者たち」の中では少し大人で渋い出来、かな。
日常系。でも見れちゃう
やっぱりそれは作り手の力量でしょうか
ストーリーとしては起承転結もないし
本当にただのあるカップルの6年間というだけ。
他のレビュアーさんが書いてある様に
「花束みたいな恋をした」系と言いますか
そういうの、流行ってるん!?
と思ったけど
なんだか見れちゃう。
多分、こうやって丁寧に作られているなら
カップルの数だけ映画出来ちゃうと思うんですけど
性懲りも無く見ちゃうと思います笑
それはやっぱり妙齢の男女設定だから……かなあ
色々、老婆心ながら……
な事言いたくなっちゃうんですよね。
あー、私も昔あったけどね〜
みたいな……ね!
ちょっと本歌取りしただけ
ジャームッシュ感満載の作品と聞いたので予備知識なしに公開初日に鑑賞。
いろんなサイトのレビュー読みましたがあまり触れてない?と思い珍しくレビューしますが、、
「ちょっと思い出した」のは彼女一人だけじゃなくて、実はラストに居合わせた3人全員、なんですよね。
彼女はステージの彼を見て、ミュージシャンは劇場の彼を見て、彼はそのミュージシャンがタクシーに乗り込むのを見て。
3人が3人の6年間を「ちょっと思い出した」ってとこが後で気付いてジンときた。
愛しさと切なさと伊藤沙莉と
松居大悟作品は初めてだったが(福岡では彼のエキセントリックな母親が悪目立ちしていて、彼自身にも色物感を感じていたので)、凄く良いじゃない!今まで食わず嫌いしていて申し訳ない!
とにかく主演の二人が滅茶苦茶良くて、特に会話シーンは、どこまでが台本通りでどこからがアドリブなんだろうと思ってしまう程、自然で軽妙でリアリティが有った。
また、クリープハイプの曲からの『ナイト・オン・ザ・プラネット』でそこからの逆算でヒロインがタクシー運転手という設定なのだろうが、この恋愛映画史上初なのではと思えるヒロインの職種というのが、実は凄い発明なんじゃないかと思った。それによって(その職種を選ぶという事で)葉という女性の為人がなんとなく掴めるし、同じ構図(に成らざるを得ない制約上)でも微妙に違っている(差異を見せられる)というのが、映画の主題にも上手く合致していると思う。
ともあれ、『ブルーバレンタイン』等に連なる〝楽しい過去が描かれる程切なくなって来る映画〟の新たなマスターピースの誕生に今は酔いしれよう!
ちょっと物悲しくて、笑えるいい映画です。
池松壮亮と伊藤沙莉の会話はなかなか良かったです、是非味わって、くすっと笑ってみてください。
追記
「花束みたい」のように劇的でない、何気ない日常が風のように過ぎていくところはリアルでより一層後を引きます。
言葉にしないと伝わらない、言わなくてもわかる、これに関しては前者が正しいと思います。この歳になって妻と話をしていてつくづくそう感じます。
説明のバランス
キャスト的によっぽどのことがなければ間違いない映画だなと思って、前情報は全く入れずに見ました。伊藤沙莉はとても良い。池松壮亮は話し方がすごく気になった。普通のちょっとした仕草とかはかなり難しい演技なんだなと再確認できた。そう考えると、森山未來、岸井ゆきの、仲野太賀、伊藤沙莉あたりってやっぱりすごい。演出の問題な気もするけれど。
メメントのラブストーリー版
2022年劇場鑑賞42本目。
最初混乱しますが(うわっ、浮気しておいて何いってんの?みたいな勘違い)「メメント」のように一年ずつ過去に逆上って結果から始まりを描いていくといった趣向になっています。永瀬正敏の役だけもしかしたら時空を超えたファンタジーの存在なのかもしれません。
やっていることは「花束みたいな恋をした」に近いのですが、描き方で斬新な映画になっていると思います。
しかしです。過去と現在を行ったり来たりして描くラブストーリー(最近だと奇しくも同じ池松壮亮主演の宮本から君へがそうでした)はよくあるのに、こういった結末があって遡っていくとただただ切ないんですよね。そこがいいという方がいるのは理解しますが、自分にはただただ辛い時間でした。ちょっと思い出すには結構長い時間でしたよ。
後、映画で喫煙シーンが出てくる時、普通はダークサイドに登場人物が属しているメタファーに使われるのですがこの映画だと自由のメタファーに使われていたのかなと思います。メタファーで普段喫煙しない俳優さんが喫煙されるのは見ていて辛いのですが。
ちょっとどころか・・・
ちょっとどころかしょちゅう思い出すなぁ、
などと考えながら鑑賞した。
向こうはちょっとだけでも思い出すことあるのかな、とか。
描かれない1年の間にはもっといろんなことがあったんだろう。
あーこの人いいな、もしかして自分のこと好きかも、
って思う頃が一番楽しいのかもしれない。
何とも切ない気持ちになる素敵な作品でした。
伊藤 沙莉さんはどんどん魅力的になりますね
たまには。
良い恋愛だった。
分かり合えなかった事も、今想うと自身が未熟だっただけ。
しっかりと二人は前に進んでる。
しっかりと今に満足しながら。
それでも、不意に、たまに、「ちょっと思い出しただけ」
この映画を観て、
俺も勇気づけられた気がした。
もう前に進んでるけど
たまには、ちょっと思い出してもいいよな。
個人的大傑作。今までの恋愛映画を過去にする素晴らしい構成と演出、そ...
個人的大傑作。今までの恋愛映画を過去にする素晴らしい構成と演出、そして主演2人の見事で身近な演技に鳥肌の連続。きっと何度も見返したくなるだろう作品だ。
ジム・ジャームッシュのナイト・オン・ザ・プラネットが土台にある作品だけあって、随所に作品のサンプリングが光る。ウィナノライダー演じるコーキーが女優の誘いを断ってでも整備工になりたいという強い思い、そこからは彼女の自分の人生への強い決意が伺える。それはこの作品のキャラクターにも反映されている。怪我をしてもいつかまた踊りたいと願う池松壮亮。結婚し子どもが産まれてもタクシーを運転し続ける伊藤沙莉。亡くなった妻をベンチで愛し続ける永瀬正敏など挙げればキリがない。変わらない人生や夢、目標、生活。変わったのは2人の関係だけ。その変わってしまったたったの数年間は広い目で見ればほんの少しの煌めきだが、その煌めきがいかに尊いものだったかをこの映画は思い出させてくれる。
当時付き合ってひどい別れ方をしたとして、その時は嫌な思い出として記憶されるが、数年後にそれを記録として思い出してみると、さほど嫌な記憶でもなかったなぁ、あの人がいたから今の自分がいたんだなぁ、と淡く光出す。人生の中で良い悪い問わず積み重ね続けた思い出は、きっと今の自分の背中を押してくれる。そんな強く前向きなメッセージをこの映画から受け取れた。
切なさを忘れてニヤニヤしてしまう
予告編を観たときから期待感しかなかった本作。クリープハイプの曲を聴いて、映画「ナイト・オン・ザ・プラネット」を観て臨んでしまった。
7月26日を1年ずつ過去に遡って観ていく方式。だから、あの行動やあのセリフの意味が後で判明するというやつだ。あーこれが後々あのセリフにつながるのかってわかるのは、まだつきあっている(つきあうことになる)シーンのとき。とても幸せなシーンなのに切ないったらありゃしない。別れのシーンはお互い言ってることや考えていることがわかるだけに思い出して余計に切なくなる。あー、これはズルい。
でも、過去のシーンが切ないだけではなく、楽しそうで幸せそう。別れることになるってのを忘れて、2人のセリフ一つひとつにニヤニヤしてしまう。池松壮亮と伊藤沙莉が本当につきあってるんじゃないのかって勘違いするくらいに2人が自然体でいい。こんな恋愛だからこそ、たまに思い出して切なくなっちゃうんだよな。自分の過去の恋を思い出してしまった人も多い気がする。楽しかったよな、あのとき…なんて。それを思い出すのもこの映画の特典なんじゃないかと思ってしまう。
ちなみにクリープハイプの「ナイト・オン・ザ・プラネット」という曲を事前に聴きこんでおいてよかった。むしろこの曲から映画ができたんだな。歌詞が本当に映画そのままだった。
「花束のような恋をした」「ボクたちはみんな大人になれなかった」「明け方の若者たち」といった、過去の恋愛をふり返るエモい映画が近年増えた気がする。そんな映画が大好きな人間だから、言ってしまうのかもしれないが、あえて言おう!傑作であると!(ギレン風に)
恋の切なさに加えて、人生のやるせなさも感じさせてくれる
なんとも切ない作品である。切なさという感情をそのまま物語にしたみたいで、観ていると胃のあたりがだんだん重くなってくる。泣きたいのでもなく叫びたいのでもなく、ただ悲しくて淋しくて苦しい、つまり切ないのだ。
と言う訳で、本作品の池松壮亮と伊藤沙莉の主演ふたりの芝居に心を持っていかれてしまった。芸達者同士の掛け合いは見事のひと言に尽きる。誕生日を一年ずつ遡るプロットがとてもいい。恋愛映画の新しい形かもしれない。
十代後半以上なら、どの年代にも向いている作品だと思う。恋の予感や恋のはじまりは人を幸福感に浸らせる。そして恋の思い出は常に鮮烈で、いつまでも色褪せない。思い出すたびに魂が揺すぶられる。だから本作品は、青春に限らず、朱夏でも白秋でも玄冬でも、どんな歳の人にも訴えかけるものがある。
松居大悟監督の脚本は明治の文豪の小説のようだ。難しい言葉や言い回しがひとつも出てこないのに、内容は深い。主演のふたりには逆に難しい脚本だったと思う。簡単な言葉で複雑な感情を表現しなければならない。松居監督の演出も厳しいものになった筈だ。しかし池松壮亮も伊藤沙莉も、努力の跡さえ感じさせない自然な演技で、脚本にも演出にも完璧に応えてみせた。
日常的なシーンばかりの映画だが、恋の切なさに加えて、人生のやるせなさも感じさせてくれる。素晴らしい作品である。
誰かのナイトオンザプラレットになったりするのかな
見終わったあと、なんか恥ずかしくなるような、痛くなるよな、でも昔があるから今が自分があるような昔の自分も肯定してもらっている様な素敵な映画でした。
誰にでもある話しかしれないですが、その2人にとっては特別な物だし、あのこの瞬間が一生続けばいいと言う感覚は本当にんかけがえない物であの頃の自分を見ている様でもう戻れない日常を愛おしい思ってしまいました。あの場所、あの映画、あの人の匂いなど世の中にちょっと思い出しただけが溢れているなと切なくもなり嬉しくもなりました。
コロナになって日常はガラッと変わってしまったし、あの時の日常は戻ってないですが、あの頃の自分があったからこそ今の自分があったと思える良い映画でした。
別れがあって出会いがあるのは当たり前の話しだけすが、あの時別れたからいまがあって今の幸せがあるのも今まであった人達がいてなりったってるんだなと思いあの時あった人達をまた思い出したりしています。
あの時はしんどかったど今は本当に感謝しています。生きるって色々ありますがいきってきて本当によかっただけす。過去の自分を肯定できました。
ちょっと思い出しただけで私達はできてるしそれがないと今も生きれない生き物なのかもっと思ったり。でもそこに縋りたいし戻りたい訳じゃなくて本当にちょっと思い出しただけ。
映画の中で2人が見た思いでの映画がナイトオンザプラレットで、この映画も誰かの思い出の映画になったら素敵だなと適当なこと思っていたら、帰りに、映画を見てエレベーターに乗って帰る時、カップルぽい2人が、俺たちは2人でずっと一緒にいようねって言っていたのが、真っ直ぐ過ぎて、可愛らしくてなんか泣きそうになりました。この2人にってこの映画がナイトオンザプラレットにならないでほしいなと心底思いながら、でもそうなればそれはそれで素敵だなと思いながらエレベーターをおり帰りました。
どこかしら愛おしくなる映画…映画の作り方としては全く異質だが「花束みたいな恋をした」に続く令和生まれの恋愛映画の佳作。
①「花束みたいな恋をした」とは真逆に一組の男女の出逢いから破局までを時間軸を逆行して描いた恋愛映画だが主演二人の好演により大変好ましい映画となった。②
まさに、ちょっと思い出しただけ。
進行が難しかった。
マスクなしタクシーに変わった時に気がつけなくて、なかなか理解できずにかなりのところまで進んで仕組みがわかった。
また、照生のイントネーションは何か意味があったのか?
ずっと気になった。
演出的な意味でもう一度観たい
時系列が現代→1年前→2年前のように、繰り下がっていく回想だったので、「出会いから別れるまでの時系列順回想映画」だと思って観ると途中までついていけなくなります。私がそうでした。汗
(カレンダーがおしゃれすぎて、「26」にしか目がいかず、何年の何月なのか途中までわからなかった)
途中で、繰り下がりの回想なのか!と気づいてからは、映画を観つつも脳内で「これがこうなってああなったのか」というように組み立てながらみていました。結構頭使います。笑
終わった後、お手洗い内で「時系列が難しかった」という会話がチラホラ聞こえたのも納得…。
ストーリー把握した上でもう一度観たいですね。
さて、花束のヒットからこういう「東京の片隅で若者カップルがただ恋愛するだけの映画」が増えたと思いませんか?そして必ず、「花束」と比較するコメントがあると思いませんか?
東京のアパート、揺れるカーテン、入り込む日差し、2人だけの世界、たまに猫、メジャーではないバンド、(の歌が挿入歌としてそのまま使われる)、独特な例え話、独特の感性を持つ自分達に酔っているような長い名言風セリフ…
私は坂元裕二さんが好きなので、こういう映画もドラマも大好きです。1人で観るにはもってこいの映画でした。
ただ、途中入場してきたカップルに避けて置いておいた紙袋を蹴られて踏まれ、そのカップルはスマホをいじるわポップコーン落とすわで最悪でしたね。
他にも途中入場者がチラホラ。
なんかマナー悪い人増えたなあ。
エンディング最高映画
最高。
22年最高の1本がもう決まってしまったと騒ぎたい。
話は別れた二人が別々の人生を歩んでいるところから始まる。次に、元カノがあるきっかけで元カレの姿を見かけると、その人との日々を思い出してしまう。
別れた日のこと、楽しかった日のこと、付き合った日のこと、出会った日のこと、そして今の旦那との生活というふうに時間軸が戻り、帰ってくる。
その記憶はすべて彼の誕生日(6月27日だっけ?)の出来事で統一されていた(はず?でも”出会った日”もそうだっけ??)
最後にクリープハイブのナイトオンザプラネットが流れて「ちょっと思い出しただけ」のタイトルがドーンと出る。
この瞬間に感じる「悲しさ」は120分いろいろなところに連れて行かれて、たっぷり感情移入していた分だけ重みがある。最高の120分だったという有終の美。
エンディングでは、めちゃくちゃ丁寧に作った醤油のように複雑な感情になってしまっており、フィクションなのに実感がちゃんとある。
複雑な気持ちを分解すると、まず確実に存在する「短調な」気持ちがベースなのだが、それに「甘い思い出」や少し「遠い過去の記憶」であること、でも「今の自分を構成している出来事」であり、「もしあのとき別れなかったらというif」などいろんな要素になるのか。これらがすぐそこに佇んでおり、ただの『悲しい』では片付けられない。
映画的にはシーンの切かわりが単純なフェードアウトで(しかも毎回同じ)、あえてなのか比較的低予算なのか、どこかB級感があった。
でも身近な出来事の話だからそっちのほうがいいや。とはいえ有名どころが脇を固めていたし、そんなことないかな。
時系列が逆転していくが、コロナ下でマスクを付けたシーンから逆にマスクがなくなったことがヒントになり、二人の関係性も変わることで逆転を確信させる作り。これは「今」じゃないと使えないから新鮮だった。10年後は通用しないのかもしれない。
葉がタクシーに乗せた客の中に離婚記念日の兄ちゃんがいたが、その人達が前は照生のアパートの住人だったという偶然の設定は偶然すぎていらなかった。
時の流れは皆平等という印象を得させたかったのかもしれないが、醤油ラーメンに濃い目のにんにくを入れたようでちょっと雰囲気に会わないように感じた。
良かったシーンは
・ 野原葉(元カノ)と照生(元カレ)が出会って、帰り道にもう会わないじゃんってことでストリートミュージシャンに合わせてふざけて踊ったところ。あのシーンは最高だった。見ていて嘘偽りなくマジで楽しい気持ちになる。フィクションでも全然楽しいってやっぱりありえるんだなと改めて実感した。この女優、楽しそうにしてる演技が最高に映えるなぁ。後ろで歌ってるのが尾崎世界観なのでもうバッチリ。
・ 葉が照生に「私達ってどうなの?」と詰め寄るシーンは思わず笑ってしまうが、作品のバランスを崩さない茶目っ気で気持ちよくくすくすできた。
他にも、いつも公園で妻を待つ男性が過去に遡ると、待っていた妻が傘を持って現れるところはベタだけど、狂うだけの理由があるのかと納得。
尾崎世界観だけトリックスターというか、フィクションを設定する側の人が作品に出ちゃっていて、じわじわと不思議に感じられて面白い。
時世もあり満席ではなかったが、エンドロールの最中に出る客は皆無だった。最後に来客限定で壁紙ダウンロードのQRコードが出たが、短すぎて読み取れない人がたくさんいた。あれは2回見に行かないと駄目ってことだな。
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