「ふたりの関係が料理を共に喰らうだけでなく、具体的にどんな愛し合う関係だったのか、突っ込みが足りない気がしました。」土を喰らう十二ヵ月 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
ふたりの関係が料理を共に喰らうだけでなく、具体的にどんな愛し合う関係だったのか、突っ込みが足りない気がしました。
「雁の寺」「飢餓海峡」「はなれ瞽女おりん」など生前、小説の映画化が多かった水上勉が1978年に女性誌に連載した随筆「土を喰う日々 わが精進十二ヵ月」が本作の原案となりました。水上は映画会社にいた時期があるそうです。自分が書き残した小説ではなくエッセイを元に、自身を模した主人公を、年を重ねても色香を漂わす沢田研二が演じたと知ったら驚いたかもしれませんね。
生きることは食べること。誰かと一緒に食卓を囲めたら、なおさらいいですね。四季の移ろいとともに暮らし、自然の恵みをいただくこと。そんなふうに生きられたら、最高でしょう。
そんな料理エッセーの装いの中で、生や死、人間としての欲や業に向き合う登場人物たちの姿が端正に描かれます。穏やかに過ぎる日々、それがこんなにドラマチックに感じられました。
同様の作品で思いつくのは、橋本愛主演の『リトル・フォレスト 夏・秋』(2014年) 、『リトル・フォレスト 冬・春』(2015年)が挙げられますが、やはり本作の方が圧倒的に味わい深かったです。
加えて、本作はとても贅沢な作品です。
信州は白馬の集落で、1年半もかけて美しく移ろう四季の風景をカメラに収めるなんて今の邦画製作では考えられないほどの予算無視した長期ロケに取り組んだことになります。何しろ立冬から立ち上げ、再び立冬に至るまでの二十四節気(今でも立春、春分、夏至など、季節を表す言葉として用いられています。1年を春夏秋冬の4つの季節に分け、さらにそれぞれを6つに分けたもの)をその都度ロケしていますから、主演の沢田研二はおそらく撮影期間中は白馬の現場に貼り付けになっていたものと思われます。
また主人公のツトムが暮らす山荘は、水上が晩年を過ごした長野県東御市と近い、白馬の廃集落の茅葺屋根の古民家を撮影用に再生したもの。畑も開墾したというから、DASH村を作り上げたといってもいいでしょう。かまどや囲炉裏があり、2人が食事をする居間は大きな窓から季節で移り変わる外の景色が見え、その居心地の良さに、自然と役に成りきれたと出演した松たか子も絶賛していました。
もう一つの主役が、料理研究家の土井善晴が作る数々の精進料理です。スタッフが現場の畑で実際に育てた旬の野菜を使った煮ものや胡麻豆腐など、特に湯気の立つタケノコを大きな皿にドンと盛った若竹煮のド迫力には、たまりませんでした。俳優たちの気持ちがそのまま、画面に滲み出ていていたのです。
「土井さんの料理は、味が濃すぎず薄すぎず、出汁が勝ちすぎてもいない。塩梅がちょうどいい。演技じゃなく、誰でもああいう顔になりますよ。おいしいものを食べたい欲求と、ツトムさんに触れたい欲求はきっと同じなんでしょうね」。松たか子でも思わず素になって味わってしまったのでした。
とても良い塩梅の映画だったのです
作家のツトム(沢田研二)は、人里離れた信州の山荘で愛犬と暮らしていました。少年時代を過ごした禅寺で精進料理を学び、それを日々の暮らしに活かしていたのです。
冬は雪を掘り、菰で守られたホウレン草を掘り出し、茹でます。春、夏、秋と土の中から畑で育てた野菜が掘り出され、土を洗う場面が繰り返されます。さらに周囲の山々で採った木の実、キノコ、山菜で料理を作る日々でした。毎日、食材を収穫するツトムの行動が次第に当たり前に思えてきます。タイトル通り、人の営みと大地が近い暮らしぶりでした。
楽しみは、時折、担当編集者で恋人の真知子(松たか子)が東京から訪ねてきて一緒に食べる特別な時間を過ごすこと。
一方で、13年前に亡くなった妻八重子の遺骨を墓に納めることができずにいました。八重子の母のチエ(奈良岡朋子)のもとを訪ねたツトムは、八重子の墓をまだ作っていないことを咎められます。のちにチエは亡くなります。チエの葬儀はツトムの山荘で営まれました。
葬儀が終わり、ツトムは真知子に山荘に住むことを提案します。真知子は考えさせてと応じましたが、この後二人の心境が変化する大きな出来事が起こったのでした。
圧巻はチエの通夜のシーン。予想よりも多くの人が集まり、真知子も東京から駆けつけ葬儀の準備に追われたのです。大勢の参列者に振る舞う料理を2人で捌かなくてはいけませんでした。しかも大雪で仕入れが出来ず、材料は畑の野菜や買い置きのもので凌ぐしかありません。
台所に、ツトムの指示に応える「ハイヨ」という真知子のリズミカルなかけ声が響きます。胡麻豆腐にはじまり、ツトムの手際の良さに圧倒されました。誰かのために生き生きと料理を作るツトムの姿はに思わず見惚れてしまう真知子の表情が印象的でした。
掘り起こした芋の土を丁寧に落とし、皮をむき、包丁で切っていく。ツトムが食材を扱う手つきは、器用ではないけれど丁寧でゆったりしていて、そこはかとなく色気が感じられます。さすが沢田研二!
「ナビイの恋」などの中江裕司監督は、ツトムの手の動きを追いかけ、まるでドキュメンタリーのようにその工程を映し出したのです。
ところで、野菜は土の中で身を太らせ、山菜は降り注ぐ陽光に葉をいっぱいに広げます。旬をいただくということ、そして土を喰らうことは生命の絶頂を摘み取り、身に取り込むことなのです。業の深い行為なのです。そこから念仏ならば、ご恩報謝の感謝の心が自然と湧いてくるものですが、残念ながら幼い頃に禅寺で修行したツトムには、その観点が抜けていていたのでした。
なので人と関係を断てる山里に暮らし、自給自足の仙人のような暮らしから悟りの雰囲気を楽しんでいたのです。それはわたしから見れば、身勝手な野狐禅のように思えました。それが露呈するのが、ツトムが心筋梗塞を起こしてしまったことから。タイミングよく真知子が駆けつけていなかったらツトムは確実に死んでいたことでしょう。当然ツトムは妻の死、そして自分の死とも向き合うことになります。悟りの雰囲気だけ楽しんでいたツトムには、死を受け入れようともがきつつも、生に執着するのです。本来仏教は執着と迷いを立つ教えなのに、ツトムは迷いもがきます。中江監督が生み出した場面が秀逸です。
ここまでネタバレ無し!
【注意:ここから一部ネタバレあり】
そして出した結論は、一人で死ぬまで生きていくこと。その結果、倒れる前には真知子に一緒に住もうとプロポーズしたのに、ツトムの方から別れを切り出すのでした。
いくら真知子に負担を負わせたくないという愛情から出た言葉としても、これまでの真知子の献身に感謝が足りないと思えました。「身勝手ね」と怒りながら立ち去る真知子の悲しみにいたく同情してしまったのです。
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ここからネタバレ無し!
それにしても沢田のツトムは絶品です。老境の作家の枯れた雰囲気が、里山の風景となじんでいた。それでいて真知子と2人きりの場面はほのかに上気した空気を生み出し、心に生まれたさざなみも巧みに伝えてくれました。自身の人生が染み出すような名演たったといえるでしょう。脇を固める奈良岡朋子、火野正平も、人生の達人像を具現化していた演技でした。加えて大友良英のフリージャズが、軽やかに物語に重なりました。
最後に一つ気になることがあります。
前半、カメラは台所と居間を行き来して、寝所は映されません。締め切り間近にふらりと現れる真知子との雑味を抑えるためかと見ていたら、寝所は後半、ツトムの死を意識した棺のように2度、出てきます。これでは真知子はツトムの老いを強調する小道具の感が拭えず、松の生かし方がもったいないと思えました。ふたりの関係が料理を共に喰らうだけでなく、具体的にどんな愛し合う関係だったのか、突っ込みが足りない気がしたのです。