土を喰らう十二ヵ月のレビュー・感想・評価
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門前の小僧習わぬ経を読む
この作品が水上勉のエッセイが原作という理由だけで観に行きましたが、中々興味深い作品でした。 私の中での水上勉という存在は、高校時代(半世紀前)に日本映画の名作を見漁っていた頃の名作映画の原作家という印象が強く、それで原作も釣られて読み好きになった作家さんでした。 その水上さんが一時期でもこういう生活をしていた事に驚きましたが、大正・昭和前期生まれの人ってこういう根本的強さをまだ持った人が多くいたような気がします。 更に、少年時代の禅寺での修行によって“三つ子の魂百まで”ではないが、そこで習った“生きる”ことの原点を身に付けていた人だからこその達観なのでしょう。 私らの様な昭和中期以降生まれの人間には環境が揃わないと中々出来ない様な自給自足生活で、個人的には非常に羨ましかったです。 ただ、同じエッセイが原作の作品だと『日々是好日』の方が映画自体の面白さは感じたな。 人は達観した人生より、自分に近い未熟(不完全)からの成長の方が見たいですからね。
土を喰らう 旬の膳の映画
水上勉の晩年に書かれた生活と旬の料理のエッセイ、を原作にし中江裕司監督と料理家土井善晴氏が脚本にしたフィクション 原作はずっと昔に読んだ記憶があるけれど、歳の離れた恋人で編集者の真知子(松たか子)とやり取りする物語は記憶にありません。 自然の光の中の撮影が美しく、旬の素材が土から芽吹く存在感が素晴らしい。 ちょっと暗い家の台所。昔あった土間にタイルの洗い場が懐かしい。自給自足の生活には土を流せる洗い場は必須。 とにかく旬のものを損うことなく食す膳がこの映画の魅力。 土に根ざした生活、自分のありのままに生きているツトム(沢田研二)は全てに達観している様に見える。 恋人?という設定の真知子を旬の美味いもの、本当の精進料理でもてなし自分の皿のものまで与える。 それを美味しそうに食べる真知子の姿にご満悦。 時にはマチコ、マチコと呼び手伝わせる。 自分との距離感がパートナー(伴侶)というよりも 愛犬のサンショとかぶって見える。 人恋しさもありマチコと共に生活するも家族ではなく、ただ時を過ごしているように見える。 ツトム自身が倒れ自分の健康が損なわれてからは 「独りで生まれて独りで死んでいく」と言う、このくだり。 世捨て人の義母の葬儀を取り仕切り、 やはり人は人と生きていることを感じたはずなのに… 迷惑をかけたくないという思いもあるだろうけれど ちょっと最後が独善的に見えた。 「昔の人は旨いもん食ってたんだなあ」と言う火野正平が素直。 旬の料理で日本酒が飲みたくなる。
贅沢の極み
四季の移ろいと旬の物はなんと贅沢なものだろうか もちろんそれだけの苦労はかかるわけだけれど、こんな生活が送れるなら悪くはないか 生きるという事は動く事、だから腹が減るし腹が減るから飯を食う 飯を食うとはすなわち生きる事で生きる事は死ぬ事 毎日死と隣り合わせだからこそ美味しくご飯を食べたいものだ
地に足のついた、土の匂いのする映画
生命が今まさにそこにあり、強くあり儚くもあり、といった情感に溢れていました。 丁寧に四季を追った美しい画も素晴らしい。 観終わってお腹がすいていたけれど、ちょっとメニューに妥協は出来ず(笑) 一つ、観た方にご意見お聞きしたいんですが、松たか子さんの手皿の所作って演出上の狙いなんでしょうかね? あと犬が! 犬がもう可愛くて可愛くて。いいお芝居してます。ロケハン中についてきた、白馬在住の犬、だそうです。
最愛の妻を13年前に喪い、長野の古民家で一匹の犬一匹と暮らす作家の...
最愛の妻を13年前に喪い、長野の古民家で一匹の犬一匹と暮らす作家のツトム(沢田研二)。
ツトムのもとを訪れるのは、ひとり暮らしの師匠である年上の大工(火野正平)と女性編集者の真知子(松たか子)ぐらいだ。
ここのところ筆の進まないツトムに対して、何か書いてくださいと迫る真知子に気おされて決めた随筆のタイトルは『土を喰らう十二ヵ月』。
幼い時分に修行に出された禅寺での出来事を交え、山深い村でのひとり暮らし、特に食べることに焦点を当てて、思いつくままに綴ろうというものであった・・・
といったところからはじまる物語で、立春をはじめ短い文章とともに二十四節季のいくつかが、そのときどきの暮らしとともに映し出されます。
丁寧に撮られた映画、というのが鑑賞後の感想で、これほど丁寧な映像は近頃珍しい。
ツトム演じる沢田研二は年を経て、かつてのスリムな印象は霧消したが、独特なユーモアセンスがにじみ出ていて好演。
ちょっと色悪的な雰囲気もあって、料理する様などに独特の色気を感じます。
料理を担当したのは、料理研究家の土井善晴。
手間暇かけて素朴な材料の良さを活かした素朴な料理が素晴らしい。
(「料理は簡単でいいんです」といつも話してるが、映画に登場する料理の数々、手間暇かかってますよ)
映画に独特のユーモアを与えているのは、沢田研二のほかにも、亡妻の老母チエ(奈良岡朋子)や義理の弟夫婦(尾美としのり、西田尚美)などがいて、特にチエを演じる奈良岡が素晴らしい。
(遺影の写真の表情がまたいいんです)
チエの葬式で村人たちが、大きな数珠を回しながら念仏を唱えるのも興味深い。
(キリスト教のロザリオを思い出しました)
監督・脚本は『ナビイの恋』の中江裕司。
監督らしい映画です。
(巻頭、ビートとリズムの効いたジャズではじまるあたりも、ちょっと人を食った感じで、独特のユーモアを感じますね)
適度に運動して‼️❓まともなものを喰い‼️❓それなりに恋をしたら‼️❓
沢田研二の風評が傲慢であるとか聞いていたけど、どうだろうか。 彼の歌とお経を聴いたら、彼は良い人だと信じることにした。 美味しそうな料理やお漬物、でも、私には厳しすぎる自然。 彼と松たか子を見てると、加藤茶さんが性生活してるのだろうか、などと、余計な心配などする、ほんと余計だ。 たまたまロケ地と今見たブラタモリが同じだ、笑える。 良い自然なんだろう、自然に乾杯、鶴瓶か? 土井さんの料理を是非食べたいものだ、親父の土井勝のことだが。 映画館は沢田研二のファンばかりでした、空いてるのに後ろの席を取り私の席を蹴る不思議なおばさんは余計でした。
土と植物と生と死が食によって繋がっている。 季節ごとの主人公のモノ...
土と植物と生と死が食によって繋がっている。
季節ごとの主人公のモノローグ(台詞が原作からの引用なのかは分からないが、すごく胸に響く言葉)と、折々の山の幸を収穫し調理する姿だけでずっと見ていられる。冒頭の山菜(ヤマゼリだったか)を炊きたてのごはんに和えるカットで思わずおいしそうと声が出てしまった。沢田研二の語りの声がまたいい。
ストーリーは義母の通夜ぶるまいを承に、主人公自身の行く末の話となり転結が描かれる。映画の展開上必要だとは思うが、食の主題とのつながりは若干ぼやけたように感じた。死を意識しつつ「生きるために食べる」というところに最後は戻ってくるのだが、せつない。
五感で感じる映画
四季の移ろい、食を含めて自然の豊かさを五感で感じる映画でした。しいんとした田舎の古民家で登場人物が食べる「音」がやたら響きます。耳で味わうことができるのです。そして、ツトムが雪からほうれん草を取り出すシーンや、 蛇口の水で野菜を洗うシーンは、本当に冷たい気分になるんです。ほくほくした小芋を味わうときは、自分もアチチ、と思いながら見てる。村の人たちに評判のいいゴマ豆腐も、無意識に想像しながら自分も味わっている。いつのまにか、自分も体験している、そんな映画でした。
沢田研二さんも松たか子さんも、ほかの共演者さんたちも自然な演技で素晴らしかったし、映像的にもとても美しかったし、最高、といいたいところですが、ストーリー的に疑問を感じてしまったのは否めません。死生観に浸って「みなさん、さようなら」って死ぬ覚悟はいいけれど、このまま死んであとに残ったサンショのことは考えていないのかしら?とか思ってしまいました。
でも、最後の沢田研二さんの歌が素晴らしすぎて、疑問なんて吹き飛んでしまうくらい、観終わったあとすがすがしくなります。こんなに心にしみる歌を歌う人だったんですね。子どものころの流行歌手といったイメージだけでしたが、歌い方も声も伝わってくるものが素晴らしい。歌を聞いていてここまでじいんとしたのは初めてです。すごい歌手だと思いました。(今さらですみません)ぜひまたTVでも歌っていただきたいです。
ジュリーにオファーしてくださってありがとう
正直言ってキネマは不満だった、納得いかなかったので、これがあって、ほんとに良かった。よくぞジュリーにオファーしてくださった。 マチコが車でやってきた長野の家では、ツトムが炊飯器ではなくかまどでご飯炊いて、蛍光灯ではなくランプを灯りにして、ストーブではなく囲炉裏で暖をとってる。時代はいつ?w 電話が使えるんだから電気は来てるのに。 食事も同じ、肉も魚も卵も食べない冷蔵庫の要らない暮らし。時代は関係ない、自分がどう生きるか。 拘り強い。芸術家だ、言っちゃ何だが偏屈だ。 いやー。ぴったりじゃないですかw 雪深い長野であんな大きな窓のある家が囲炉裏でどれだけ暖まるか。冬は寒いのが当たり前なんですね。抗わない。 弟夫婦は普通の人だ。拘りなさそう。肉も魚もしっかり食べてそう。姑やツトムを同類の偏屈だと思ってそう。だから姑と折り合い悪い。 姑が亡くなって。姑と同じように独り暮らしてたツトムは独り暮らしをやめようとする。気持ちはわかる。いつ自分だって姑みたいになるか。一方で、ツトムは奥様を亡くしてる。亡くなった時、奥様には自分がいた。『いた』けど亡くなって、ツトムはきっと無力感でいっぱいだっただろう。ずっと遺骨を手放せない。姑と奥様の何が違うのか。きっと考える。 以前、人間が生きてれば老いるのが当たり前で、枯れて朽ちていくのが美しいんだとインタビューに答えてらしたジュリー。煩悩の塊みたいな芸能界にあって、お坊様みたいなことをいう人だと思ってたらぴったりの役が来たw まるでこの映画のために作ったかのような96年の『いつか君は』を主題歌にしたと発表されてから今日まで何度リピしたことか。
食と生き方、そして死に方。
沢田研二が演技をしてるのをあまり見てません。 かなり昔ビールのCMで自然でいい感だったのと、 魔界転生は、、あれは人間じゃなかったな、、、決して優れているとは思わないんですが、独特の抜け感というか、自然な感じが素敵だなと思う人です。 嫌な感じの西田が新鮮。 壇ふみは佇まいが素敵すぎる。 松たか子は前半もっさり後半仏頂面、主人公に人生振り回される可哀想な役回りであったが的役であった。 話は精進料理と自然の中でつつましく生きる作家の話し。個人的には俗な部分である彼女との関係なんかもっと掘り込んでも映画として面白かったと思うんだけど、あえて触れてない。 ある意味身勝手な作家の食と終活を描いただけの話しなんだけど四季を愛で、その恵みをいただく生きかたは日本人にはビンビン来る。 どの料理も美味そうで身体に良さそう! しかしまあ、そんな生活していても病気にはなるし、いずれは死ぬんだなと、、だったらジャンクフードにまみれ飽食して死ぬのも対極として有りだな、、などと色々思うことあり。 身も心も洗われる様な映画だった。
美味しそうなお料理と日々の移ろいを眺める時間。
作家をしながら山中の家で身の回りで採ったものをいまだく、自給自足に近い生活を送るツトムさん。
冷蔵庫はないみたいだからお野菜は漬けるし、ご飯は釜で焚き火で炊くし、季節ごとに収穫できるものをシンプルに調理して食べる。
幼いときに修行したという京都のお寺での経験やお父様の教えを実践するツトムさんが素敵だった。
土井善晴さんが監修されているという、シンプルながらとても美味しそうな料理(釜炊きごはん、お芋のいろり焼き、山菜、たけのこ、梅干し、ゆず味噌大根など)も素敵だったなあ。
しかし通夜振る舞いをある食材のみでメニューから組み立て、ほぼ自分で作るツトムさんがすごすぎる…(参列した地元のおば様方のウケもばっちり)。
食材はほとんどスーパーマーケットで購入する私たちは忘れがちな気がするけど、食べ物はすべて元々生きていたものたちで、植物には旬がある。
自分で収穫したものを、丁寧に向き合いながら調理し、いただくこと。
料理に限らず、例えばお掃除だって、自分の手で床を掃き清めたり、雑巾がけしたりすることは、その対象に向き合う、ということだ。
そしてそのように食べるものや暮らしの上で接するものに時間をかけて向き合いながら生きることが、いわゆる「丁寧に生きる(暮らす)」ということなんだろうなあと、本作を観ながら思っていた。
(とりあえずほうれん草の根っこはこれまでのように切り落とさないで調理してみようと思う…)
「効率的」とか「便利」はそれも確かに豊かな暮らしに不可欠だし、正直今さら文明の利器は手放せない。
ただそうだとしても、「目の前のものに向き合おうとすること、知ろうとすること」は放棄はしないでいたいなあ、としみじみ思いながらスクリーンの中でゆっくり進んでいくツトムさんの生活や山の景色を眺めていた。
良い時間だった。
少し残念だったのがストーリー。
特にこの作品においての真知子さんという存在はいったい何だったのだろうと個人的には腑に落ちてない(松たか子さんは素敵だったのだけど)。
あとツトムさんの義弟夫婦の感じの悪さと残念っぷり(最初から最後まで良いところ一個もなかったぞ…)もこの作品に果たして必要だったのか…?と少し疑問。
個人的な感想としては、本作に関しては起伏のドラマなんていらないから、ツトムさんの訥々と語られるモノローグや、日々の心のゆらぎ、地元の人たち(ツトムさんの師匠の火野正平さん、素敵だ…)とのやり取り、山の風景やお料理の様子のみに焦点を当てて走り抜けて欲しかった気がしなくもない(原作?原案は未読なので原作に沿ったものなのかもしれないけど)。
いろいろ考えさせられ、誰かと語りたくなる映画です
CMではスルーしてしまう映画、評判が高くて鑑賞。 信州の美しい大地と空、季節。そして土井善晴さん本格参画の気品漂う美味しそうな料理が人の生命と自然の関りの機微を24節気のスコープとともに繊細に描く非常に行間が多い深い物語。 エンドロール後いろいろ考えさせられ、誰かと語りたくなる映画です。
自然を喰らい生と死を見つめる
豊かな自然が美しく、精進料理が美味しそう。 どこか世捨て人のように見えるがちゃっかり年下の彼女がいる。 日々の忙しさに追われている身からしたら、憧れるし落ち着く落ち着く。 その中でもしっかりと生と死について向き合い、また生きる。力強さを貰えた。
「生きることは喰らうこと」
「生きることは喰らうこと」。 自然なかで自然に感謝して生きるという、現代では難しくなった昔のような生活を長野で体現している作家を主人公とした水上勉さんの作品を原作にした作品。 私のような効率化自体を目的化してしまっているような生活とは真反対のような生活であり、とてもすごいなと思いました。毎回の食事を丁寧に手作りし、それに使う食材も自分で調達して。 出てくる料理がどれも本当に美味しそうで、映画の題名通り12ヶ月の四季の移ろいがとても美しく表現されていました。 経済的には豊かではなかったとしても、「食」という軸となるものを勉さんはしっかりと持っていて自分の道をしっかりとゆく素晴らしい生活をされているなと感じました。 また、松たか子さん演じる恋人との関係や、そのお婆さんや地域の人達との関係も温かくていいなぁと思いました。
ふたりの関係が料理を共に喰らうだけでなく、具体的にどんな愛し合う関係だったのか、突っ込みが足りない気がしました。
「雁の寺」「飢餓海峡」「はなれ瞽女おりん」など生前、小説の映画化が多かった水上勉が1978年に女性誌に連載した随筆「土を喰う日々 わが精進十二ヵ月」が本作の原案となりました。水上は映画会社にいた時期があるそうです。自分が書き残した小説ではなくエッセイを元に、自身を模した主人公を、年を重ねても色香を漂わす沢田研二が演じたと知ったら驚いたかもしれませんね。
生きることは食べること。誰かと一緒に食卓を囲めたら、なおさらいいですね。四季の移ろいとともに暮らし、自然の恵みをいただくこと。そんなふうに生きられたら、最高でしょう。
そんな料理エッセーの装いの中で、生や死、人間としての欲や業に向き合う登場人物たちの姿が端正に描かれます。穏やかに過ぎる日々、それがこんなにドラマチックに感じられました。
同様の作品で思いつくのは、橋本愛主演の『リトル・フォレスト 夏・秋』(2014年) 、『リトル・フォレスト 冬・春』(2015年)が挙げられますが、やはり本作の方が圧倒的に味わい深かったです。
加えて、本作はとても贅沢な作品です。
信州は白馬の集落で、1年半もかけて美しく移ろう四季の風景をカメラに収めるなんて今の邦画製作では考えられないほどの予算無視した長期ロケに取り組んだことになります。何しろ立冬から立ち上げ、再び立冬に至るまでの二十四節気(今でも立春、春分、夏至など、季節を表す言葉として用いられています。1年を春夏秋冬の4つの季節に分け、さらにそれぞれを6つに分けたもの)をその都度ロケしていますから、主演の沢田研二はおそらく撮影期間中は白馬の現場に貼り付けになっていたものと思われます。
また主人公のツトムが暮らす山荘は、水上が晩年を過ごした長野県東御市と近い、白馬の廃集落の茅葺屋根の古民家を撮影用に再生したもの。畑も開墾したというから、DASH村を作り上げたといってもいいでしょう。かまどや囲炉裏があり、2人が食事をする居間は大きな窓から季節で移り変わる外の景色が見え、その居心地の良さに、自然と役に成りきれたと出演した松たか子も絶賛していました。
もう一つの主役が、料理研究家の土井善晴が作る数々の精進料理です。スタッフが現場の畑で実際に育てた旬の野菜を使った煮ものや胡麻豆腐など、特に湯気の立つタケノコを大きな皿にドンと盛った若竹煮のド迫力には、たまりませんでした。俳優たちの気持ちがそのまま、画面に滲み出ていていたのです。
「土井さんの料理は、味が濃すぎず薄すぎず、出汁が勝ちすぎてもいない。塩梅がちょうどいい。演技じゃなく、誰でもああいう顔になりますよ。おいしいものを食べたい欲求と、ツトムさんに触れたい欲求はきっと同じなんでしょうね」。松たか子でも思わず素になって味わってしまったのでした。
とても良い塩梅の映画だったのです
作家のツトム(沢田研二)は、人里離れた信州の山荘で愛犬と暮らしていました。少年時代を過ごした禅寺で精進料理を学び、それを日々の暮らしに活かしていたのです。
冬は雪を掘り、菰で守られたホウレン草を掘り出し、茹でます。春、夏、秋と土の中から畑で育てた野菜が掘り出され、土を洗う場面が繰り返されます。さらに周囲の山々で採った木の実、キノコ、山菜で料理を作る日々でした。毎日、食材を収穫するツトムの行動が次第に当たり前に思えてきます。タイトル通り、人の営みと大地が近い暮らしぶりでした。
楽しみは、時折、担当編集者で恋人の真知子(松たか子)が東京から訪ねてきて一緒に食べる特別な時間を過ごすこと。
一方で、13年前に亡くなった妻八重子の遺骨を墓に納めることができずにいました。八重子の母のチエ(奈良岡朋子)のもとを訪ねたツトムは、八重子の墓をまだ作っていないことを咎められます。のちにチエは亡くなります。チエの葬儀はツトムの山荘で営まれました。
葬儀が終わり、ツトムは真知子に山荘に住むことを提案します。真知子は考えさせてと応じましたが、この後二人の心境が変化する大きな出来事が起こったのでした。
圧巻はチエの通夜のシーン。予想よりも多くの人が集まり、真知子も東京から駆けつけ葬儀の準備に追われたのです。大勢の参列者に振る舞う料理を2人で捌かなくてはいけませんでした。しかも大雪で仕入れが出来ず、材料は畑の野菜や買い置きのもので凌ぐしかありません。
台所に、ツトムの指示に応える「ハイヨ」という真知子のリズミカルなかけ声が響きます。胡麻豆腐にはじまり、ツトムの手際の良さに圧倒されました。誰かのために生き生きと料理を作るツトムの姿はに思わず見惚れてしまう真知子の表情が印象的でした。
掘り起こした芋の土を丁寧に落とし、皮をむき、包丁で切っていく。ツトムが食材を扱う手つきは、器用ではないけれど丁寧でゆったりしていて、そこはかとなく色気が感じられます。さすが沢田研二!
「ナビイの恋」などの中江裕司監督は、ツトムの手の動きを追いかけ、まるでドキュメンタリーのようにその工程を映し出したのです。
ところで、野菜は土の中で身を太らせ、山菜は降り注ぐ陽光に葉をいっぱいに広げます。旬をいただくということ、そして土を喰らうことは生命の絶頂を摘み取り、身に取り込むことなのです。業の深い行為なのです。そこから念仏ならば、ご恩報謝の感謝の心が自然と湧いてくるものですが、残念ながら幼い頃に禅寺で修行したツトムには、その観点が抜けていていたのでした。
なので人と関係を断てる山里に暮らし、自給自足の仙人のような暮らしから悟りの雰囲気を楽しんでいたのです。それはわたしから見れば、身勝手な野狐禅のように思えました。それが露呈するのが、ツトムが心筋梗塞を起こしてしまったことから。タイミングよく真知子が駆けつけていなかったらツトムは確実に死んでいたことでしょう。当然ツトムは妻の死、そして自分の死とも向き合うことになります。悟りの雰囲気だけ楽しんでいたツトムには、死を受け入れようともがきつつも、生に執着するのです。本来仏教は執着と迷いを立つ教えなのに、ツトムは迷いもがきます。中江監督が生み出した場面が秀逸です。
ここまでネタバレ無し!
【注意:ここから一部ネタバレあり】
そして出した結論は、一人で死ぬまで生きていくこと。その結果、倒れる前には真知子に一緒に住もうとプロポーズしたのに、ツトムの方から別れを切り出すのでした。
いくら真知子に負担を負わせたくないという愛情から出た言葉としても、これまでの真知子の献身に感謝が足りないと思えました。「身勝手ね」と怒りながら立ち去る真知子の悲しみにいたく同情してしまったのです。
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ここからネタバレ無し!
それにしても沢田のツトムは絶品です。老境の作家の枯れた雰囲気が、里山の風景となじんでいた。それでいて真知子と2人きりの場面はほのかに上気した空気を生み出し、心に生まれたさざなみも巧みに伝えてくれました。自身の人生が染み出すような名演たったといえるでしょう。脇を固める奈良岡朋子、火野正平も、人生の達人像を具現化していた演技でした。加えて大友良英のフリージャズが、軽やかに物語に重なりました。
最後に一つ気になることがあります。
前半、カメラは台所と居間を行き来して、寝所は映されません。締め切り間近にふらりと現れる真知子との雑味を抑えるためかと見ていたら、寝所は後半、ツトムの死を意識した棺のように2度、出てきます。これでは真知子はツトムの老いを強調する小道具の感が拭えず、松の生かし方がもったいないと思えました。ふたりの関係が料理を共に喰らうだけでなく、具体的にどんな愛し合う関係だったのか、突っ込みが足りない気がしたのです。
画面から伝わる美味しさと犬の可愛さ
ほんわか田舎の暮らしに、土井善晴さんによるたしかな料理…… 『孤独のグルメ』『きのう何食べた』に通じる、画面から伝わる美味しさ。 さらに素晴らしいものが画面に。 沢田研二の演じる主人公ツトムの、愛犬「さんしょ」。 ああ、さんしょの頭をグリグリ撫でたいっ! 雑種っぽい、一見無愛想なツンデレっぷりがたまりません。 あと、気の弱い義弟を演じた尾美としのりが、演技として犬だったので可愛かったです。 映画としてみると、人物関係のうち恋愛部分の描写が少々希薄なのが惜しかった。 ただ、作品の主眼は「(老境の)生き方」だろうから、これでいいのかも。
こころ洗らわされる良い映画だ。
主演が沢田研二と知って鑑賞する気が起こらなかった。以前観た「シネマの神様」での彼の演技が酷く、その上コンサートで客の入りが悪くて、ドタキャンした件が引っ掛かっていたからだ。なんて傲慢な人だと思っていた。 映画評が高得点だったので、鑑賞してみた。感想はタイトルどおりだ。食べることは生きることに繋がる。性欲と食欲は人間の二大欲望だ。共に生と繋がっている。最後に朝食を前に、「いただきます」と手を合わせる終わる場面は、今日一日しっかり生きようと宣言させるようないい終わり方だ。
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