あのことのレビュー・感想・評価
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女性に選択させなかった時代
原作を読んでいたので、衝撃的とは言えなかったが、原作の世界観をよく表した俳優たちは力演している。1960年代は、フランスだけでなく同じカトリック国のイタリアなども同様に女性に選択させなかった、ひどい時代である。この後にフェミニズム運動が高揚するのも分かる。日本の場合は戦後早々と経済的理由の中絶を認めたのだが、ピル解禁は遅かった。いずれにしても、女に選択させなかったのである。昔のフランスの大学の文学の授業風景も何か日本と違って面白い。意外にスパルタなんだなと。
凄まじい鑑賞体験
フランスで中絶が違法とされた時代、様々な障壁にぶつかりながらも、主体的に人生を選び取ろうと、もがき苦しみ、最後は命を懸けて自由を勝ち取る女子大生の話。
女性の欲望を、否定も隠しもせず、自然にあるものとして描いている。
少し前にマツコが言っていた、「人は「性」からは逃れられないし、それに対してどう距離を取るのか、眼差すのかがその人の人格形成に大いに影響している」という言葉を、見ている間ずっと考えていた。その意味では、主人公は主体的に性を選ぼうとするし、自分からバーに出掛け、セックスもする。
そこで受ける、男たちからの性的眼差しや偏見の渦、(当時の時代性もあるだろうが)絵に描いたような無理解。
「性」はいくら剥ぎ取ろうとしても脱げない仮面であり、引き剥がそうとしてはこびり着いて執着して回る、脅迫観念のようなものである。
この映画で印象的なのは、音と息づかいである。決定的な場面こそ見せないが、主人公視点からの苦しい表情や痛みに悶え苦しむ声、押し殺しながらも耐え切れずに漏れる息づかいで、観客を深い深い身体の海に引き摺り込む。
最後に、ある場所で静寂を破るように、静かに、確かに響く、ある音。そこで観客の緊張に決着が着き、一瞬、終止符が打たれる。からの、ブレながら何が起こったか見せようとするカメラワークと主人公の一言で、それまで緊張を続けてきた観客の鼓動の速さにドライブがかかる。あー、これはまだ終わりではない。
最後も、晴れてよかったでは終わらない苦さが残る。苦さというより、非常にひりついた痛みである。
凄まじい鑑賞体験。覚悟が出来れば、ぜひ劇場で見て欲しい作品。
望まない妊娠は救済されるべきか?
本年度のノーベル文学賞を受賞したアニー・エルノーが、自らの体験を基に書いた小説『事件』を原作とする映画。中絶が法律により禁じられていた1960年代のフランスを舞台に、望まぬ妊娠をしてしまった女子大生が送る先の見えない日々を描いた作品だ。
原作でもかなりショッキングな場面が多々あり、映画は見送ろうかなと思っていたが、いやあ観てよかった。
女性のみが妊娠できるという当たり前の事実が、ある人達にとっては陥穽となること、中絶という最後の選択肢を取り上げられてしまった残酷さ、男という生き物のどうしようもない愚かさがこれでもかと晒される。
アメリカでは中絶問題でまた国が真っ二つに割れ、中絶は認められているものの薬物は禁止という我が国のような例もあり、なかなか一筋縄ではいかないようだ。
ホラーよりもよっぽどこわいシーンもあり万人には薦めないが、観て、感じて、考えてほしい映画だった。
痛いほどに女性目線が伝わってくる
ベネチア国際映画祭の金獅子賞を獲ったとのことで鑑賞。
終始、主人公のアンヌ目線で生活と苦悩を追っていく。
女子寮での生活、産婦人科などなど普段は描かないシーンが多く、
男性の自分にとっては最初から最後まで、本当に新鮮であり、刺激的であり、また疲れる映画であった。
自分の命を賭してまで自分の人生を生きるのだという意思、そしてそれをゆるなさい男性中心の社会を主人公目線を貫くことで鮮烈に描いていた。
比較的きれいな画、町並みが多く、「中絶が違法だった時代」ということぐらいで、
途中まで1960年くらいという設定がわからず、そこは少し違和感を感じたものの、
ただ、現代のものと見間違うくらい、どこか現代の問題とリンクしている感覚はあった。
日本では到底このような作品は表現できないと感じた。
女性側から見た女性の現実
映画化は成功している。
Pain
意図せぬ妊娠という点では4月に公開された「TITANE」が見比べる作品になりました。あちらに比べるとエンタメには昇華できてなかったなという印象を持ちしました。
女性が感じる出産の痛さは映像を通してグロテスクな感じもあいまり直視するのも厳しいくらいのものが体感できました。語り文句の「彼女を体験する」は事実だったんだなと思いました。
ただ、それ以外が個人的に面白いと言えるまではいかず、少し身勝手だなと思ってしまう場面が多かったのが事実です。出産するのではなく、子供を堕ろすことを先に考えている割には行動が鈍く、そしてそこまで焦っていないように見えたのが要因だと思います。このテーマにそこまで精通していないというのも大きいとは思いますが。
刺さる人にはとことん刺さるんだろうなという作品でした。う〜ん金獅子賞との相性はイマイチかもしれないです。
鑑賞日 12/7
鑑賞時間 18:40〜20:30
座席 C-3
女性は強し
原題:L'evenement(エヴェヌマン)英題:Happening
訳:事件・出来事なので
「あの事」が正解か。
ずっと「あの子と」と思っていた。
作家アニーエルノーの実体験を元にした小説を原作とする。
フランスの歴史(ヴィシー政権あたり)を把握しておくと理解が深まる。
ナチスに屈服したヴィシー政権下、第1次大戦敗北の原因が「子どもと武器が少なすぎた」として、出生率向上を掲げ、堕胎施術常習者を「国家に対する殺人者」として死刑にできるよう法律を改悪した。
実際、1943年に普通の主婦だったマリー・ルイーズ・ジローがギロチンにて処刑されている。(この人を題材にした映画もある)
1975年に中絶が合法化する流れができるまで、何十年も中絶禁止の社会が存在し続けた。
このような世相の1963年がこの物語の舞台である。
が、主人公は普通に男遊びもしており、割としたたかである。
生まれた時代が悪いのか、それとも何が悪いのか
恋愛はしたいが子供は作りたくない(いや、作ってはいけない)、ならば避妊はきちんとね。
鶏が先か卵が先かみたいな議論になるかもしれないけれど。
昭和の日本でも古い貞操観念や道ならぬ恋の末、水に入ったり高い所から飛び降りたり、子供を流してしまおうとする行為は見かけられたはずですが、フランスも同様だったのですね。
作品を通してずっと感じたのは主人公の過剰な自己中心さ。
周囲への当たりが強過ぎで、それが痛々しさに拍車をかけたような気がしました。
まあ、本人が学業成就を願っているので子供は厄介な存在だったのでしょうが、12週間、一度も子供の命に想いが至らず、ただただ何とかして堕したいとしか思わなかったのでしょうか。
彼女が20年、30年先に自身を振り返った時に、
自ら授かった生命を望まないからと、その生命に寄り添わず絶ってしまったことをどのように考えるのだろうと、悲しい気持ちを抱えたままスクリーンを後にしました。
痛い
男性の私が、ここで何かを言うことにも、また何も言わないことにも抵抗を感じてしまう。そのくらい単純に善悪や道徳不道徳の話として整理できない話だよなぁ、と思いつつ、それでも男性としては、どうしても居心地の悪さというか、バツの悪さというか、そんな居たたまれない気持ちを抱きながら観ることになった。
語弊があるかも知れないが、この作品が「ずるい」のは、決して主人公が一片の落ち度もない完全たる被害者かというとそうではないところ。
むしろ身勝手ささえ垣間見える一人の若い女学生。綺麗事ではない、だからこその切実さがある。
どうしてもこういう話は「自業自得」とか「自己責任」という理屈で片付けようとする勢力がある一方で、目の前の欲望が「過ちである」と知りつつ流されてしまうなんてことは多くの人が経験しているはず。
でも、こと「あのこと」に関しては、その肉体的・社会的リスクを当事者の男女二人の内、女性だけが被ることの不合理について、妊娠を望む望まないに関わらず、この作品が描く時代から60年経った現代も変わらず存在し続けている。
この物語は「どうしたら犯罪者になることなく堕胎するか」を通して「中絶を犯罪とするという社会的暴力」への視点で話が進んでいくが、その裏側には「(60年経った今でも)年齢に関わらず、子供を産み育てながらも自己実現が可能な社会がなぜ作られないのか」という皮肉も込められている。
妊娠を打ち明けられた友人男性が、むしろ自らの性的好奇心や欲求を露にしてしまうクダリなんか、恥を承知で言うなら、私が「少なからず好意を持っている女性に対して、お前は絶対にそんな気持ちを抱かないのか」と言われたら返す言葉が見当たらない。
苦しみ続ける主人公の心と身体、そして自分の下劣な人間性にも向き合わされる、本当に心と身体に「痛い」映画だった。
追伸:個人的には結構な「食欲減退ムービー」だと思うので、観賞直後のお食事の予定などは避けられるのがオススメです。
やりたくてやって何が悪い。
細い金属の棒(あれが編み棒なのかな?)で、自分で掻き出そうとするシーンが、痛そうで怖くて身を捩らせずにはいられなかった。目も逸らした。
闇の中絶処理はなんでその場で掻爬しなかったのかな?と思ったけど、後で考えてみると、妊娠証明書がある(妊娠してることが国?に把握されてる)から「流産」と診断されなければ罪に問われるから、掻爬して「中絶」してしまってはいけなかったってことか?と思い至った。正解かは知らんけど。あの処置は人工的な流産を引き起こしたってことなのかな。
痛くて辛くて、もう一度見たいとは思わないけど、観る必要があったと思ってる。
セックスを楽しむ権利は誰にでもある。やりたい時にやりたいようにやっていい。互いの同意があればね。
その結果の妊娠出産を望まない権利もある。
中絶したい/した女「だけ」を責める非対称性、差別性をわたしは許せない。
その妊娠を引き起こした精子の製造元の男も、社会的にも経済的にもあらゆる方向から女同様に責められるならまだしも、女だけを責めるのが許せない。ちょん切られろ!と思う。
セックスをしたことはあるけど、わたしは妊娠した事がない。それは運がよかっただけ。わたしはアンヌになる可能性があった。アンヌの部屋に来て自分の性体験を語った友達と同じ。誰だってそう。あの苦しみは自分のものだったかもしれない。
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21世紀の日本で認められている中絶方法は掻爬が中心で、世界で主流の中絶薬が認可されてない。認可の動きはあるが人工中絶と同程度の薬価を想定してるとか…ふざけてる。
その上、中絶に配偶者やパートナーの同意がいる。自己決定権が認められず、経済的負担も高く、罪悪感は女だけに押し付けられてる。
許さん。
この現実がわたしを絶望させて久しく、絶望が欲望をかき消してしまったのだった。
もう今生ではセックスしないんだろうな…
13階段
ホラー映画だった。
生涯No1に怖かった映画は「リング」なのだけど、それに匹敵する。
文部省推薦にするべきだと思う。
子供が産みたい、もしくは産めるって環境の人には全く関係のない映画なので見なくていいと思う。
望まぬ妊娠→中絶までを描く。
現代とは違い、中絶すると罪に問われる時代背景があるものの、女性の心境はさほど変わらないのではと思う。現代での出産は経済的なリスクを感じる人も多いと思うけど、その当時は女性だけが様々なリスクを背負わされる。
今も根本的には変わらないんじゃないかと思うのは、離婚しても養育費を支払わなくても罪には問われず、親権を持った側にだけ、将来や時間に犠牲を強いられる状況がある事だ。
本来、祝福されるべき事柄であるはずで…いや、祝福できる環境であるべきなんじゃないかと嘆く。
子を宿し、出産する。
問答無用で母親の時間は、何年もに渡って育児に奪われる。主人公にしてみたら死刑宣告に等しい。
劇中に何度も「妊娠したら終わり」との台詞が飛び交う。主人公はこうも言う「いつか出産したいけど、今じゃない。自分の将来を棒に振りたくない」…本音なのだと思う。そういうものを代償にしてしまうのだ。
女子が受ける保健の授業を見たわけではないけれど、テキストより、この作品を流した方がいいんじゃないかと真剣に思う。
法律は無くとも同調圧力や道徳心、常識などで選択肢を奪われた女性達は多いのだと思う。
主人公に非がない訳ではない。
だが、性欲は食欲、睡眠欲と並ぶ人間の3大欲求だとされる。これも男性上位社会が植え付けた歪んだ価値観なのかもしれないが…。
とは言え、愛情が深まれば、体を重ねたいと願うのは本能だ。それを否定してしまえば人類に未来がない。
女性に出産を強要するなら、それに伴うリスクを国や社会が解消していくべきだと思うし、女性が背負うリスクを社会が背負える環境にならなければ、国の繁栄なんて机上の空論だと、この作品を見て感じた。
作品的には、さすがのフランス映画で、一切の虚飾がない。赤裸々な台詞と端的なカメラワークが、脳髄に焼き付いていく感覚がある。
ハリウッドのエンタメ感を徹底的に排除した作り。なのだが鮮烈に刻み込まれる。フランス映画の醍醐味を存分に味あわせてもらえる。
またBGMが素晴らしい。
俺にはギターの弦の音色に聞こえた。細く極限までピンと張り詰めた細い弦。
主人公の心情をあれほどまで明確に端的に表現した音楽は稀だと思われる。
孫が女の子なのでお年頃になったら、一緒に見ようと思うし、カップルは見るべきだと思う。
あなたならどうする?
一度も誰からも愛されることなく
便所で流される命。
法律で中絶が禁止されていた
1960年代のフランス。
望まない妊娠をした大学生のアンヌ。
一般的な作品であれは
そこに産む産まないの葛藤があったり
結果産むことで生命の尊さを知り
新しい家族の始まりがあったりするのですが
本作では皆無です。
中絶一択。
どうすれば中絶出来るか
終始その葛藤が生々しく描かれます。
本作の意義として大きいと感じたのは
妊娠を目的としないセックスに対する
考え方への影響です。
一般的な感覚を持っていたら
確実に女性に対する負担や命に対して
今まで以上に真摯に向き合うはずです。
フランスの法律がどうとか
アンヌの決断がどうとかではなく
あなたはどう?
そう問われているように感じました。
女性のリスクを体験する
望まぬ妊娠をしてしまった女性の視線で、流産するために苦闘する状況を疑似体験させるという内容で。
(作品のベクトルは全然違うけど『1917 命をかけた伝令』なんかを思い出したりして)
ちょっとしたホラー並みのシーンがいくつかあって怖かった。
つくづく、(男女とも)快楽や雰囲気に流される思慮のなさの愚かさと。
妊娠というのは女性の命と未来の可能性を危険にさらすことであると、特に男性は認識したほうがいいと思わせてくれました。
あと、理性的な人間でも、追い詰められると焦りに加えて、ホルモンバランスの崩れなどで感情に支配され、正常な判断が出来なくなる。
そんな主人公を、アナマリアさんが見事に演じていてすごかった。
「避妊はしたくないけど子供は欲しくない」なんて言っていた芸人よ
ウーマンラッシュアワーの村本大輔、お前だよ、お前にこそ見せたいよ。
この主人公の背負う苦しみ、痛み、焦り、絶望。
男は簡単だよ。射精して気持ちよくなってそれで終わり。
セックスするのは簡単だが妊娠したら中絶するにしても出産するにしても莫大な負担を背負うのは女性だけという非対称さ。出産なんて全治4か月だし最悪死ぬ。子供を育てるのはそこからがスタートだ。望んでも心身経済ともに苦しいことがある子育てなのに、望まなかった子を育てるのがどれだけ女性を苦しめるのか想像に難くない。
いまだに子供ができてキャリアが途絶えるのは女性ばかり。「男性は産休育休とるから採用しにくい」なんて言われない、女性は言われる。妊娠してなくても彼氏がいなくても独身でも言われる。
ここ最近も米国で中絶禁止になる州が相次いでいる。レイプされて妊娠しても中絶ができなかったり、日本でも中絶に相手の男性の同意が求められる。自分の体のことなのに自分で決められない。女性の権利はいつも危機に瀕している。
男性にこそ見るべき映画だ。
フランス映画祭でも上映された作品だが意外と男性客が多かったのが救いか。
正直、凄まじすぎて、きっつい内容に─
若き日の過ち
2022年度ノーベル文学賞を受賞したフランス人作家
『アニー・エルノー』の小説〔事件〕を基にした、と
エンドロールで触れられる。
劇中の主人公は1940年の生まれとの設定で、
作家本人も同年生まれなことから、
おそらくは自身の若き日の実体験をもとに綴った
半自伝的作品であろうと察しは付く。
望まぬ妊娠をした若い大学生が
中絶をするための孤軍奮闘。
1960年代初頭のフランスは
人工妊娠中絶が違法とされていた時代。
ありがちな他のケースと同様、
主人公の『アンヌ(アナマリア・ヴァルトロメイ)』は文献を調べ、
独力で対処しようとするが、どれも有効には機能しない。
こんな時に相手の男性は頼りに成らぬのが世の常。
また、女子寮の親友達も、罪に問われる可能性を恐れ、
積極的には助力しようとはせず。
あまつさえ、妊娠の心配がないことを
都合よく利用しようとする輩も現れ・・・・。
もっとも彼は、
それなりの対価を払ってはくれるのだが。
直近のアメリカでの上・下院の中間選挙で争点の一つとなったほど、
人工妊娠中絶については今でも、各国で大きな論争の的。
とりわけ西洋の国々ではキリスト教的倫理観が絡んで来るので、
更に旗幟が鮮明になりがちな傾向。
〔17歳の瞳に映る世界(2020年)〕でも
同様のテーマが扱われ、
これはたまさか米国が舞台も、
二人の少女は親に知られることを恐れ、
また、自分達が済んでいる州は人工妊娠中絶が非合法なことから
認められている州迄移動し、処置を望む。
その経緯で、大人たちの搾取に合うのも
やはり同様の流れ。
古くからある、明快な是非を付け難い命題も、
少なくとも選択権お保証や
不当な行為が横行する可能性だけは排除すべきなのだろう。
とは言え本作での『アンヌ』の姿はあまりに痛々しく、
観ていて胃の腑をぎゅっと掴まれるような寒々しさを覚えるのも
また他方面の事実。
時代とは言え、女性が自身の道を選択するためには、
これほどの代償を支払わねばならぬのか、との。
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