「地味な展開の中、オスカー・アイザックの存在感で語られる戦争の傷」カード・カウンター ニコさんの映画レビュー(感想・評価)
地味な展開の中、オスカー・アイザックの存在感で語られる戦争の傷
タイトルの、ギャンブラーの華やかな話っぽい印象とは違い、イラク戦争に関わった元兵士の複雑な心の闇を淡々と覗き見るような映画で、話の展開は基本的に地味だ。
カードカウンティングのやり方やカードゲームの心構えなどについてごく簡単な説明こそあるものの、ゲームの場面で勝負のゆくえにドキドキするような盛り上がりはない。
父の仇を討つためウィリアムに声をかけてきたカークは、ほぼ彼についてくるだけだ。ウィレム・デフォーは序盤でチラ見せされた後、なかなか出てこない。
戦争に人生を狂わされた男を静かに演じるオスカー・アイザックが、見応えの肝だ。主人公ウィリアムがあのような人間になった背景については映画の中で簡単に説明されてはいるが、ウィリアムのトラウマをより正確に理解するには、もう少し知識を補完して見た方がいいかもしれない。
イラク戦争中に大規模な捕虜虐待が行われていたアブグレイブ刑務所。虐待の様子を撮影した大量の写真や映像が残されており、この事実が報道された当時にその一部が公になっている。非人道的な扱いをされるイラク人捕虜に並んで、満面の笑顔の男女米軍兵士が写っているものも複数あり、刑務所内の雰囲気の異常さがうかがえる(映画の中でも虐待場面の回想はあるが、実際の写真と比べるとインパクトに欠ける。女性兵士が虐待する姿も描写されていたのは、歪んだ忖度がなくて正確だなと思った)。
この事実が明るみに出て、刑務所が閉鎖されたのち、軍法会議では現場の兵士たちのみが有罪とされ実刑を受けた。しかし、彼らの中には刑期満了後インタビューに答えて、FBIとCIAが虐待を奨励していた、写真撮影も命令によって行われたと証言する者もいる。ザ・ニューヨーカー誌は、ラムズフェルド国防長官(当時)の承認があったと報道した。しかし、上層部は誰一人責任を認めないままだ。
そもそもイラク戦争自体、開戦の理由のひとつとされた大量破壊兵器が存在しないなど、大義の崩壊した戦争だ。
信じていた国が示した間違った大義のもとに、人として許されない罪を犯した自分。捕虜虐待をおこなった罪悪感と、共犯とも言える上層部が責任を取らない不条理への怒り、それらの感情から自分が解き放たれることはないという諦念。ウィリアムの強い厭世観は、そういった背景から来ているのだろう。勝負に勝つたびにUSA!を連呼する星条旗柄のUSA野郎は、そんなアメリカへの分かりやすい皮肉だ。
ウィリアムには未来の希望がない。希望を持たないことが自らへの罰なのかもしれない。そんな彼の前に現れた、父の復讐を画策するカークを憎しみの連鎖から救い出すことで、自らの贖罪を果たそうとするが……。
カークを母の元に帰すためとはいえ、終盤でウィリアムがいきなり拷問ばりに彼を脅したのにはちょっと驚いてしまい、カークが何か裏切りでもしたのかと思った。アブグレイブでの出来事によりウィリアムの人間性が歪められたことの表現だろうか。
元の生活に戻る約束で金を受け取り、ウィリアムと別れたカークだが、結局父の仇であるゴードを討ちに行き、殺されてしまう。カークを殺された恨みが新たに重なって、ウィリアムはトーナメントの決勝を放り出し、ゴードの元へ向かう。
これらの場面が物語のクライマックスなのだが、カークの顛末はネットニュースだけでナレ死状態だし、ウィリアムがゴードと対峙する場面は、いよいよアクションかという時に二人が別の部屋に行って画面から消え、なんか痛そうなことをやってる(やられてる?)声だけが聞こえてくるという激渋演出。
私はお子様鑑賞眼なので、せっかくビジュアル的に盛り上がりそうな場面なのに肩透かしに思えて少々がっかりしたのだが、巨匠なりの意図があるのでしょう。
とはいえ、オスカー・アイザックの演技と存在感が物語のテーマを雄弁に語っているので、地味展開でもウィリアムのキャラクターに関する説得力は十分。