あのことのレビュー・感想・評価
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望まない妊娠は救済されるべきか?
本年度のノーベル文学賞を受賞したアニー・エルノーが、自らの体験を基に書いた小説『事件』を原作とする映画。中絶が法律により禁じられていた1960年代のフランスを舞台に、望まぬ妊娠をしてしまった女子大生が送る先の見えない日々を描いた作品だ。
原作でもかなりショッキングな場面が多々あり、映画は見送ろうかなと思っていたが、いやあ観てよかった。
女性のみが妊娠できるという当たり前の事実が、ある人達にとっては陥穽となること、中絶という最後の選択肢を取り上げられてしまった残酷さ、男という生き物のどうしようもない愚かさがこれでもかと晒される。
アメリカでは中絶問題でまた国が真っ二つに割れ、中絶は認められているものの薬物は禁止という我が国のような例もあり、なかなか一筋縄ではいかないようだ。
ホラーよりもよっぽどこわいシーンもあり万人には薦めないが、観て、感じて、考えてほしい映画だった。
痛いほどに女性目線が伝わってくる
ベネチア国際映画祭の金獅子賞を獲ったとのことで鑑賞。
終始、主人公のアンヌ目線で生活と苦悩を追っていく。
女子寮での生活、産婦人科などなど普段は描かないシーンが多く、
男性の自分にとっては最初から最後まで、本当に新鮮であり、刺激的であり、また疲れる映画であった。
自分の命を賭してまで自分の人生を生きるのだという意思、そしてそれをゆるなさい男性中心の社会を主人公目線を貫くことで鮮烈に描いていた。
比較的きれいな画、町並みが多く、「中絶が違法だった時代」ということぐらいで、
途中まで1960年くらいという設定がわからず、そこは少し違和感を感じたものの、
ただ、現代のものと見間違うくらい、どこか現代の問題とリンクしている感覚はあった。
日本では到底このような作品は表現できないと感じた。
女性側から見た女性の現実
男は辛いし、デートで鑑賞も辛い。こんな映画が商業的に受け入れられる時代になりました。主婦マリーとかフランス映画はこの話題随分昔から掘り下げ続けてますねー。(米も「17歳の瞳」とかあるか)
それでイオネスコさんですか。昔からあんまり変わってない気がするです。ルアナは「燃ゆる」でデジャブですね。個人的にはpartager du chewing-gumが壺
映画化は成功している。
今年のノーベル文学賞授賞作家が原作者。
中絶天国である日本では、ちょっと想像出来ない映画だ。もちろん、戦前の日本には刑法に堕胎罪があり、中絶手術が禁止されていたと思う。
戦後、廃虚となった敗戦国日本から復興する際の経済状況により、中絶が認められたと推測する。亡くなった母から食糧難は戦中より戦後が酷かったと聞いている。
予期せぬ妊娠をしてしまった主人公の意思の固い事に先ず驚く。当初から出産を拒否し、流産・中絶を選択する不安と苦悩がよく描かれていている。成功作品だ。私の好みではないけれど、鑑賞の価値はある。
Pain
意図せぬ妊娠という点では4月に公開された「TITANE」が見比べる作品になりました。あちらに比べるとエンタメには昇華できてなかったなという印象を持ちしました。
女性が感じる出産の痛さは映像を通してグロテスクな感じもあいまり直視するのも厳しいくらいのものが体感できました。語り文句の「彼女を体験する」は事実だったんだなと思いました。
ただ、それ以外が個人的に面白いと言えるまではいかず、少し身勝手だなと思ってしまう場面が多かったのが事実です。出産するのではなく、子供を堕ろすことを先に考えている割には行動が鈍く、そしてそこまで焦っていないように見えたのが要因だと思います。このテーマにそこまで精通していないというのも大きいとは思いますが。
刺さる人にはとことん刺さるんだろうなという作品でした。う〜ん金獅子賞との相性はイマイチかもしれないです。
鑑賞日 12/7
鑑賞時間 18:40〜20:30
座席 C-3
女性は強し
原題:L'evenement(エヴェヌマン)英題:Happening
訳:事件・出来事なので
「あの事」が正解か。
ずっと「あの子と」と思っていた。
作家アニーエルノーの実体験を元にした小説を原作とする。
フランスの歴史(ヴィシー政権あたり)を把握しておくと理解が深まる。
ナチスに屈服したヴィシー政権下、第1次大戦敗北の原因が「子どもと武器が少なすぎた」として、出生率向上を掲げ、堕胎施術常習者を「国家に対する殺人者」として死刑にできるよう法律を改悪した。
実際、1943年に普通の主婦だったマリー・ルイーズ・ジローがギロチンにて処刑されている。(この人を題材にした映画もある)
1975年に中絶が合法化する流れができるまで、何十年も中絶禁止の社会が存在し続けた。
このような世相の1963年がこの物語の舞台である。
が、主人公は普通に男遊びもしており、割としたたかである。
あらすじ以上の事はない。悪くもないけれど。一つ素晴らしい点は、フレ...
あらすじ以上の事はない。悪くもないけれど。一つ素晴らしい点は、フレームサイズをスタンダード(1:1.6)にしたこと。この演出は文句無しに良い判断。
生まれた時代が悪いのか、それとも何が悪いのか
恋愛はしたいが子供は作りたくない(いや、作ってはいけない)、ならば避妊はきちんとね。
鶏が先か卵が先かみたいな議論になるかもしれないけれど。
昭和の日本でも古い貞操観念や道ならぬ恋の末、水に入ったり高い所から飛び降りたり、子供を流してしまおうとする行為は見かけられたはずですが、フランスも同様だったのですね。
作品を通してずっと感じたのは主人公の過剰な自己中心さ。
周囲への当たりが強過ぎで、それが痛々しさに拍車をかけたような気がしました。
まあ、本人が学業成就を願っているので子供は厄介な存在だったのでしょうが、12週間、一度も子供の命に想いが至らず、ただただ何とかして堕したいとしか思わなかったのでしょうか。
彼女が20年、30年先に自身を振り返った時に、
自ら授かった生命を望まないからと、その生命に寄り添わず絶ってしまったことをどのように考えるのだろうと、悲しい気持ちを抱えたままスクリーンを後にしました。
痛い
男性の私が、ここで何かを言うことにも、また何も言わないことにも抵抗を感じてしまう。そのくらい単純に善悪や道徳不道徳の話として整理できない話だよなぁ、と思いつつ、それでも男性としては、どうしても居心地の悪さというか、バツの悪さというか、そんな居たたまれない気持ちを抱きながら観ることになった。
語弊があるかも知れないが、この作品が「ずるい」のは、決して主人公が一片の落ち度もない完全たる被害者かというとそうではないところ。
むしろ身勝手ささえ垣間見える一人の若い女学生。綺麗事ではない、だからこその切実さがある。
どうしてもこういう話は「自業自得」とか「自己責任」という理屈で片付けようとする勢力がある一方で、目の前の欲望が「過ちである」と知りつつ流されてしまうなんてことは多くの人が経験しているはず。
でも、こと「あのこと」に関しては、その肉体的・社会的リスクを当事者の男女二人の内、女性だけが被ることの不合理について、妊娠を望む望まないに関わらず、この作品が描く時代から60年経った現代も変わらず存在し続けている。
この物語は「どうしたら犯罪者になることなく堕胎するか」を通して「中絶を犯罪とするという社会的暴力」への視点で話が進んでいくが、その裏側には「(60年経った今でも)年齢に関わらず、子供を産み育てながらも自己実現が可能な社会がなぜ作られないのか」という皮肉も込められている。
妊娠を打ち明けられた友人男性が、むしろ自らの性的好奇心や欲求を露にしてしまうクダリなんか、恥を承知で言うなら、私が「少なからず好意を持っている女性に対して、お前は絶対にそんな気持ちを抱かないのか」と言われたら返す言葉が見当たらない。
苦しみ続ける主人公の心と身体、そして自分の下劣な人間性にも向き合わされる、本当に心と身体に「痛い」映画だった。
追伸:個人的には結構な「食欲減退ムービー」だと思うので、観賞直後のお食事の予定などは避けられるのがオススメです。
女性のリスクを体験する
望まぬ妊娠をしてしまった女性の視線で、流産するために苦闘する状況を疑似体験させるという内容で。
(作品のベクトルは全然違うけど『1917 命をかけた伝令』なんかを思い出したりして)
ちょっとしたホラー並みのシーンがいくつかあって怖かった。
つくづく、(男女とも)快楽や雰囲気に流される思慮のなさの愚かさと。
妊娠というのは女性の命と未来の可能性を危険にさらすことであると、特に男性は認識したほうがいいと思わせてくれました。
あと、理性的な人間でも、追い詰められると焦りに加えて、ホルモンバランスの崩れなどで感情に支配され、正常な判断が出来なくなる。
そんな主人公を、アナマリアさんが見事に演じていてすごかった。
フィクションとは言え痛過ぎます。。 エンタメ映画ではないですが、高...
フィクションとは言え痛過ぎます。。
エンタメ映画ではないですが、高校生男子には教育映画として見せたいですね。
中絶が違法な時代が有ったとは知りませんでした。
「避妊はしたくないけど子供は欲しくない」なんて言っていた芸人よ
ウーマンラッシュアワーの村本大輔、お前だよ、お前にこそ見せたいよ。
この主人公の背負う苦しみ、痛み、焦り、絶望。
男は簡単だよ。射精して気持ちよくなってそれで終わり。
セックスするのは簡単だが妊娠したら中絶するにしても出産するにしても莫大な負担を背負うのは女性だけという非対称さ。出産なんて全治4か月だし最悪死ぬ。子供を育てるのはそこからがスタートだ。望んでも心身経済ともに苦しいことがある子育てなのに、望まなかった子を育てるのがどれだけ女性を苦しめるのか想像に難くない。
いまだに子供ができてキャリアが途絶えるのは女性ばかり。「男性は産休育休とるから採用しにくい」なんて言われない、女性は言われる。妊娠してなくても彼氏がいなくても独身でも言われる。
ここ最近も米国で中絶禁止になる州が相次いでいる。レイプされて妊娠しても中絶ができなかったり、日本でも中絶に相手の男性の同意が求められる。自分の体のことなのに自分で決められない。女性の権利はいつも危機に瀕している。
男性にこそ見るべき映画だ。
フランス映画祭でも上映された作品だが意外と男性客が多かったのが救いか。
正直、凄まじすぎて、きっつい内容に─
ありがちな、できちゃった話。それがこれまで以上に強烈でグロく、しかも男女の差というのも強烈に感じさせる、相当深い作品だったように思います。
正直、キツすぎて、何度歯を食いしばって手を握りしめたことか─。内容もさることながら、この女優、スゴすぎます。本当に演じているのか、本当に快楽や苦痛を与えられているのか・・・本当だったらやばいんですが、演じているだったらスゲぇと感嘆するしかありません。
決して見ていて気持ちの良い作品ではありませんが、見る価値はあるかと─。
若き日の過ち
2022年度ノーベル文学賞を受賞したフランス人作家
『アニー・エルノー』の小説〔事件〕を基にした、と
エンドロールで触れられる。
劇中の主人公は1940年の生まれとの設定で、
作家本人も同年生まれなことから、
おそらくは自身の若き日の実体験をもとに綴った
半自伝的作品であろうと察しは付く。
望まぬ妊娠をした若い大学生が
中絶をするための孤軍奮闘。
1960年代初頭のフランスは
人工妊娠中絶が違法とされていた時代。
ありがちな他のケースと同様、
主人公の『アンヌ(アナマリア・ヴァルトロメイ)』は文献を調べ、
独力で対処しようとするが、どれも有効には機能しない。
こんな時に相手の男性は頼りに成らぬのが世の常。
また、女子寮の親友達も、罪に問われる可能性を恐れ、
積極的には助力しようとはせず。
あまつさえ、妊娠の心配がないことを
都合よく利用しようとする輩も現れ・・・・。
もっとも彼は、
それなりの対価を払ってはくれるのだが。
直近のアメリカでの上・下院の中間選挙で争点の一つとなったほど、
人工妊娠中絶については今でも、各国で大きな論争の的。
とりわけ西洋の国々ではキリスト教的倫理観が絡んで来るので、
更に旗幟が鮮明になりがちな傾向。
〔17歳の瞳に映る世界(2020年)〕でも
同様のテーマが扱われ、
これはたまさか米国が舞台も、
二人の少女は親に知られることを恐れ、
また、自分達が済んでいる州は人工妊娠中絶が非合法なことから
認められている州迄移動し、処置を望む。
その経緯で、大人たちの搾取に合うのも
やはり同様の流れ。
古くからある、明快な是非を付け難い命題も、
少なくとも選択権お保証や
不当な行為が横行する可能性だけは排除すべきなのだろう。
とは言え本作での『アンヌ』の姿はあまりに痛々しく、
観ていて胃の腑をぎゅっと掴まれるような寒々しさを覚えるのも
また他方面の事実。
時代とは言え、女性が自身の道を選択するためには、
これほどの代償を支払わねばならぬのか、との。
他の方が書かれていないことを中心に&字幕の説明不足など
今年352本目(合計627本目/今月(2022年12月度)5本目)。
まず、この映画ですが、映倫のサイトを確認しましたが「R15」で正しいです(および、鑑賞したシアタス心斎橋でもR15扱いされている)。このサイトの表記漏れと思います。
さて、こちらの映画です。
一個人の行政書士合格者レベルの考え方と道徳観での見方です。
映画の内容そのものに関しては他の方が多く書かれている通りで他言を要さないし、それを同じこと書いても仕方がないのでそれはカットします。
確かに主人公のとった行動が許されないとかみっともないとか、そういう考え方はあろうかと思うし、その考え方も理解はできるし否定はしません。
ただ個人的には、「そこまで非難される案件か」というとそのようには考えられないというのが個人の見方です。なぜなら、「単純堕胎罪」(この映画で描かれているもの。便宜上、日本の名称。以下断らない限り同じ)は、その性質上、「望まない妊娠」で起きることはもちろんの通り、その性質上、「若者の軽はずみな行動で起きて、起してしまう」罪になるからです。また、女性「のみ」が客体(罪に問われる対象のこと)となるため、あまり厳密に罰すると男女同権の考え方では問題になってしまうこと、また、その性格上「道徳上おかれている類型」であるにすぎません(ほか、日本では同じような「道徳上おかれている罪」としては、礼拝所不敬罪など数個あげられます)。また、時代の背景上、国(ここでは、フランス)の宗教との考え方がどうしても干渉していたという考え方も可能です。
さらに進めると、「望まない妊娠か、若者の軽はずみな行動で起きた妊娠」に対して刑法(に相当するもの。以下同じ)で威嚇するのみで、国(行政)の保護(援助)制度がないか、少ないか(この映画の当時の時代のフランスなので、今ほどではないのでしょう)という中では、逆に「刑法で威嚇して、出産した直後にあやめてしまう」パターン、つまり、保護責任者遺棄致死等との比較考慮も論点になってきます。結局「母体にいる胎児」か、「生まれてきた(望んでいないない)子」をあやめるかという論点で、そこは日本でも「基本的には」よほどの事情がない限り後者のほうが非難程度は高い問題です。
しかも日本をはじめとして現在/当時のフランスその他でも、「刑法にも存在したし罪にも問われる」が、基本的には「道徳を乱す類型」として刑そのものが軽かった事情として、フランスでは「宗教の力が強かった」上に、さらに、「望まないか、若者の軽はずみな行動で起きた事情である」こと、さらに、このように「妊娠にいたった理由がよくわからない」事情で起きる出産はその性質上、「何らかの肉体的な問題を持った子」(表現をぼかしています)が起きる確率が高いことは明確に言うことができ、結局、「単純堕胎罪を厳格に適用して威嚇すること」と、「(そうした罪を明確に問わないことで結果的に起きる)福祉行政の充実のさせ方」(もちろん、当時のフランスなので十分ではなかったのは推知可能)との比較論になるため、いかんともしがたい論点もあります。
結局のところ長文になってしまうものの、上記のような論点があるため、「当時のフランスの福祉行政その他の水準で、明確な「被害者」がいるものでもない単純堕胎をどこまで問うのか」という複雑な議論(道徳や宗教論が入ってくる)になり、映画はその一つの考え方を示したに過ぎない、というのが個人の見方です。
…とはいえ、この映画、このような論点があることは明確なものの、実は変な減点材料もあったりします。ただ「フランス映画あるある」な「フランス映画でよくある、趣旨がよくわからない突如登場するマニアック過ぎるセリフ」の類で、すべて減点対象は下記の通りでそれほど大きくありません(補足は入れてます)。
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(減点0.3/一部のセリフが理解しがたい)
・ 「動詞の直説法現在の活用は言える?」→それぞれの動詞の活用を暗唱している部分
→ この映画でこれが出てくる(主人公は文学部の大学生の子)というのがとにかくわかりにくいです。「直説法」というのが日本の中高の英語では意識されないからです。要は平たくいえば「仮定表現(英語では、仮定法)など、特殊な表現以外の一般的な表現」、もっとわかりやすく言えば「中学2年までのすべての英語の表現」といった方がわかりやすいです。
ただ、日本で一般的に外国語として習う英語では、「法の概念」(ここでは、直説法、仮定法、接続法…等)が薄く、したがって「動詞の活用」という考え方もほぼ存在しない(基本的に、三人称単数に-sをつけるといった簡単なルールしか存在しない)ため、「主語ごとの動詞の活用」(1人称~3人称に、その単数複数で、合計6パターン存在する)という考え方が「存在しない」ためです(フランス語、スペイン語その他では普通に存在します)。
・ 「与格や主格が…」という部分(大学のセミナーの部分)
→ 英語ではこのような表現をしないのでわかりにくいですが、与格や主格などがある言語もあります(映画では特定できないが、わかりやすいのはドイツ語。ほか、ロシア語、ラテン語など)。
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すっげぇものを観せられた気がする。“あの”映像は一生目の裏に焼き付いて離れないだろう。もう一度観たいと思わないだろうけど、死ぬまで(あと20~30年位?)忘れられないと思う映画。
①終始一貫してアンヌの視点で語られるので、正直最初の四分の一ほどは少々かったるい。この歳になると女子大生の日常などには興味がない。それで⭐半分だけ減点。
しかし、時が進みアンヌも焦りだして決断・実行を迫られるようになってからは俄然スクリーンから目が離せなくなる。
②この映画は決してアンヌを非難し弾劾するのが本意な映画ではない。
中絶が犯罪だった1960年代のフランスでうっかり妊娠し挙げ句コッソリと中絶した女子大生の話に過ぎなければ、“今度からもうちょっと気いつけや”で終わる話だし。男にとってはそうでも女性にとってはそうではないだろうけども(考えてみれば重荷を背負わされるのは女性だけ、というのもジェンダーレスの現代から見れば不公平な話だ。)
③なのに、ああそれなのに、それなのに、男なのに、女性の生理もわからんのに、あまりの臨場感に、だんだんアンヌの後悔・絶望・誰かに助けて欲しいという渇望・勉強も手につかない焦り・何とかしなきゃという気持ち、そして決断、実行に対する不安・恐れにまるで自分のことのように同化していく。
そして、それと同時に、自分にも若いときに私生活や仕事で軽はずみな言動や行動、考えなしの言動や行動でドツボに落ち込んだり、にっちもさっちも行かなくなって、自分だけで或いは誰かに助けられて苦境を脱したことが同時に脳裏にフラッシュバックする。
そういう意味では人間が人生のどこかで遭遇し経験したことを共有できるユニバーサルな映画体験とも言えるだろう。
④堕胎が良い悪いという問題提起型映画でも、堕胎が犯罪だという法が正しいのかどうかを問う社会派映画でもない。もちろん映画を見終わった後でこの問題について考えたり誰かと議論するのは構わないけれど。
これはあくまで、原因はどうであれ人生における二者択一を迫られて今現在の自分の人生で大事だと思う方を選ばざるを得なかった人間の話。自分で選んだ道だから後悔はないだろうけど恐らくアンヌにとっては後々の人生でも忘れられない出来事だっだろう(だから原作者も自伝的小説にしたのだろうから)。
⑤命の重みという問題ももちろん出てくるだろうけれども、個人的には人の命と動物の命と植物の命と、命の重みにどう違いがあるの?という考え方の持ち主なので、ここではこれぐらいにとどめておきます。
⑥あそこまで突っ込んだ映像表現が出来たのも女性監督ゆえだろう。
トイレでの、降りてきた胎児(の形にもなっていないのかな?)を映したところは殆ど正視出来なかった。アンヌもすぐ目をそらしたので、あれ以上見なくて済んだが。へその緒をアンヌが自分で切れなくて友人に切って貰うところでは、切らされた友人も災難だなと気の毒になったけれど。
ニュースで時々報じられる一人で堕したり産んだりする女性は、あれを一人で行うわけで、ホント女性は大変というかスゴいなぁ、というのが正直な感想。
⑦アンヌの母親役がサンドリーヌ・ボネールだと後で知りました。映画では分からなかった。
モグリの堕胎医(というのかな)を演じたオバチャンは最初あまりに声が低くて男かと思ったくらい。若い時はシャネルのミューズに選ばれたくらいの人だったらしく、やはりここでも女性ってスゴいわ、と思わされる。
⑧アメリカで再び人工妊娠中絶(堕胎)の禁止が叫ばれるようになっている現在、結局罰せられるのは女性だけというこの問題、男としてもっと感心を持たなくてはいけないな、と少し思わされた。
先週アマプラで「Swallow スワロウ」、今日はオデレイ・ディワ...
先週アマプラで「Swallow スワロウ」、今日はオデレイ・ディワン「あのこと」を観る。望まない妊娠をした主人公の壮絶な闘い。観ることを躊躇していたけど、やはり観るべきだよなと。むしろ男性が観ないといけない映画だったが、尚且つ普遍的な人権について描かれたいた。トランプ共和党の影響でアメリカが逆行してしまった現在、最重要な作品。ただ本当にヘヴィなので無理はしないで
中絶が禁止されていた当時のフランスを舞台に描かれる非常にスリリングでサスペンスフルな作品
個人的に優れたストーリーには優れた制約とタイムリミットが設定されてると思ってるんですが、その点で言うとこの「あのこと」はそのどちらも兼ね備えてる作品だと思いました。
まず制約に関しては当時のフランスにおいて中絶が禁止されていたという点、そしてタイムリミットに関しては中絶が出来る期間が限られているという点が、この作品のスリリングでサスペンスフルな雰囲気を作り上げていたように感じます。
ただ中絶という非常にセンシティブなテーマだったので見ていてとても複雑でした。
女性の人生という観点から言えばたしかに中絶という選択肢を奪うべきではないと思いますが、ただ生まれてくるはずの子供の権利はどうなんだろうって思ってしまいました。
最初から選択権すら与えられることなく堕胎をさせられてしまう胎児のことを考えると、やはり妊娠を望んでいないのであれば主人公はもう少し考えて行動をしなければいけなかったように感じました。
あとまさかあそこまでガッツリ中絶のシーンを描くと思ってなかったのでかなり衝撃的でした。
生々しい
175本目。
朝イチ観るにしは重い、いや時間は関係ないか。
生々しさ、痛々しさで、時折薄目。
当時の難しさがあるんだろうけど、やっぱ女性にとっては閉鎖的な時代だったんだなと。
だからと言って彼女の行動を責めれば、だから
男はと言われてしまう。
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