「子の心親知らず」ロスト・ドーター 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
子の心親知らず
同じオリヴィア・コールマン出演の『ファーザー』は認知症をサスペンスを絡めて描いたが、本作は子育てをサスペンスを絡めて描いた作品のように感じた。
無論、ただのそれだけではない。主人公の中年女性の暗く深い心と過去へ踏み込んでいく…。
そもそも、子供どころか結婚すらしていない私があれこれ言える資格は無い。
それでも私が現時点で独身のままでいいと思っているのは、子育てが如何に大変な事か少なからず分かっているからだ。
誰かを養い、子供を育てる。一生ものの責任だ。
そんな責任、私なんぞとてもとても背負えない。今の生活でさえやっとと言うのに…。
もし私と一緒になり、私の元に産まれたら、一生苦労をかけてしまうかもしれない。
それが怖い。
映画ではよくある。人は家族の為なら…。
それを成し遂げた人も居れば、成し遂げられなかった人も…。理想的な美辞麗句でもある。
実際にそういう身になってみなければ分からないかもしれない。
単なる逃げ、度胸ナシ、情けないと言われてもいい。
想像を絶するほどの覚悟が必要なのだから。
私は弱いのだ。
主人公のレダは若くして結婚し、娘を二人産んだ。
教授で社会的キャリアがあり、今は一人暮らしのようで、娘たちも巣立ち、海辺の町でバカンス。
何と素敵な人生と余生。このバカンスは一人の女性として、妻として母として頑張ってきた自分へのご褒美。
…にはならなかった。
ある若い母親と幼い娘を見掛け、自分の過去…特に母親としての自分を思い返す。
それは温かく、愛と幸せに満ち溢れたものではなく…。
レダは自分でも分かっている。
母親失格。
母親としての責任を全う出来なかったのだ。
その後悔は今思い返すだけで、自分自身を押し潰す。
別に娘たちに愛情が無かった訳ではない。寧ろ、娘たちを愛している。
笑い合い、幸せを感じた時も。
が、若くして母親になった事が怖かった。それがどれほど責任があり、覚悟を要するか、若い自分はその時まで分からなかったのだ。
昔、知人が言っていた。子供は怪獣。全く予測不能の行動や考え、反応を起こす。
それが全て愛おしいとは限らない。駄々、わがまま、迷惑ごとが次から次と。
注意しても時には聞かない。
苛々してくる。ストレスが溜まる。
嫌になってくる。
ついキツく当たる。顔も見たくなくなるほど。
怒りが頂点に達し、遂には手が出てしまう…。
レダは何もDV母親ではない。自分が未熟な母親なだけ。
娘たちを愛しているからこそ、辛いのだ。苦しいのだ。
そうなると、“逃げ”が欲しくなる。
子育ての傍ら、文学の論文を書き、キャリアウーマンとして社会に出たい欲求もあった。
ある時、家庭も娘たちも捨て、キャリアを優先させた事があった。
夫以外の男性と関係も持った。
が、暫くして戻ってきた。
自分自身を優先させた暫くの生き方は、望み通り満ち足りたものだったのか…?
若い母親ニーナと話し合える仲となり、その時の気持ちを述べる。
「最高だった」
が、その目には…。
本音はこうだろう。
最高で、最低だった。
ニーナも今、母親として行き詰まっている。
娘との向き合い、夫との関係…。
今にも癇癪を起こしそう。
レダはそんなニーナに自分を重ねた。昔の自分を見ているよう。
若い母親としてニーナが母親の“先輩”のレダを頼りにしたのは無理もない。今近くに、分かってくれる人はいない。
が、ニーナは知らなかったのだ。レダが自分自身を、母親失格と責め続けている事を。
似て非なるレダとニーナ。
レダは途中で折れてしまったが、ニーナは折れなかった。
子育てに苦悩しながらも、娘優先。“人形”の事だって。探し続ける。
その“人形”の件でレダが取った行動は理解に苦しむ。
自分で言う。愛情が無い、と。
それほど悔恨し、追い詰められていた不安定な精神。
共感は出来ないが、本当の事を打ち明けられたニーナの取った行動は戦慄もので、それを受けたレダは哀れ。
開幕から立ち込めていた不穏な雰囲気は途切れる事なく、トラウマ級の鬱気分にさせられる。
『PASSING 白い黒人』同様、女性たちの才の輝きに魅せられる。
オリヴィア・コールマンには文句やケチを何一つ付けられない。台詞より表情や佇まいで苦悩・葛藤を感じさせる。オスカーを受賞した『女王陛下のお気に入り』より名演。混戦の今年のアカデミー主演女優、ダークホースだ。
若き日のレダを演じたジェシー・バックリーも名演。パッと見コールマンに似てないが、そこは演技力で雰囲気を似せる。また、コールマンは抑えた演技だったのに対し、バックリーは感情を露にしたり、喜怒哀楽激しい複雑な内面を熱演。オスカーノミネートはサプライズと言われたが、妥当だ。
奇しくも遅咲きのコールマンとバックリー。その培われた実力を存分に発揮。
ダコタ・ジョンソンもキャリアベストの演技。SMラブストーリーのイメージから脱却し、大きな飛躍。
『PASSING~』のレベッカ・ホールは監督デビュー作で非凡な才能を魅せたが、本作もそう。女優マギー・ギレンホールの監督デビュー作。
彼女も初監督作でいきなり難しい題材に挑戦。
一人の中年女性の心奥深くに踏み込む。母とは…?
濃密な人間ドラマと不穏なサスペンスの雰囲気を巧みに融合。引き込まれる。
脚本も手掛けた語り口、映像や音楽のセンス。
これら全てを纏め上げた手腕は、一俳優の監督デビュー作とは思えないほど素晴らしく、圧巻。
サスペンスフルな開幕シーン。それはラストシーンに直結。何が彼女に起きたのか…?
ラストシーンがまた印象的だった。
レダが掛けた電話の相手は娘たち。
てっきり娘たちとは疎遠だと思っていた。
が、電話からの娘たちの声は明るい。特別母親の事を恨んでおらず、気にしてないよう。
心に凝りを抱え、独り苦しみ続けていたのはレダだけだったのかもしれない。
最後の最後に心解されたか、それともさらに自責を感じたか。
日本のある諺が思い浮かんだ。
言葉を入れ換えて、レビュータイトルに冠した。