ちょっと思い出しただけのレビュー・感想・評価
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心地よい余韻 2人の共演をまた観たい
なんかちょっと思い出しちゃった…
その時にしかない空気や景色
色や音や匂い
いつのまにか歳をとっていくけれど
記憶はこころの奥のほうで
小さくてあたたかい炎みたいに
揺れ続ける
遠くないどこかにある
切なさや
やさしさや
寂しさや
うれしさが
入り混じっていく感情の波って
人ならではのたからものだとおもう
それらを
おおらかにうけとめることが
できてるかな
って
エンドロールのせまった
朝焼けを眺め
考えた
世の中の変化を
味わい
誠実にあわてずに
折り合いをつけながら
柔軟にアレンジできたら
とおもう
過去と今でできている
せっかくの自分だからね
池松さんと伊藤さん
なんだかぴったりなお二人
ちょっと思い出した
素敵な、でも何気無いシーンの断片がいくつも重なる。が、実は全部繋がってる。エンドロールまで繋がってる。(解説を読むとエンディングテーマが始まりとわかる)観終わった時の後味も素晴らしく、余韻も噛み締めがいがある。
「ちょっと思い出しただけ」
タイトルのままの映画だが、ちょっと思い出すきっかけ、思い出す時、思い出す軸ってこういうもんだな。
実際に自分が思い出したのか?と勘違いしそうな感覚だった。ただ実際に思い出すとこんなに鮮明ではないだろう。思い出した事だから美化されているのかも知れない。良い思い出はそれくらいキラキラしていた印象がある。
この仕掛けを具現化出来たのは俳優陣の演じ分けだろうな。俳優の個性を活かした監督も素晴らしい。
仕掛けがわかった状態の今、もう一度観たい映画。
タバコ吸っていい?ダメ?どっち?
『劇場』とか『花束みたいな恋をした』とか、出会いから別れまでをリアルに切なく描いた映画は最近の流行なのかなぁ~と感じる今日この頃。時系列逆回転の『メメント』を想起させるような手法で、『ナイト・オン・ザ・プラネット』と『パターソン』をリスペクトした恋愛映画が誕生した!と感じた。伊藤沙莉が気になる女優No.1のkossyとしても、現役タクシー運転手のkossyとしても迂闊に感想を書けないのでジム・ジャームッシュの作品を見直さないわけにはいかなかった。
金沢の女性タクシードライバーはヨウコという名前が多い。主人公・葉(伊藤)の名前ももしかしたら縁があるのかもしれないと感じたけど、これは同時刻5章立ての『ナイト~』のNY編の客ヨーヨーから取ったものだろう。そして笛を吹くシーンや急ブレーキ等々。LA編はそのままTV鑑賞してるシーンや葉と照生のやり取りにそのまま使われているし、「映画スターになる気はない?」というジーナ・ローランズの台詞も生かしてある。「運転手の後は整備工になる」と人生設計を立てているウィノナ・ライダーそのもののキャラでもあった。
また、パリ編からネタは「環七を避けていいですか?」という運転手の道順選択、ローマ編でのオネエたちの様子、ヘルシンキ編では渋川清彦を含む3人の酔っ払いがそのまま使われていた。ラブストーリー部分はクリープハイプの同名曲の歌詞そのまま・・・
永瀬正敏の出演は意外だったけど、彼はまたジム・ジャームッシュに愛されてきた日本人俳優。ここまでジムを敬愛した邦画作品はないだろう。そして、日常生活においては同じことを繰り返す『パターソン』を思い出した。ちょっとだけ。
7月26日が誕生日の照生。その7月26日を現在から過去にまで遡って葉目線で描いたもので、最初は時系列を掴みづらいがデジタル時計の曜日に注目し、タクシーをよく観察すると仕掛けが分かってくる。みんながマスクしている現在のJPN TAXI(タクシー内のビニールシートの有無も)からコンフォートへと戻って行くのです。こだわりは初乗り運賃730円というところまで。
ほとんどの人が経験する苦い恋。これを思い出す形で逆順に出会いまで遡るのも見事だし、それを1年ごとの同じ日を選ぶのも凄い。座・高円寺の劇場と照生のアパートを中心にし、ターニングポイントの日とケーキが絶妙なのだ。ちょっと驚いたのは出会いからキスするまでが1年もかかっていたということ。『ウエスト・サイド・ストーリー』とはえらい差だ。
運転手として、客とのリアルな会話にも驚かされたし、コロナ禍の現在において、マスクをしていない過去を懐かしむというのもリアリティが溢れていた。しかも、後ろ向きでは決してない。誰だってそれなりの人生設計を立てて、未来を見つめているのだから。
若い監督の割にかなり大人向けの作品だとは思うけど、今を経験している人たち全てに見て貰いたい作品でもありました。ただ、ジャームッシュの映画はタクシーが全面的禁煙になる以前のものだから、タバコだけは違和感あり。でも泣いた。クリープハイプの同名曲のPV(伊藤沙莉主演)もいい!
心の声が
まだまだ若いと思ってる年寄りですけどこの作品好きです。面白かったです。
池松壮亮と伊藤沙莉好きです。
他の方も書いてましたが、私も気づくの遅かったです。
時計だけじゃなくて、何年、何年て字幕入れてくれた方が親切かなと思いましたが、敢えてああしているんでしょうね。時代を映しているというか、主人公だけじゃなく少ししか登場しない人の人生まで想像してしまう、いい映画でした。脇役豪華すぎて持っていかれそう。そんな中でも屋敷さんいい感じでしたね。
きれいな子だなと思ってたらビート板でした。
「もう若くないと思ってる若い人が好きそうな作品じゃ〜ん。漫画原作の実写化かテレビドラマの映画版の他は、恋愛あるあるばっかりだな。若いんだからもっとパワーのある、世の中変えるような作品を作ったらどうなんだ〜。イーストウッド90才だぜ〜。」
心の声、書いちゃってるよ〜。(オズワルド伊藤風)
記憶はカイロス的な「時」のなかにある
大切な思い出や記憶は、定量的なクロノス的「時間」の中には存在しない。その記憶はときに刹那的であり、ときに逆行性(もしくは過去と未来を行き来する)をもつもの。
何気ないいつも通りの会話は失った後になってから、かけがえのないカイロス的な「時」だったと気づかされる。
だからといって一方的にそのことを後悔させられる訳では決してなく、その一瞬の「時」が永遠なものとして、いつまでもその人の記憶に残りつづける。
作品の時間を逆行させることで二人の記憶を(自分ごとの経験のように)観客が共有する。
そして鑑賞後にじっくりと記憶としてあたたかく蘇ってくる。
何度も観かえし、じっくりと味わいたい。
それにしても期待値を何段も超えてくる、伊藤沙莉はすごい役者。
そして、脇を固める俳優陣の豪華たること。
良くも悪くも人によって評価が分かれる作品
見る前は花束みたいな恋をした、のような感じかなと思っていましたが、時系列が複雑で過去の恋愛のワンシーンを思い出す人の脳内を覗いたり現実に戻ってきたりしてる様な感覚でした。
あと個人的感想としては良くも悪くもクリープハイプの曲込みで完成してる映画だなと思いました。
度々尾崎さんが登場したりクリープハイプがバンドとして出てきたり何度か劇中で曲が流れたのでファンとしてはすっごく嬉しかったです。
ですが曲やクリープハイプをあまり知らない人はクリープハイプの存在が強調され過ぎていると感じる方もいるんじゃないかなと感じました。(実際ファンではない友人はそのように感じていました)
ライブのシーンや曲をスクリーンでもう一度くらい聴きたいが、クリープハイプを抜きに考えたらもう一度観にいきたいと思う程では無いかなあ……
もうそこにいなくても、生きる希望を与えてくれる人がいる
「良い映画」とはどんな映画か。「もう一度見たくなる」映画だと私は思う。それは、もう一度見たときに「さらにもう一度見たくなる」ということだろう。私は、今作をまだ一回しか見ていないが、また見に行きたいと思う。男女二人の6年間のいろいろなシーンが鮮明に目に浮かんでくる。クリープハイプ「ナイトオンザプラネット」に着想を得た脚本だから当然なのだが、曲と映像とが調和していて、余韻でじんときている。あの世界に生きている人たちは、決して浮世離れしていない、ごく身近にいてもおかしくないような姿をしている。人生良いことばかりではなく、悲しいことや辛いことの方が多いくらいだろう。「それでも生きていこう」と思えるのは、それぞれにかけがえのない誰かの存在があるからだろう。たとえ、もういなくなっても、心の中で互いの背中を押しているのではないかと思うのは、楽観的すぎるだろうか。
会話劇のような回想ラブストーリー
二度と戻れない愛おしい日々を回想していくラブストーリーで会話劇に近いような印象を受けた。主演の池松壮亮と伊藤沙莉の個性が上手く引き出されていて魅力的な関係性が築かれている。また、脇役も豪華な顔ぶれで主演の二人に花を添えているように感じた。
2022-35
声がいいと思う
時間を遡って行くので、映画のほとんどの部分が回想シーンと言ってもいいんじゃないかな。
終わってしまった恋に合う、落ち着いた映像が良かったと思います。
それでね、この映画が凄いなと思ったのが、別れる前の年までの二人。
ラブラブな二人、もっと言えばバカップル。
これ、普通に演じたらキラキラした感じになっちゃうんだろうけど、ちゃんと切ない思い出の一部になっているんですよね。
二人の演技力もあるのでしょうが、二人の声質が落ち着いて感じるからなんじゃないかな。
伊藤さんが、過去を振り返る作品に重宝されるのが、納得できます。
ストーリーそのものって言うより、雰囲気を楽しむ映画だと思います。
「タクシー」と「バレッタ」そして、時間軸を遡る巧みな演出に見事にやられた
“エモい”って言葉が最高に似合う作品だ。
思ってた以上にいい!同じ日に見たウェストサイドストーリーより全然いい!なんだろう、自分の琴線に触れてラストは涙が溢れた。
生きていれば誰にでもある“ちょっと思い出す”こと。とりわけ若い頃の恋愛、元恋人との思い出はちょっとしたことをきっかけに、例えば彼の誕生日とか、思い出の場所などを通ったり聞いたりするとその瞬間、瞬間で思い出す。
物語は2021年7月27日東京オリンピックが開催されているコロナ禍から2015年7月27日まで遡る。7月27日(水)で止まったままの時計や、電気のスイッチがタイムマシーンのようなものとなり、ごく自然に物語は過去へ過去へと遡っていく。これ、意識して見ていないと気づいたらあれあれ?ってな感じになるが、マスクの有無で分かるかと。
愛する人と過ごす「時間よ止まれ!」と願う幸せなひと時はあっという間に過ぎていく。だけど時は淡々と過ぎ去り、ときに残酷に、その現実を突きつける。そして私たち人間の感情もナマモノ。常に移り変わり変化し続ける。
対して止まったものとして描かれているのは、照生くんの部屋にある止まったカレンダーの時計とベンチで妻を待ち続けるジュン。
人も、街も変わりゆく。だからこそ、その時、その瞬間を大切に、伝えたい言葉は伝えようねっていうメッセージ性が感じられた。
それにしても脇役に主役級の大物たちが勢揃い!池松壮亮と成田凌というよく似た二人が出演するのもちょっと嬉しい。
※以下ネタバレになります
タクシー運転手をする葉が長髪の照生に誕生日プレゼントでバレッタを贈った。
「タクシー運転手」って今は女性のドライバーも沢山いるが、圧倒的に男性の仕事というイメージがまだまだある。また「バレッタ」は女性の髪の毛をまとめるアクセサリーとしての認識があるが、本作でその固定観念を取り払ったことに称賛を送りたい!
本作のラストには『そうきたか〜!』って。
みーんな何かしら折り合いをつけながら、生きている。
ラストシーンは共感しまくりだ。わたしが女性ってのもあるのかしら?適齢期に結婚して子供を産んでっていう、惰性と妥協と少しの計算。適齢期の、特に子供が欲しいと願う女性の場合はとりわけその傾向が少なからずあるんじゃないかな。本作の葉のように、私だってそうだった。
高校生だった和泉ちゃんは大学生となり、中井戸さんの意中の相手も一気に年上の男性に変わり、照生くんの仕事も変わって、葉のタクシーの車も変わる。
変化してゆく、人生ってそんなもの。誰かと出会って、別れての繰り返し。二度と同じ瞬間なんてないんだから。だから大切に大切に毎日を生きたい。
めっちゃノーランみを感じる
完全にノーマークの作品でしたが、めちゃくちゃ評価が高かったので鑑賞。恋愛映画であるということは事前に聞いていましたが、具体的な内容については全く知らない状態での鑑賞です。
結論ですが、良かった!!事前情報を全く観ていなかったのが逆に良かったのかもしれませんね。本作の映画の特殊な構成によって、序盤に感じた違和感が「そういうことだったのか!」と解消される瞬間の爽快感は、事前情報があったら得られなかったと思います。
構成に凄く既視感がありましたが、クリストファー・ノーラン監督の『メメント』ですよね。最初は一瞬「どうなってるんだろう?」って思うけど、観ているうちに「あ!そういうことか!」と気付き、構成の上手さに驚かされます。
昨年公開の『花束みたいな恋をした』と内容が似ていると言われていますが、どちらかと言えば『(500)日のサマー』の方が近いように感じます。ただ、どの作品も独自性があって素晴らしい映画ですので、『ちょっと思い出しただけ』が気に入った方は『花束みたいな恋をした』『(500)日のサマー』もオススメします。
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怪我によってダンサーへの道を諦めて舞台照明の仕事をする照生(植松壮亮)と、タクシードライバーとして働く葉(伊藤沙莉)。二人のさりげない日常を描きながら、東京の町での人々の人生の機微を描く。
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大きな事件が起こらないのに、些細な会話が続くだけなのに、全くダレるシーンがなく楽しめる。会話の一つ一つが、きちんと意味を持って存在している感じが見て取れる。
植松壮亮さん演じる照生の誕生日(7月26日)を一年ずつ遡っていく物語構成のおかげで、「将来こうなるんだ」というのが分かった上で二人のイチャイチャを見せられている感じ。足を怪我した照生がダンサーとしての夢を諦めざるを得なくなり、葉と喧嘩して二人の関係性が崩れてしまった日。その展開を知っている状態で、その一年前に「来年の誕生日にプロポーズしよう」って言っている照生を見せられるわけです。観ていて苦しい。こういう「一年後が分かっているからこそ、何気ない言葉が刺さる」というシーンが結構多いんですよね。
小物に意味を持たせているところも素晴らしい。
特に印象に残っているのは「ケーキ」と「バレッタ」。ダンサーを目指している照生は厳しい食事制限を行なっていたため、自分の誕生日であってもケーキはほとんど食べません。せいぜいクリームをちびちびと啄んだり、ケーキの上に乗っかってるイチゴを食べるだけです。しかし、劇中には2回ほど、照生がガッツリとケーキを食べるシーンが登場します。つまりそれは「ダンサーとしての夢を諦めている」ことを表しているんです。髪を切ってからもバレッタを手放さなかったのは、ダンサーとしての夢とかつての恋人である葉への思いを断ち切れていない証左です。
劇中には上記のようなディテールにこだわりを感じるシーンが多数ありましたので、本当に細部まで作りこまれた脚本や画作りがなされているなと感じます。こういう作りこまれた映画は大好きです。観終わった後、観た人同士で「ここが良かった」「このモチーフにはこういう意味合いが含まれてそう」と語り合うのも面白そうな映画です。
役者陣も非常に素晴らしく、特に主演の二人は文句なしです。個人的に、コンパでイマイチ周りの雰囲気に乗れずに居酒屋の外に出た葉をナンパする男の役で、お笑い芸人であるニューヨークの屋敷さんが出てきたのは驚きました。後からニューヨークさんのYouTubeチャンネルを見てみたところ、本作の監督である松居大悟さんとは古い友人らしく、その繋がりで出演したらしいですね。そこそこ台詞量もある役だったんですが、演技は普通に上手だったので全く違和感なく観ることができました。
間違いなく、今映画館で観るべき映画でした。本当に面白かったです。
オススメです!!!
過去を肯定して背中を押すコロナ禍で生まれた傑作
誰しも時間は平等に過ぎ、時代も世の中も変わって進んでいく中で、ふと立ち止まって“あの頃”を思い出してしまう瞬間がある。そんな人生の機微を優しく包み込んでくれる愛おしい映画だった。一年のうちの“ある一日”の6年を切り取り、描き出す情景と描かない余白のバランスが絶妙。クリープハイプのアーティスト名の由来にもなっているジム・ジャームッシュの『ナイト・オン・ザ・プラネット』。アルバムの表題曲でもある、映画と同名の楽曲を、盟友である松居大悟監督が丁寧に映像で紡いでいく。コロナ禍で生まれた楽曲と映画が、コロナ禍以前の当たり前の日常の尊さを思い起こさせてくれた。今が悪いわけでも、過去に執着するわけでもない、ただ、“ちょっと思い出しただけ”なんだと。過去を肯定して背中を押す、松居大悟監督の、ある到達点に達した瞬間をみた。
誰にでも甘酸っぱい記憶
余韻に浸ってます。
観た直後は東京の街の見え方がちょっと変わりそうな、そんな映画。当たり前だけど、こんな大都会でも一人一人の暮らしがあって、感情があって、全てがドラマなのだと気付かせてくれる。
タクシーでのシーン。東京の夜景と共にドラマがある。すごく綺麗。情報によると、ちゃんと車を牽引して撮影したらしく、その丁寧さがちゃんと映像に残っている。
最近のドラマ見ていると、そこが手抜きなのがすぐバレて冷めるのよね。
そして池松くんと沙莉ちゃんコンビ、素晴らしいね。
最初から実は若干会話が噛み合わないところが、その時はあまり気にならず、結局別れる原因になるのも会話の噛み合わなさだったりする。あるあるかよ!?!分かりにくく、丁寧な伏線。すげーな!丁寧だな!
そして、あの池松くんの優しい口調なに?!好きになっちゃうんだけど!たぶんね、たぶん、ダメ男の部類に入ると思うのよ!映画はそこをピックアップしているわけじゃないから分かりにくいけど、たぶんダメ男!でもいい!わかる!
2人とも芝居も丁寧だわー。いいなぁー。
そして脇役が豪華。
言えるうちに言っておいたほうがいいですよ。メーター、止めましたから。
7月26日を、ずっと遡る。環境や風景や付き合いや髪型がどんどん元に戻っていく。でも、変わらないものもある。ずっとそこにあったのに、こっちの心の変化のおかげで変わってみえたもの。それは、過去から未来へのスムーズな時間経過では気付かないものだ。たとえば、古い建物が壊されて、空き地になって、新しいビルが建ったとしても、なんの感慨も湧きはしない。ところがもし、定点カメラで撮った写真を、1年ごとに巻き戻していくと、ああ、ここにはこんな味な古民家があったのか、あんな風景が眺めることができてたのか、って懐かしいような勿体なかったような、そんな郷愁に襲われると思う。この映画は、あるカップルをそんな視点で見つめた映画だ。そこに、ある時の自分を投影もするし、その時付き合ってた彼女の面影を思い出しもする。それは先日の『ボクたちは大人になれなかった』を観た後の心のしこりに似ているし、『街の上で』や『愛がなんだ』でも同様のセンチメンタルな感情に襲われもした。結局、映画の楽しみの一つは、過去の自分との再会とか、主人公に仮託する自分の憧れ、そういうものが満たされたときに、うれしい涙を流してしまうことなのだろう。
ラストの葉、自分には幸せにみえた。それは彼女が今の生活に満足していると思えたからではない。ベランダにもたれた彼女から、思い出した時にふと微笑むことができる過去が自分の中にあるって確かめられた、そんな笑顔を観ることができたからだった。そう、マスターに問いかけられたテルオがはにかみながら「ちょっと」って答えるのも、たぶん同じ感情だったのだと思う。
そして僕がそこに共感してしまうのは、今日、"誕生日"クーポンを使って一人ぼっちで観たせいかもしれない。欲しいものを手にすることだけが必ずしも幸せだとは限らないよって、今の自分を肯定してくれたような気がした。
そうそう、尾崎世界観、かれの風貌と貫禄、いい時間の流れを醸してたなあ。おまけに音楽がばっちり映画の"世界観"に嵌ってた。『八月は夜のバッティングセンターで。』のエンディングを思い出しながらきゅんとしちゃった。
心に深く刻まれるほど現実的で共鳴してしまった素晴らしい作品
「花束みたいな恋をした」「明け方の若者たち」そして「ちょっと思い出しただけ」...。昨年から立て続けに、現実的なシチュエーションで描かれたラブストーリーが多いが、この作品は特に印象深いが為、瞼に焼き付くほど今後も記憶として残りそうです。一連の、どの作品も悲しみや寂しさ、重さを感じるものがありますが、決して後味が悪いとか滅入る作品でないのは、共鳴する題材で描かれており、他人事のような話や夢のような物語ではないからだと思います。「花束みたいな恋をした」は幸せ過ぎる恋愛から時と共に歯車のズレを描いた作品、「明け方の若者たち」は不倫の先に待ち受ける現実を描いた作品、そして今回のような「ちょっと思い出しただけ」のように、どんなに好きでも一緒になれない運命を辿ってしまう作品は、以前大ヒットし実際にもハッピーエンドとなった「糸」とは違い、職業や状況など映画とは別物でも、近い人生を歩んできた人は少なからず居るはずです。私もその一人故に凄く共鳴しました。物語の中で、時間が前後したりしますが、決して判りずらいとかは無く、自然に物語が描かれ流れていきます。最終的に思うように行かないラブストーリーかも知れませんがラストの描写は最高です。2時間以上の上映時間ですが1度たりとも眠気に襲われるようなことはありませんでした。とにかく、今は幸せなんだけど過去を引きずっている人、でも過去には絶対戻れない・戻らない人、ぜひ観て下さい。
そういえば・・・
ふと思い出す過去の様々な想い出を誰にも分るように客観的映像にしたら正に今作品の上映時間になるという事を、低評価のレビュアー達はまず再認識した方が良い。”ちょっと”という主観的な時間軸が如何に長いかが余りにも自覚できていない人の散見ぶりを読むにつれ、脊髄反射でハリウッド映画ばかり、お粥のようなドラマを見続けてる人の思考をぶつけられて悲しくなる。監督の何方か、次回のテーマにこういう思考停止輩の日常を描く作品を作って欲しい程だ。
そういう人が、例えば何か体験をしたとして、頑張って理解しようとすることは苦痛なのであろうか?風俗で"鮪"に出くわした時の憤りを、しかしそれを想像出来ない脳みそのシワが少ない自分を先ずは馬鹿にすることが正解なのである。
人生なんて思い通りにならないパーセンテージは9割以上。思い通りに言ってる人は映画なんて観ない。現実が映画的なのだから。
好き嫌いのハッキリするタイプの今作を、自分の心に刺さらなかっただけで、星の数を減らす愚行に憤りを感じる昨今である
ちょっとどころじゃなかった
ここまで、好きだなぁ〜と思える映画に今まで出会うことがなかった。
初めから終わりまでの空気感がずっと心に響いていて
そう思うのは映画の構成が関係しているような気がする。
池松壮亮さん演じる照生と伊藤沙莉さん演じる葉が
描かれているポスターなのに、全然ツーショット出てこないじゃん!と思いながら、画面は黒みになり
「カチッ」という時計の音。
この時計の音の変化や2人の周辺の人間関係、憎まれるような人間が出てくることはなく、一人一人のキャラクターの厚さが終始心に響いてきました。
各パートで会話の間や映像の使い方が好きだなぁ〜となりました。
例えば、シロクマやニューヨークの屋敷さん演じる康太と葉の漫才のような会話などなど
最終パートでの照生の「ちょっとね」というセリフで
溜まっていたものが溢れてしまったけど
それは悲しいとかじゃなくて
ただこの2人には幸せになってほしいと願うものでした。
今まで観てきた作品の中で、面白いとかそういう表現じゃなくて好きだと思える作品です。
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